とある小高い丘にそびえるように立っている、煉瓦造りの屋敷。人はそこを魔の住む屋敷と密かに噂している。 と言うのも、何人ものメイドや花嫁が数日のうちに消えるというのだ。 そう言った噂があるから、メイドや、花嫁は、この村から随分と遠い場所からやってくる。皆一応に綺麗で、軽やかで、鳥が敬意の歌声を上げるほどの人ばかりだ。 だが、誰も、数日を待たずして行方不明となり、そこの主である、デーヴァイザー男爵は悲嘆の中、次の花嫁を連れてくる。 髭を蓄え、中肉中背の男爵は、灰色の目と、必ず左手にステッキの柄を持つ。ステッキを持つのではない。さきのない、正真正銘の柄だけ、それも見事な飾りのある物で、それをただの柄だけにしておくには惜しい代物だ。 だが、男爵はそれに先を付けることなく、今日も新たなメイドを雇ってきた。 少女の名前は桔梗というけったいな名前の持ち主だった。彼女は遙か東にある小さな国、日本と言うところから来たという。 真っ黒いおかっぱ頭に、真っ赤な頬。それはまるで成熟していないリンゴのように、そこだけを赤く見せていた。 桔梗はよく働く子で、寒空の下でも素足で掃除をしているのを、何人もの村人が見ている。 桔梗が連れてこられたのは、十と満たなかった。それからすでに五年が過ぎ、桔梗はいい大人へと変貌した。その間、男爵の花嫁は二十人変わっている。 ある朝、男爵は食事を取りながら桔梗に話しかける。 「いくつになった?」 「明日で丁度十五でございます、ご主人様。」 「私の噂を聞いたことはあるかい?」 「はい。でもご主人様、私はそれは嘘だと思います。奥様達が何処へ行かれたのか解りませんが、ご主人様は愛を持って接しておいででしたし、何故居なくなるのか、私には解りませんもの。」 桔梗はそう言って、真っ黒い目を輝かせて主に見向かった。 男爵は口の端を上げ、優しそうな笑みを浮かべて告げた。 「私はどうして気付かなかったんだろうかね? こんなに側に、愛おしく思える人が居たと言うことを。」 男爵はすっと立ち上がると、桔梗の側に、身体を添うようにして立った。 「桔梗、私と結婚しよう。もう他の女はうんざりだ。」 男爵の灰色の目に見つめられ、触られたことのない背中や腰の辺りを触られた桔梗は、うっとりとその目を見返し、小さく頷いた。 男爵はすでに四十を越えている。金持ちにありがちな少女趣味にしてはかなり年季の入った言葉だが、他界の接触を断たれている桔梗に、そのような知識はない。 「今夜、あの部屋に来なさい。妻となるお前に見せておきたい物がある。」 男爵の言葉に、桔梗は一瞬顔を潜ませたが、すぐに頷いた。 そしてその昼頃、男爵が買ってきた白のドレスに、桔梗の幸福は増すばかりだった。 男爵がいったあの部屋とは、屋敷の東棟の屋根裏部屋で、ここに来て一度も掃除をしたことのない部屋だ。 男爵はその部屋の側、つまり東棟に入ることをことのほか嫌い、一歩でも入れば鬼のように罵倒して怒鳴る。 桔梗は白いドレスを身につけた。白く中の透けるドレスに、桔梗は恥ずかしさと、嬉しさが混在していた。 何故、男爵様はこのようなドレスを? と考えたが、誰も居ない二人だけの結婚式というのだから、そのまま初夜を向ける、そのための、セクシーなドレスなのだと、桔梗は理解した。 他界との接触が無くても、やって来た花嫁達は皆こう言い、恍惚の表情のうちにあの部屋に上がる。あの部屋は初夜を迎えるための部屋だと、桔梗は想像していた。 どんなロマンチックなことが起こるのだろうかと、どんな甘いことが始まるのかと心躍らせながら、廊下を歩いた。 所々に置かれた鏡に映る自分の、白いドレスから透けて見える肌に少し恥ずかしさを覚えながら、桔梗は東棟にやってきた。 思えば、この屋敷には随分と鏡が多い。至る所に置かれた投影鏡。でもそれが、男爵の花嫁達が置いていったものだと聞かされている以上、居なくなった花嫁を偲ぶ男爵の哀れな姿を想像して、桔梗はそれ以上その鏡には触れなかった。 扉をノックすると、男爵の声が聞こえた。 扉を開けると、中は月明かりが入り込むだけの部屋で、大きなベットがあるだけだった。窓には木枠の格子があったが、その影が月明かりに落とされ、一種、嫌らしくさえ思えて、不思議だとは思えなかった。 桔梗は妙に身体の底の熱さを感じた。火照っていく吐息。それを隠そうと俯く桔梗の背後から、男爵は抱きしめた。 確かに男爵は目の前にいたはずだ。桔梗が、男爵の手に誘導されながら顔を上げると、男爵に抱かれている桔梗そのものが居る。 桔梗が辺りを見渡せば、そこは全面鏡張りの部屋だった。 壁のあちらこちらに映し出される自分の姿。男爵が不適な笑みを浮かべながら首筋に唇を押し当てた。 言いしれぬ触感が背中を這い、桔梗は声をこぼす。 