セリーリャスは浮かれているカシスに促され、馬車に揺られて二時間ほど、着いたのは小さな村だったが、非常に寒々とした空気を受ける。
 セリーリャスは前に座るカルドを見た。
 この村に行くよう誘ったのはカシスだった。カシスの目は非常に輝き、嬉しさのあまり、今すぐにでも出掛けないか? とさえ言っているようなほど声が軽かった。
「休暇が取れましてね、サラードに帰る前に是非貴方にもお会いさせたい方が居るんですよ。」
「私に?」
 カシスはエラードと一緒にやってきていた。にこやかなカシスとは対照的に、エラードはその表情を変えることなくただ座っていた。いつもと同じ表情だ。
「私の師匠と言うべき男でしてね、素晴らしい方です。私に彼の剣のすべてを教えてくれた。サラードほどではないので、少し遠出という形で行きませんか?」
 そう言ってやって来た村。薄暗く、すべてが眠っているのか、それとも、押し黙っているのか、とにかく陰気であることは間違いなかった。
「ここが?」
「ええ、ルヴェルトス卿が居るマールという村ですが、辺りが、あまりに、よくありませんな。」
 カルドの言葉は直ぐにヒラソルの顔を曇らせた。馬車の中にいてもそのおぞましい気配は感じる。侍女を連れてこなくて正解だったとセリーリャスが思えるほど、この空気は酷い。
 魔族の気配を感じながら、村に入る。村人は居る。しかしそのどの目も不安と、恐怖で憔悴しきっている。
「どうする?」
 ガラス越しにカシスが聞くと、カルドはとりあえず館にと口を開く。
「大丈夫です。嫌な気配だけです。」
 それで十分だと、セリーリャスは言いそうになって黙った。昼の日中でありながら、真っ暗で、遠くの方で人の声がする。すえた匂いと、木と、そしてゴムの匂い。そうだ、体育館だ。
 セリーリャスははっと我に返ったように身体を跳ねさせた。
「何か起こりますか?」
「え? いいえ、何も。」
 カルドは頷いてガラスの外へとまた目を向けた。
 体育館? とは、どこだろう。でも、嗅いでいた匂い。ずっと、そこに居た。今と同じく小さくなって隠れていた自分。
「頭が、痛い。」
「お嬢様?」
「何か思いだしたのですか?」
「いいえ、この、空気に、」
「そうでしょう、私たちでさえ、酷く辛い。ルヴェルトス。あなたに何があったというのだ?」
 カルドの言葉にセリーリャスは顔を上げた。心配した表情のカルド、この空気。
「門を入ってはだめ!」
 目に見える兵の体を貫く槍。
「兵を止めろ!」
 カルドの怒号と同時に断末魔が聞こえる。時期がずれたのは、気付けば辺りに棚引いている霧の所為だった。意外に先頭は随分前を歩いていたようだ。しかし、セリーリャスが邪心に捕らわれていなかったら、もう少し早く防げた距離ではあった。
「他は?」
「解らない。でも、大きな、影が……。」
 ルヴェルトス卿の館、オストラ屋敷。昔は古風な屋敷だと思っていた。古風だが、陰湿ではない。まるでバケモノが顔を覗かせそうな場所では決してなかった。この庭の、あの木でカルドは剣術の練習をしたのだ。
「カシス!」
 その声は紛れもなくルヴェルトスだった。
「ルヴェルトス!」
 カシスのあまりの驚き振りにルヴェルトスは大笑いをした。
「この寒空、なぜに裸で?」
「寒風摩擦だ。どんな場合も鍛錬が必要だ。」
「もう退団なされたのに。」
 大声で笑いながら、馬車から降りてくるカルドと握手をし、セリーリャスを見た。
「どこのお嬢さんだ? お前達のどれかの嫁か?」
「生憎と、彼女はアグア伯爵ですよ。一緒に戦っていたでしょ?」
 ルヴェルトスは目を見開き、セリーリャスをじっと見て首を傾げる。
「随分と変わられた気がするが?」
「記憶を無くしてから、よく言われます。」
「記憶を、あの時か? エラードを追いかけ回していたとき。」
 セリーリャスの顔に緊張が走る。落馬ではなかったのか? 落馬して、それで記憶を無くしたのでは? エラードを追いかけ回していて? どういうこと?
