4 「素敵な発表会」

 レディー・アンも少し離れてきた頃だった。あの聖堂の窓を全開にしたはずのレディー・アンに、少しもそう言うエゴがないため、みんなレディー・アンを好いていた。
 そして相変わらず、「火曜日のあしながおじさん」からの手紙は届いていた。
「また火曜日のあしながおじさん?」
 レディー・アンの部屋に遊びに来ていたキャリーが嬉しそうに手紙を読んでいるレディー・アンに聞く。
「ええ、そう。素敵な歌をありがとうですって。校長先生も大変よね。私の歌を毎日聴かなきゃいけないんですもの。」
「まぁね。それで? 他は?」
「えっと、今度の発表会? 発表会なんかあったかしら?」
「ええ、あるでしょ。あなたは新入生だから出番は無いけど。」
「そうよかった。」
「あら? 私は残念だわ。あなたの歌を、あなた一人で歌っている歌を聴きたかったのに。」
「キャリーの方が上手よ。」
 窓を全開にしたレディー・アンに言われてもなんだか嫌味を聞いている気がする。
「返事を書こうっと。」
 レディー・アンは机に向かった。

 ギーゼルベルトが机に座り、弓を布で拭いていた。そこへノーマが入ってきた。
「一緒に練習していい?」
「ああ。」
「あの人、レディー・アンは出ないそうよ。」
「何に?」
「発表会。」
「そう。」
「あの発表会で、特賞を取れば、私たちはイツァに帰れるわね?」
「帰りたいのか? あの国に?」
「え?」
「エゴと、独裁が渦巻いているあの国に帰って、音楽が続けられると思っているのか? 確かにイツァの要人も見に来るそうだが、それは、僕たちを人質にするつもりなんだよ。親に、父さんを働かせるためのね。」
「そんな、考え過ぎよ。」
「ノーマ。君は何も考えてないんだね? イツァがしようとして言うのは、戦争だよ、しかも世界を相手にしようとしている。そして、すでに国内では人種迫害を始めているそうじゃないか。意味もなく人を殺すような国に帰って音楽が出来ると思うかい?」
「ギル、考えすぎだわ。だって、お父様はそんなこと言っていなかったし。」
「言うわけないだろ? 子供にどうやって、人質になるから逃げろと伝えれるんだよ。半ば奴隷や、監視付き生活を送っている人に。」
 ギーゼルベルトはそう言って唇を噛みしめ、顔を背けた。
「あんなに笑っていられたら、どれほどいいか知れないよ。」
 ギーゼルベルトの目下には、笑顔ではしゃぐレディー・アンの姿があった。
 イツァ軍国主義独立国家が戦争へと動き始めるため、まず手始めに国内における人種制限と、国土整備を初め、そのお陰で人が流れるように入り、鉄ぐずにまみれた労働者達は、金を生み、それは軍品にすべて変わっていった。
 そう言う話しが平穏な世界を築いているビクトリエンス校内でも話題に上る。そう言うとき、イツァから来ている生徒は肩身が狭く、いつも俯いている。
 レディー・アンが机を叩いた。
 食堂は昼食を迎える生徒でごった返している中だった。静寂と、レディー・アンへ一斉に視線が注がれる。
「彼らがあなたに何をしたのかしら? 彼らがあなたに何かをしたのなら、彼らを悪く言うことを停めないけれど、何もしていない人を意味不明なことで批判したり、踏みにじるような行為は、それこそイツァの国がしている人種迫害そのものだわ。あなた達が言う自由主義や、平和主義がどうして彼らを迫害するのか知れないし、もしそれでも納得がいかぬのなら、ちゃんと聞けばいいわ。でもここに居る彼らに答えれる術はないはずよ。だって、彼らはイツァの国がしていることをおかしいと思っているのだもの。」
「いいえ。私は言えるわ。」
 ノーマだった。ノーマはレディー・アンの側に近付いてきた。
「あなたのように感に障る人を迫害するの。邪魔だから。あなたが居てなんの恩恵があたしにあるのかしら?」
「それを言うならお互い様だわ。あなたがここに居て、ここに居る誰かに恩恵を与えているとは思えない。少なくても私は受けていないもの。それに、人から恩恵を与えられることだけを考えている人はそうめったに居るものではないわ。人に与えようとする気持ちを持っていればこそ、あなたが好きなツゥーベルグの愛を弾けるのではなくて?」
 ノーマは唇を噛みしめて出て行った。
「国の命令に従わなければいけない彼らのことを理解してあげなきゃ。でないと、彼らは身の危険を感じるわ。少なくてもそう。偽心するしかない。偽ることが、生き続けることだなんて、愚かだけど、イツァの国の人はそうせざるを得ないのよ。」
 レディー・アンの言葉に、ギルバート先生が拍手を送ると、食堂は拍手の渦に飲まれた。それ以降、イツァの生徒を悪く言う者は居なくなった。
「いい演説でした。」
 レディー・アンはキャリーとレイチェルの三人で、木陰のベンチに座っていると、ギーゼルベルトが近付いてきた。。
「それはどうも。」
「まるで、迫害を知っているようだった。」
「知らないけど、いいえ、母は知っていたでしょうね、今ほどタリアの住む場所は決まっていなかったもの。どぶネズミと間違われて駆除されるような場所を走ったりもしたらしいわ。母はそれに立ち向かってくれたから、私は生きてるんですもの。だから、平穏さにかまけて、自分たちが移民してきたときの苦汁を忘れているようないい方をする人は嫌いだったの。それだけよ。ノーマに言ってね。私は彼女のバイオリンの音好きなの。でも、あそこでは、恩恵を受けていない。としか言えなかったの。」
「ノーマも解ってるさ。」
「早く終わればいいわね?」
「ああ。本当に、そう思うよ。」
暖かい日差しの中で
あなたを抱き締めていたら
安心と安らぎが伝わってきて
一緒に眠ってしまいそうになるの
あなたの側に居ることの幸せと
暖かい陽射しや
優しい風
それをすべて幸せと感じれる
この世の幸せは
すべてあなたのために
そしてあなたが作り出してくれた

