セリーリャスを乗せた馬車はカルド、カシスを乗せたそれぞれの後に続き城を出た。そしてまっすぐセリーリャスの白亜の館を目指す馬車と、カルドの屋敷に向かう分かれ道で三台の馬車が止まる。そしてカルドとカシスが降りてきてセリーリャスの馬車に近付く。
「今日はこちらで失礼します。また、近い日にでも。」
 カルドの言葉にセリーリャスは頷き、上目遣いで二人を見た。自分の無言でカルドが憔悴しきった顔をしているのが耐えられなかった。
「近いうちに、お茶にどうぞ。お待ちしてます。」
 セリーリャスに言える言葉の限度だった。
 その時だった。無数の蹄が近付いてきた。
 カルドはその音に顔をしかめ、それらが来る方向を睨め付けた。その『予感』が外れることを願っていたが、それは正確に当たりを見せた。
 無数の武装した騎馬兵の先頭にエラードが居る。彼はカルド達の馬車で止まると兵をそのまま走らせ三人を見下ろした。
「どうした?」
 カルドの声は落ち着いていた。その後に来る言葉がまるで解っているようだった。しかし、エラードから帰ってくるはずの言葉は、セリーリャスに取って代わった。
「谷の方に行ってはいけない。谷には、あなたを苦しめる人が居るわ。」
 セリーリャスはカルドの方を見た。
「苦しめる?」
 カルドの聞き返しにセリーリャスは胸を押さえた。
 苦しい、息が詰まる。まるで水の中にいて溺れてしまいそうな脱力感と焦燥と、そして苦しさがまとわりつき、言葉を出せない。
「黒い、髪。冷たい、目。」
 セリーリャスはあまりの苦しさに失神してしまった。馬車の中でヒラソルの悲痛な心配声が響く。
「カルド?」
 カシスが、馬車の縁を掴み微かに震えているカルドの顔を覗く。
「私が知っているものの中で黒髪というのは、たったの一人しか居ない。グラナダ国、先代神官アルメンドラ。」
「アルメンドラ? 彼ならもう五年も前に死んでいるだろ?」
 カシスはアルメンドラの死の経緯を思い出し口をつぐむ。
「とりあえず、君たちは魔族狩りに行くのだろ? いつも通り頼む。」
「では、あとでご報告に参ります。」
 エラードは一瞬セリーリャスの馬車内を見てそのまま走り去った。
「カシス、セリーリャスを屋敷まで送ってあげてください。いくらなんでも今のセリーリャスに予知は出来ない。君がいれば護衛になるからね。送ったならとんぼ返りでわるいのだが、私の屋敷に来てくれ。」
「お前は?」
「寄るところがあるのでね。」
 そこがどこだか聞かなかった。カシスはセリーリャスの御者に屋敷に向かう胸を言ってその場を走り去った。馬車内で考えていることは、常軌を逸した冷静すぎるカルドの声ばかりだった。

 カルドはとある屋敷に来ていた。綺麗な植え込みの庭だが、どこか寂しげで、霞がかっている。ここ暫くはどなたの訪問も受けていない屋敷の戸をカルドは叩いた。
 中から出てきた家政婦は昔よく見慣れたカルドの顔に驚き、そして涙ぐみながら応接室に案内した。
「ここは、変わりませんね。」
 カルドの言葉に老紳士は苦笑いをする。
「変わろうと思えばいくらでも変われたが、変わりたくなくてな。あの子が居なくなった日のまま。しかし、寄る年波には勝てぬ。私はこの通りすっかり変わってしまったよ。」
 老紳士はしわ深い目を閉じた。
「アルメンドラが生きていると、ご存じでしたか?」
「彼は死んだ。」
「いいえ、彼は生きています。エシャロットを追って死のうとしたが、」
「カルド=ドラーダ。彼は死んだのだ。あの子の後を追って。」
「侯爵。」
 カルドは黙った。彼が娘のことを思い出したくなり理由は存分に思い当たる。そしてそれはカルドも同じなのだ。
 しかし、予知は当てに出来ない。セリーリャスは予知できなかったこともある。しかし、予知したことは全部現実に起こっている。しかし、予知は未知だから予知だ。もしかすれば外れるかも知れない。しかし、セリーリャスがアルメンドラを知っているとは考えにくい。記憶がないのだ。昔のセリーリャスならば、知っているかも知れないが、それだけを思い出した。と言うことは考えにくい。そうなると、やはりセリーリャスは予知を見た。しかし、予知はあくまで予知だ。
 カルドの脳裏に矛盾と葛藤が繰り返されていた。そんなとき、誰かの声が聞こえた。
 馬車の踏み台に掛けたところだった。空を必然的に見上げた。馬車に乗ってはいけない。そんな気がしたが、屋敷にはカシスが待っている。カルドは何となく嫌な気分のままそれに乗った。
 馬車は順調に滑り出し、走った。石に乗り上げてもそれは壊れることはない。屋敷が近付き、ふと昔を懐かしく思い出すもの、家の側にある小川のたいこ橋を目にしたとき、車輪が車軸からすっぱ抜かれた。まるで整備に出していて、点検のために取り外したかのように、まっすぐ横に外れた。バランスを崩した馬車は車内のカルドを包んだまま小川に転落した。