男爵の大きな手が、白いドレスから透けて見える桔梗の胸を鷲掴みにする。 声を上げて逃げることは出来そうだった。でも、その場を動けない何かがあった。 満月に見られ、自分自身もその羞恥な姿を見、男爵はその目と、いくつもの映し出されたその目で、桔梗の純白の姿を朱に染めていった。 男爵は容赦なく桔梗をもてあそび、飽くことなく責め続け、痛め続けた。 それが終わったのは、それから三日後だった。 桔梗の白のドレスは、見るも無惨な、でも、その姿がかえって男爵の欲情をそそるように破れ、三日三晩飽くことなく出し続けられた体液によって固まり、変色していた。 男爵は一人で部屋を出て、外に鍵を掛けた。 桔梗はぼろぼろになった体を起こした。嫌でも目に入る自分の哀れむべき姿。抵抗すれば殴られ、もう抵抗する気もなくなってしまった自分。 桔梗は俯いたまま涙をこぼした、声は、あのときと同じく反響するだけで、外には聞こえそうもない。大声で泣いても誰も気付かない。あの男爵でさえも。 そんな日々を過ごして暫く、男爵は後ろから桔梗を絡め取りながら耳元で言った。 「あの奥には、今まで来た花嫁が居る。新しい花嫁を呼んだ。もうお前はあそこへ行くんだ。」 冷たく、卑劣な声に、桔梗の身体は一気に冷め、今まで以上に人形と化した。 男爵はこと済んだ桔梗を床に捨て、鏡の一部をはぐった。 絶叫と、恐怖と、苦痛の中で死んでいった何人ものの死体がすでに腐乱し、白骨化し、そこにあった。 「今まで、見られていたんだよ、彼女たちにも。お前のそのみだらな格好を。」 喘ぐように笑う男爵。 桔梗は恐怖に声も出ない。 その時、玄関のチャイムが鳴る。 男爵は舌打ちをして出迎えに走る。 桔梗は唯一の窓の隙間から下を見た。逃げるなら今しかない。だが、どうやって出る?窓の格子、高さは十分すぎるほどある。扉には鍵がかかっている。 だが運命だろうが、桔梗が見下ろしている視線に、警官の一人が気付いた。 庭の掃除をしているさい、よく会話を交わしたことのある青年だ。 窓を叩いたが、青年は警官一同と一緒に中に入って、捜索願を出している「桔梗」の捜索をした。だが、桔梗の居る東棟には、偽の壁が仕切られ、その向こうは何もないことが証明されてしまったのだ。 もう、助からない。ここから出られない。 桔梗は絶望の中、男爵のにやりと笑う顔が再び訪れた。だが、またしても、今度は電話によって、男爵は一泊出かけなくては行けなくなった。 男爵の車が出ていくのを見届け、扉に体当たりをする。肩に激痛が走り、開きもしない扉は、そこにただある。 何度目かぶつかったとき、鍵の開ける音がする。だがいつもと様子が違うのだ。何度もこじ開けようとする音。 開いた鍵、開け放たれた扉。そこにはあの青年が立っていた。 「早く、男爵が帰ってくる。君を逃がすために来たんだ。」 青年は一気にそう言って、その後襲ってきた異臭に顔をしかめる。ただならぬ生臭さと、腐りきった匂い。 青年は桔梗の姿を見て、自分のマントを掛け、扉を壊して逃げる。 「何故扉を?」 「そうすれば、警官が探すさ。」 青年と桔梗は男爵が向かった町とは逆な、国境を目指して馬車を走らせた。 胸が痛い。焦燥が襲ってくる恐怖に身体が痛いのだ。 青年は、身体を抱きしめる桔梗を抱きしめて馬車を走らせた。 国境が見えた。事情を話し亡命の許可が下りると、二人は晴れてその国の人間として町に降りた。 国が用意してくれた小さなアパート。それでも桔梗には満足だった。 夫となった青年は働き者で、朗らかで、いい人だった。 二人が住み始めて三日後、新聞に男爵の記事が出た。だが、警察の捜査の結果、男爵は世界指名手配者となっているという。 いつか来そうなそんな恐怖を抱いた桔梗を夫は優しく支えてくれた。 だが、その予感は当たってしまった。 家の前で洗濯物を干す桔梗の前に男爵は現れたのだ。 「何故、逃げた? お前は私を愛していると言ったではないか。お前は私のものだと言ったではないか。」 男爵の言葉に、桔梗は鏡張りの部屋に居ると錯覚してしまう。 耳をつんざく轟音がして、男爵は倒れた。 その向こうには、夫が銃を放って立っていた。 泣き崩れる桔梗。夫は正当防衛で拘留されることはなかった。 「もう、怖い物はない。」 夫は優しく桔梗を抱きしめてそう言った。そしてその後、少しの間を置いて。 「これからは私のものだ。いいかい? お前は私の物なんだよ。」 桔梗はぞっとして、でも、しっかりと抱きしめている夫の手を解くことも出来ず、その中で視界に映った、小さな鏡台の鏡に映る自分に、ぞっとしたのだった。 |
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