幸せの讃美


 ミス・ブローカーが手を叩いた。レディー・アンは何よりもそれが嬉しいといった顔をした。
 レディー・アンが歌えば毎回聖堂の窓が開く。だから、それが無意味なことだという錯覚を与えるほど、ほとんど毎日のように開いていたりする。
 ミス・ブローカーはレディー・アンに近付き、優しく、でも少し思うところがあるようなくらい顔をした。
「レディー・アン、ホートマス兄弟の「愛の歌」を知ってる?」
「ええ、知ってます。」
「歌えるかしら?」
「はい。」
 レディー・アンがミス・ブローカーのピアノに合わせて歌い出した。しかし不思議なことが起きたのだ。レディー・アンが喉を押さえ、苦しそうに歌っている。しかも窓は全然開かない。その様子以上に、不思議といつも感動するレディー・アンの歌ではないのだ。
 ミス・ブローカーがピアノを辞めて立ち上がった。
「レディー・アン、あなた、素敵な恋をしたことがあって?」
「いいえ。」
「でしょうね。この歌は本当に愛している人へ捧げる歌です。この聖堂は気持ちや、その人の本質なども加味し、その人の根底の部分を示すことも出来ます。レディー・アンが苦しそうに歌ったのは、レディー・アンがこの歌のような恋をしていないと聖堂は読みとり、聞きたくはない拒否したからでしょう。」
「ええ、すごく威圧された感じでした。」
「あなたは叙情歌や、一般的な愛の歌は歌えても、誰か一人のために歌う歌は苦手なようですね。もし素敵な誰かに巡り会い、その人を本当に愛することが出来れば、きっと、あなたのその歌は素敵になるでしょう。」
 レディー・アンは頷いたが、どう違うのかの意味が解らなかった。みんなが好き、愛していれば、一人を愛しているのと同じではないのだろうか?
 大勢を愛せないものが、たった一人を愛するなんて出来ないはずだ。それがレディー・アンの今の答えだった。
 でも解っている。レディー・アンは聖堂からその声を閉め出されるような圧力を感じ、自らもこの歌を歌うべき時ではないと悟っていたのだ。では、いつ歌う歌なのだろう。レディー・アンにもそのたった唯一の人というのが現れるのだろうか?
 そんなときふと頭に浮かんだのはギルバート先生だった。彼を思いながら歌えばいい。彼の優しい感じを少しでも表せればいい。それがきっと、ミス・ブローカーの答えだと、レディー・アンは思った。
あなたに逢いたい
この世のすべてに反逆しても
あなたの愛が欲しい
身を焦がして
滅びそうになっても
あなたのためなら惜しくはない
あなたに逢いたい
あなたに愛されたい
あなたに抱き締められたい
あなたは私の夢だ
この世のすべてから非難されたとしても
私は恐れない
あなたは私のすべて
あなたは私の半身
あなたに愛されるのなら
どんなことでも出来る
あなたに愛されたい
あなたに逢いたい