 セリーリャスがエラードを見るが、彼は馬車の荷物を他の男たちと一緒に降ろしている。だから、カルドとカシスに目を向けるが、言いにくそうな苦痛な顔をしている。
「いや、お嬢ちゃん、気にするな、そう見えただけだ。私の勘違いだ。」
 ルヴェルトスはそう笑って屋敷に案内した。
 屋敷は広く、ただただ広かった。ちょうど家具などはちらほらとあるばかりで、何もなかった。客を接客するはずの手伝いも居ない。
「ルヴェルトス? 執事達は?」
「田舎に越そうと思っていてな、すべて辞めてもらったんだ。」
「しかし、あなた一人で大丈夫か?」
「カシス、これでも一人になってすでに半年、何とか生きている。案ずるな。」
 カシスは眉間に深い疑心のしわを作った。
 夕飯はルヴェルトスが得意だと言って作られたシチューを頂いた。確かに上手かった。野菜など、本当に柔らかくできており、夕飯は楽しく過ぎた。
「誰だ?」
「よろしいですか?」
「アグア伯爵。」
 セリーリャスはルヴェルトスの部屋を訪ねた。
「あの、お聞きしたいことが、」
「それは、カシスや、カルドたちが私に聞けと言ったのかな?」
「いいえ、でも、お二人が私を傷付けまいとして、嘘を言うことは解っています。できれば嘘をつくにしても、ほんの少しだけ、真実を知りたい。そう思ったから。」
「気が強く、信念を曲げないのは昔も変わらないな。で、何を聞きたいと?」
「私の落馬した原因です。」
 ルヴェルトスは手を組み、椅子に深々と座って目を閉じ、そして時間が長く感じられるほどの沈黙のあと、重く唇を動かした。
「お前さんはエラードを好いていた。今はどうか知らないが、あの派手な衣装も、鼻につく香水も、言うならばエラードに相手をして欲しかったのだろう。しかし、奴がカシスやカルドの前でお前さんと話すことはない。忠義心の熱い男だ、私情など一切持ち込まない。だが、それはお前さんの納得するものではない。徐々にその派手さ、行動の妙、それが目に付くようになったあの日。穏やかな秋の日。お前さんは魔族退治をした帰路途中の休憩の合間に、エラードを追いかけだした。馬で。勿論エラードも乗っている。私と結婚しろ! そう追い立て、あの崖で、いつもならひらりと飛べるあの崖でバランスを崩し、そして倒れた。覚えているのは、その日が私の退団日だったからだよ。」
「私が、エラードさんを?」
「それがどうであれ、今のあんたには関係ない。これからエラードといい関係を築けばいい。」
「でも、エラードさんは逃げたのでしょ? 私から、」
「そりゃ、あんなじゃじゃ馬だったら、否、今のお前さんは違う。誤解するんじゃない、セリーリャス!」
 セリーリャスは部屋を飛び出た。
 エラードは自分を嫌っていた。だからあまり話しをしないのだ。レノを連れてきたときは、仕方なく話しただけ、夜更けに家出したとき助けてくれたのは、たまたま通りかかったから。
「なのに、私……。」
「セリーリャスと? 馬鹿なことを言うな、冗談でもごめんだ。あんな女。」
 エラード! セリーリャスは部屋に駆け込む。
「お嬢様?」
 セリーリャスは黙ってベットにそのまま入り込んだ。ヒラソルはその様子を怪しみ、部屋の外に出る。
 エラードとカシスがヴェランダで酒を飲んでいた。
「随分と変わられたよ。」
 カシスが頷き、エラードは器の琥珀水を眺めた。
「もし、再び結婚を申し込まれたらどうする?」
 カシスの冗談に、エラードは黙って首を振った。
「一度、断ったのだから、もう無いさ。」
 ヒラソルは部屋に入った。どういう会話にしろ、セリーリャスはエラード達の会話を聞き、突っ伏しているのだ。ベットに腰掛け頭を撫でる。
「嫌われているのを知っていて、側に居るのって、辛いね。」
「お嬢様?」
 ヒラソルは言葉を無くした。どういえばいいのか、ヒラソルに考えつかなかったのだ。
「エラード!」
 カシスの大声と、エラードの絶叫が聞こえた。
「エラード!」
 セリーリャスは勢いよく顔を上げ、ベットから飛び降り戸を開けようとすると、
「来るな! セリーリャス!」
 エラードの声だ。外で何が起こっているのか知れないが、その声で動けなくなったのは、事実だった。
 ヴェランダで酒を飲んでいたその二人の間にいくつもの矢が放たれてきた。
 エラードの苦悶が響く。右肩に矢が突き刺さっている。カシスは壁に身を隠して防げたが、エラードは大量の血を流していた。
 雨あられの矢攻撃がふいに終わり、エラードの治療が施された。廊下が騒がしい。だがセリーリャスが出て行く気配はない。ヒラソルはセリーリャスをベットに座らせて出て行った。
「エラード様が右肩に負傷をなさって、凄い血でしたわ。床なんて真っ赤で。」
 ヒラソルの言葉に体が熱い。エラードの危険をなぜ、気付かなかったのだろう?
 −だって、それって、あんたの妖しいなんかの呪いでしょ? 黒魔術とか−笑い声、続く、どこまでも、追いかけてさえ笑う。
 セリーリャスは一応エラードの部屋に向かった。
「解りませんでしたか?」
 カルドの言葉にセリーリャスは俯く。
「はい、まったく。」
 予知も当てにならぬ。そんな空気が流れる。
「別に、セリーリャスが悪い訳じゃない。注意を怠った私の所為だ。」
 −こいつが悪いんじゃない、怪我した俺が悪いんだよ。−
 セリーリャスの目から涙が溢れ、そのまま卒倒した。目の前がぐらぐらと揺れ、息苦しさと、頭痛が笑い声を運び、気を失ったのだ。
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