 連絡を受け屋敷にセリーリャスがやってきたのは夕飯後のことだった。頭に包帯を巻いているだけで静かな寝息を立てているカルドの側に、カシスが座っていた。
「セリーリャス。」
 カシスは場の悪そうな顔をしてセリーリャスに席を譲る。
「怪我、だけですか?」
「とっさに体を丸めたらしくってね、軽く頭を打った程度だという。」
「黒髪の方?」
「さぁ。でも、御者の話では、車輪が綺麗に取れた後、ひっくり返ったのは連結を壊してカルドの乗ったところだけだったそうだ。」
「では、魔族の?」
 その後で、セリーリャスの胸を嫌なモノが締め付ける。
「きっと、」
「アルメンドラは魔族に心を売った。」
 カルドの声だった。そこに居る、カシス、エラード、セリーリャスの想像通りの言葉だった。
「アルメンドラを覚えて居るかい?」
「いいえ、生憎と。」
「彼は凄い力を持った神官だった。しかし、彼の力は平和と、治療にのみ注がれた。サラードから命の賭をしてまで患者が向かったほど、彼の技術は凄かった。毎年冬にグラナダからサラードに帰るのも、アルメンドラが行っていた年に一度の医療救済の旅を真似ているのかも知れない。私は彼に憧れていた。彼ほど素晴らしい神官は居ない。もちろん、人間としても、私の尊敬を独り占めしている。今でも。彼には愛する人が居た。エシャロットという女性だ。黄金の髪を持った天使。その姿形の愛らしさは、わるいがあなたの比ではない。私はあの人を愛していた。でも彼女の愛はアルメンドラのモノだ。でもそれでいいのだ。彼らの愛を見守ることが、私の愛なのだと解っていたし、それを裂いてまであの人を求めても居ない。しかし、無情すぎた。エシャロットは死んでしまった。馬車に乗って山に遊びに行っている最中に、魔族によって谷底に落とされた。アルメンドラは平常を装いながら、今まで決して乱さなかった感情を乱し、私に仕事を引き継がせた後、エシャロットが落ちた谷に自ら落ちていった。そう思っていた。でも、その谷は、魔族の門があるであろうと有望視される渓だ。私は思う。彼らは生きている。魔族として。」
 カルドの話しにセリーリャスは黙って俯いた。そして暫くして、彼女の声でない声がその口から出てきた。可憐で清楚で、カルドが長い年月求めていた声だ。
「エシャロット?」
「カルド、助けて。アルメンドラを。どうか、」
「エシャロット……。」
 セリーリャスは再び俯いた。
「誰かがやってきたから、帰っていった。」
「アルメンドラ?」
「解らない。でも、凄く暗くて冷たい場所だった。有るのはか細い蝋燭の明かりだけ。周りは真っ暗で見えない、本当に冷たい。ただ冷たいという場所。」
「ラルゴの渓だろうか?」
「解らない。でも、彼女の心は泣いている。止められないと。凄く悲しそう。」
 セリーリャスはカルドを見た。カルドもセリーリャスを見ている。
「私も行きます。私が一緒に行けば、その場所が解ります。エシャロットが案内してくれるでしょうし。」
「危険が伴います。サラードに行くよりも、大本命的な場所だ。」
「百も承知です。しかし、行かずして、あなた達を危険に遭わせ、後悔するくらいなら、足手まといになった方がいい。」
 カルドはカシスとエラードの方を見た。
「そう言うことだが、大丈夫か?」
 二人は長い沈黙ののち、カシスの「御意に」で首肯した。
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Juvenile Stakes

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