愛の歌


「私が?」
 レディー・アンは驚いて思わずと言っていいほどの大声を出してしまったあとで、口を塞いだ。
 夕食時に特別な知らせがあると、ミス・ブローカーから出た言葉に驚いたのだ。彼女は、今度の発表会で、レディー・アンとギルバート先生とバイオリンの伴奏で「愛の歌」を歌えと言ったのだ。
「でも私は来たばかりだし、」
「お客様の中で、あなたが聖堂の窓を開けたことをご存じの方が沢山居るの。その方達があなたの歌を聴きたいと、特別におっしゃってきたの。」
「でも、私あの歌では窓は……。」
「でも、もう決まったことですからね。食事が終わったなら聖堂の方に行って、ギルバート先生と練習なさい。」
 レディー・アンは、そう言って立ち去るミス・ブローカーの背中を見送った。
 すとんと座って周りを見ればみんな輝くような顔ばかりだ。
(なるほど、これが挫折かな?)
 レディー・アンは風間が初日に言っていた言葉をふと思い出した。「これからどんな挫折や苦労をするかも知れない。」こう早く来るとは、思わなかった。
 レディー・アンは食事を終えると聖堂へと向かった。
 夜の聖堂は一際静かで、厳粛さが増していて、でもそれが怖かったりといった恐怖ではなく、暖かな気持ちに包まれる。
「先生。」
 ギルバート先生は舞台の中央に歩いてきた。
「あの、練習があるとか。」
 ギルバート先生は何も言わずに舞台の上で、まだレディー・アンが入り口にいるのにバイオリンを用意した。レディー・アンは急いで舞台に駆け寄り、舞台に上がると、誰も居ない客席に振り返った。
 静かに始まるこの曲独特の出だし、レディー・アンは身体に妙な高温を感じた。背中にギルバート先生が居る。そう思っただけで、動悸がするし、震えてくる。懐かしさと恥ずかしさが入り交じったような変な感覚だ。
 レディー・アンが歌い始めるとすぐ、ギルバート先生はバイオリンを辞めてしまった。レディー・アンは振り返ると、ギルバート先生はバイオリンを降ろして静かに言った。
「それじゃぁ、窓は開かない。君にとっての大事な人が、まだ違うと言っている。気づかないのかい?」
「解らないんですそれが。先生じゃだめですか? 私先生の前だとすごくどきどきするんです。優しい気持ちになるし、先生じゃだめですか?」
 ギルバート先生は小さく息を吐いたあとで「続けよう。」とバイオリンを構えた。
 しかしその夜も、次の夜も、結局発表会前日の夜でさえも窓は開かずに、曲だって最後まで歌いきらずに終わってしまった。
火曜日のあしながおじさま
私おじさまに見に来てくださいと書いたけど、私自信がありません。
ギルバート先生の見事なバイオリンに引けを感じてしまいます。それどころか、うまく歌えないからすごく震えてしまって、更に歌えないのです。
どうしたのいいのかしら?
ギルバート先生を一番好きな人だと思って歌ってみたけれど、初めよりは良くなったとミス・ブローカーでさえ言ってくれているけれども、でもやはりだめなの。
うまく歌える自信がないばかりか、このままでは、この学校にさえ居ることが出来ないのじゃないかしら。
だって、こんなにうまく歌えない子なんて、この学校に必要ないんですもの。
そうでしょ? おじさま。
 レディー・アンは昼休み池の畔を歩いていた。ほとんどの生徒がこの木のドーム上の池を暗くて嫌がっているのだが、レディー・アンは最初来たときからここが好きだった。
「相当苦戦してるようだな。」
 振り返るとギーゼルベルトがバイオリンケースをもって入ってきていた。
「ここで練習?」
「外に漏れないんだ。初めて弾く曲はここで練習をする。あまりここは好かれていないからね、外からだと鬱蒼として暗いから。誰も来ない。格好の練習場所さ。で、君は? 入水自殺でもする気かい?」
「まぁ! そんなことよく言えるわね。」
 レディー・アンはギーゼルベルトが用意する動作を見ながら、むっとしていたが、その動作にこぼれみから降り注いでくる光が差して、幻想的でうっとりするほどの仕草に見とれてしまった。
「弾いて差し上げましょうか?」
「あ、あら? ご親切なのね。」
「この前の、イツァの連中のお礼。」
「まぁ、ご丁寧に。ではよろしく。」
 レディー・アンは頭を軽く下げ、ギーゼルベルトはすっとバイオリンを構えて引き出した。
 やはり法外な値段が付いていると言われるだけあってギーゼルベルトのバイオリンの音色は、この幻想的な場所をよりいっそう幻想的な場所へと変えていた。
 レディー・アンの歌がそれに合わさると、まるでそこだけ別世界のような空気が流れていた。だが、そこに居る二人にはいっさい感じられなかったし、まったく気づかなかったことだった。
