彼女は勢いよく跳ね起きた。何かを必死で掴もうとして落ちていく感覚に慌てて目を覚ましたのだ。心臓が大きく早く動いている。
 彼女が二度ほど呼吸をしたとき、激しい頭痛と身体の痛みに蹲る。痛いを通り越して熱い躯。壊れそうなほど、千切れそうなほどそれが襲ってくる。
 彼女が呻いた言葉に、側で衣擦れの音がする。
 その音でようやく彼女が周りを見れば、天蓋ベットの中にいて、しかもかなりご立派な刺繍の入った布が垂れている。人の気配は勿論その布の向こう側で、恐る恐る側に傅き、ごく小さな声で、しかも怯えたように震えている。
「お嬢様、お気付きになられましたか?」
 お嬢様? と聞き返したい彼女の口は、その激痛と、まだ混濁していようとする意識の狭間で上手く動かない。
「お嬢様?」
 外に傅いていた女性は「失礼します」と意を決して、ただそれまでに手はかなり躊躇していたのだが、それでもさっと帳をはぐって彼女の様子に蒼白し、慌てて側の紐を引っ張った。仰々しい鈴の音が遠くの方で響いている。
 女性は綺麗な人だった。金色の髪は綺麗にまとめられ、透き通るほどの白い肌を持ち、心配のために顔が歪んでいなければ、きっとうっとり見つめていられる顔だった。
 女性は彼女をそっと横にさせ、痛い場所を聞いてくれたが、彼女に出来るのはただ首を動かすだけ。そのうちに、静かだがそれでも急いだ足音が近付いて来た。
「ヒラソル! お嬢様がお目覚めになったか?」
「はい。しかしそれが。」
 女性の澄んだ声が返答をしたあと、彼女を覗き込んだのは、先程彼女を抱き上げ顔を覗き込んだ老剣士だった。先程は光の所為で白髪に見えたが、今はロマンスグレーとでも言おうか、多少の白髪の交じったそれをすべて後頭部に撫で付け、それと同じ色の髭を生やし、その身体は体躯よく甲冑を着ている。
「お嬢様、お気を確かに。」
 老剣士の言葉に彼女はただ顔をしかめるだけだった。その言葉を何度か聞いた辺りでようやく医者が呼ばれ、心音などを調べて、先程出したらしい診断結果をもう一度出した。
「落馬による打撲。それ以外は奇跡的に無傷です。あれほど高い崖から落ちて、無傷など、さすがセリーリャス様です。」
 医者は無用な褒め言葉を言った後そそくさと帰っていった。まるでそこに居たくないかのように。
 セリーリャス? 彼女はそう呼ばれたことだけが気になっていた。自分の名前? しかし覚えのない名前なのだ。聞いたことすらないような。でも彼らはそう自分を呼んでいる。
 彼女が薬のお陰で、痛みが緩和され、口を開いたのはそれから半日経った夕方だった。
「大丈夫ですか?」
 繰り返し繰り返し、何度言われただろうかと思いながら、老剣士の言葉に頷き、ヒラソルと言われた 女性の差し出す水を受けた後、彼女はようやく口を開いた。
「あの、ここ、どこです?」
 老剣士とヒラソルはあまりの言葉に唖然とした。その瞬間、彼女は自分が記憶喪失なんだと直感した。そして、やはりセリーリャスという名前であると認識する。
 老剣士とヒラソルの無言はかなり長かった。彼らが一体何を驚いているのか、その長さに疑問が出てきたとき、ヒラソルは部屋を飛び出て、老剣士は自らの胸を叩いた。
「爺の名前は覚えておりますか?」
「……、……ごめんなさい。ぜんぜん。」
 老剣士の目にかなりの動揺が走り、もし側に椅子がなければ後頭部強打しただろうと言うほど腰を抜かしてしまった。
 ヒラソルの急き立てる声に連れられてきたのは先程の医者だった。かなり嫌そうな態度をしていたが、彼女の姿を見て愛想笑いを浮かべた。
「如何しましたと? 薬はじゅうぶん差し上げていますが。」
「お嬢様の記憶が……。」
「記憶?」
 医者が老剣士から彼女に目を移す。じっと見つめていた医者は目に見えておかしいことに気付き質問をしてきた。
「セリーリャス様、お答え下さいね。ここはどこですか?」
 彼女は首を振る。
「落馬したことは覚えてお出ででしょうね?」
 また、彼女は首を振る。
「何か覚えていることはありますか?」
「覚えていること?」
 彼女はゆっくりと部屋を一巡した。そして老剣士やヒラソルの顔もじっくり見た。けれど俯いて首を振る。
「記憶喪失のようです。崖から転落した際に強打したのが原因かと思われます。」
「直るのか?」
「直る方もいれば、直らない方も。それが一日である人も、一年かかる人も、それは、私にも解りかねます。」
「そんなことでは困るのだぞ、お嬢様は聖戦士のお一人で、戦わなければならないと言うのに。記憶喪失など。なんとかいたせ。」
「そうは申されましても、カルネロ様。こればかりは、いかんにしがたく。」
「役たたずめ!」
「そんなに怒鳴らないでください。記憶喪失なんて、時間が解決していく病気じゃないですか。お医者様だって直せないものでしょ? 怒鳴っても、出来ないものはできませんよ。」
 彼女はとっさにそう口を挟むと、老剣士・カルネロを始め、ヒラソルも医者も唖然と彼女を見た。
「ごめんなさい。なんだか凄く疲れてて、眠りたいんだけど、……。ごめん。」
 彼女はぱさっと音をたて横になると、重く瞼を閉じ、そのまま寝息を立て始めた。医師は『寝ました』と言ってカルネロの方を見た。
「記憶が無くなると、性格まで変わるのか?」
「さぁ。ですが多少臆病になるでしょう。しかし、これほど変わるのは、私にも前例がない。」
 医師の言葉に絶句するより他無くなったカルネロは、ヒラソルを側に付け自分は外出をした。

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