「あなたはそんなに弾けるのに何故ここを出ないの?」
「もし今出れば、それこそ収容所入りだ。もうすでにイツァの人たちは収容所に入れられている。俺のように政界からの支援があるものは特に要注意人物としてすぐに……。とにかく、ここから出ることは、自殺に等しい。」
「ごめんなさい。知らなかったから。そうね、この校内でさえあんな話が出たほどですものね。」
「タリアがイツァに協力する動きを知っているかい?」
「本当?」
「ああ。君もここから出ると同じ事だ。出来るだけでないようにしなくてはね。」
「お互いに。」
 レディー・アンとギーゼルベルトは頷き合い、手を握った。
 発表会当日。
 レディー・アンはギルバート先生と並んでいた。でも今までにない緊張がレディー・アンを包んでいた。
「どうしました?」
「緊張して、息苦しくて。」
 レディー・アンが俯くと、ギルバート先生はその肩を抱いて優しく言った。
「あそこは、池の畔です。水が見えるでしょ?」
 レディー・アンがギルバート先生を見上げた。
「アン・トレイシーバーによる「愛の歌」です。伴奏は、ギルバート先生です。」
 ギルバート先生が先を歩き出し、レディー・アンも後から追いかける。
(池の畔……聞いてらっしゃったのね)そう思った瞬間、秘密を知られたようで、レディー・アンはすごく恥ずかしくなった。別にギーゼルベルトと一緒に居るところを見られていようが、歌っているところを見られていようが、格別恥ずかしくもないはずなのに、今は物凄く恥ずかしいのだ。
 レディー・アンはギルバート先生の伴奏に合わせて歌い始める。でも、やはり音がうまく広がっていかない。あの池の畔で歌えたような感じが出ない。
 それを感じた瞬間、レディー・アンの目に客席に座っているギーゼルベルトが見えた。いつになく冷静に座っている。彼の出番は終わって、会場一杯の拍手をもらっていた。レディー・アンも拍手を送ったほどだ。
(ああ、あの池の畔で歌ったときはすごく気分が良かったのに)客は天窓を見上げ初め、壁の窓を見渡している。一枚として開かない窓に、客はどよめき始める。
 その時だった、一音、曲にない音が混ざった。ギルバート先生が出した音ではない。レディー・アンはすぐにギーゼルベルトを見た。ケースが空いている。そしてレディー・アンと目が合うと静かにそれを閉じた。
 レディー・アンは目を閉じて体の中に取り入れた。何を? というのは難しい説明だ。ギーゼルベルトを思い描いているのでもなかったし、ギルバート先生を浮かべているのでもなかった。でも確かにレディー・アンの声はそれからすっかり変わり、窓が夜風を静かに取り込み始めたのは、言うまでもなかった。
 レディー・アンが歌い終わったとき、鳴り止まない拍手にレディー・アンの目から涙がこぼれた。
「ありがとう。」
 レディー・アンは聖堂を出て寮に向かっているギーゼルベルトを追いかけて声をかけた。
「何が?」
「バイオリン、鳴らしてくれたでしょ?」
「さぁ? 確かにケースは開けたよ、大事なバイオリンを蹴っていったご婦人が居たから、その確認のためにね。」
「あら、じゃぁ、私のために鳴らしてくれたわけじゃないのね?」
「なぜ君のために鳴らすのさ。もし鳴らすなら、まったく違う曲を弾き、俺が客の拍手を奪うよ。」
「まぁ! あなたにそんなことが出来るかしら? あたしの歌の方がすごくいいもの。」
「それはどうかな? あの曲を君は誰を思って歌ったか知らないけれど、大衆ウケした。でも個人にはどうだろう?」
「だって、だって、あれは、お母さんを思って歌ったのよ。私の大事な人。忘れていたわ。」
 ギーゼルベルトは黙って踵を返して部屋に向かった。
火曜日のあしながおじさん
今日の出来は如何でした?
とっても素敵だったと褒めてくれる人の中で、ギーゼルベルトだけは褒めてくれなかったわ。彼はいつもそう。助けてくれているようで、いつも非難するの。いつもよ。今回だってそう。
でも、今回はうまく歌えたわ。
お母さんを思いだしたの。
お母さんがうっとりとしてお父さんの話をしているとき、私本当に嫉妬したわ。でも、今にして思えばそれだけお父さんは素敵で、それだけお母さんはお父さんを愛していたんだって。だから、それを思い出させてくれたの。
そう、ギーゼルベルトが一音ならしてくれたのが切っ掛けだったのに、彼は鳴らしてさえいないって言ってた。でもいいの。結果は成功したのだから。
おじさま? 見に来てくれたでしょ? どうだったかしら?


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