New York・New York

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 田舎だと思う。寂れていて、あるのは、山と田んぼと、呑気な人たちばかり。活気が無いというか、やる気が無いというか、ここでの生活だけで、満足し、現状を維持するだけに必死な、そんな田舎が大嫌いだった。
 全校生徒の少ない学校。もう、通っていた小学校は廃校になっているし、中学が隣りの教室だという高校も、後数日で終わる。
 どうにかして、私は、私のやりたい生活を送る。
 東京なんかじゃだめだ。あんなちっぽけで、大きな夢の見られそうもない、ただ人の多い街じゃだめだ。どうせ出るなら、世界に目を向けなきゃ、そう、アメリカだ。ロスだ、ニューヨークだ!
 決めたぞ、私は、ニューヨーカーになる。英語は得意じゃないけれど、生活苦しくなったら、身体売ってでも生きていく。人間死ぬ気になれさえすれば、生きていける。それがあまりにも危険な思想であることは重々承知だ。でも、絶対行きたい。
 何が何でも、私の道はここにはない、アメリカにこそ有るのだ。
 親には買いたいものがあるからと、新聞配達から、バイトを許してもらい、アメリカに行くなど一言も言わずに三年、何とか行くだけのお金は貯まった。
 三十万。行くために二十五万、五万足らずで生活の居住を確保しなくてはいけない。
 生憎と、ニューヨーク直通便が、三十万に近いため、一路ロスに向かって、一年でも、二年でもかかって、ニューヨーク入りすることに計画は決まった。
 親に言えば反対されるに決まっている。だから、東京までは、誰かのコンサートを見に行きたいと嘘を宣告した。
 一緒に暮らしていた、唯一の理解者である婆さんには、隠れて小遣いまでもらったが、家出同然、勘当同然で出ていくため、後で解るように机に婆さん宛に金はおいていくことにした。
 そう、引き返す気はない。最小限且つ、戻ってきても、居心地が悪くなるように、大好きなものは持っていく。
 薄々気付いているかもしれないが、そんなの止めなきゃ始まらないんだよ。
 私は行く、親に反対されて後で後悔したくないから。
 とうとう私は飛行機に乗った。東京まではあっという間。引き返すなら今だという時間さえ作り、再度行く決心を付けて、ロス行きの飛行機に乗り込む。
 リュックサック一つの私の格好はやたらと目を引くらしく、税関の親父が怪訝そうに私を見る。
 空港を出ると、そこは果てしのない夢が詰まったアメリカだった。
 気がつけば周りは皆外人で、と言っても、私がこの場合外人なのだろう。
 そうそう、私の名前は、笹本 美鈴(ささもと みすず)。高校卒業したての十八歳。あまりに若い無謀な旅だと思うだろうが、私にとってしてみれば、かなり遅い計画成立なのだ。
 本当なら、中学卒業と同時に行きたかった。でも、金がなかった。全ては金だ。生きていくために草を食べるのもいいだろうが、それにも限度がある。そうなれば、やはり金だ。
 ロスの気候は結構熱く、湿気がない分、まだ過ごしやすいかもしれないが、その分肌から水分が蒸発して、肌が痛い。
 とにかく、私はベガス行きのバスに乗り込む。
 ラスベガスで金を稼ぎ(手っ取り早いが、無くなるのも早そうだが)ニューヨーク行きを早めようと思った。
 ラスベガスのカジノタウンは、思いの外活気付いていて、人の波に乗って、人の多そうなカジノにはいる。
 入ってすぐ、パスポートの掲示を求められ、「十八だって?」と驚かれる。
 どうも、小学生かそのくらいに間違えたようだ。
 私はむっとしながらルーレットに向かう。知っている遊びはそのくらいなのだ。
 椅子に座ると、ボーイが「換金?」と近付いてきた。
 私は千円ほどをチップに変え、半額を、私のラッキーナンバー「六」に賭けた。それは、私の誕生日であり、生まれた時間でもある。
 ディーラーがどんな細工を使ったかは知れないが、玉は六のポケットに入った。
 持ち金がアップした私はその半額を今度は、「十六」に賭ける。
 また、見事にポケットに入った。
「ビギナーズラック。」
 と言う声がして、人々が私の賭けるところを注目した。それをあえて私は「赤」に賭ける。悲観と、非難の声が上がる中、玉は赤のポケットに入った。
「なんと言われても、勝てばいいのよ。」
 その言葉の後、ディーラーの手が玉を放るのに、一瞬躊躇したようだった。だから、私は三枚だけチップを掛けてサイド「六」に置く。
 チップの少なさに文句を言っていた隣の客の前で、玉は「六」以外の数字に入った。
「キャッシュ。現金で交換してください。」
 その言葉にボーイが次を進めるが、私は断固として首を振り、現金と引き替えた。
 この結果、おおよそ三十万が手に入った。手持ちと合わせても、結構な額だ。高速バスを使って、一気に行ける。高速バスの時間が、三時。ただいま、一時。

 私は気合いを入れて歩き出した。地図と、時計と、コンパスを頼りに。
 ベガスの街を過ぎ、砂漠へと踏み入れてすぐ後悔しそうになったが、そのまま歩く。そう、私はニューヨークまでの旅費を少しでも削減しようとしたのだ。
「どこ行く気?」
 いきなりの日本語に振り返ると、ジーンズを履いた青年が立っていた。年の頃は二十歳前後、悪くない顔をしているが、だからといって、行き先を答える気はない。
「あ、俺、塚本 耕介(つかもと こうすけ)。」
「だから?」
「否、何処、行くの?」
「何で言わなきゃ行けないの?」
「否、何処に行くのかと。」
「何で言う必要があるわけ?」
「気になったから。」
 彼は長い間アメリカにいるようだった。ジェスチャーがアメリカのファミリードラマのように、大袈裟で、よく動いた。
「たかだか名前を聞いただけで、何で行き先を教える必要があるの?」
 私は踵を返して歩き出す。彼、耕介は後をついてきていた。
「付いてくるの勝手だけど、後悔するわよ。先に言っておくわ。」
 私はそう言って、耕介を無視して歩いた。
 アメリカに行くために、もしかしたら、ヒッチハイクなども考えたから、一日一時間の徒歩練習を欠かさなかった。だからといって、この錬歩が成功するという確証はない。所詮一時間の道のりと、一日歩く道のりでは違うのだ。
 無言で歩くこと数時間が経って、横を高速バスが通り過ぎて、私は時計を見た。かれこれ三時間が経っている。
 長距離バスを相手にした店が見えてきた。
 私は迷わずそこに入る。冷房の効いたそこに一息を付くと、後から彼も入ってきて同じようにため息をこぼした。
 私はわざと無視を決め、席に座ると、その前の席に彼は腰を下ろした。
「何処まで付いてくる気?」
「君が行く先を教えたら、」
 呆れた。どうしたら、ここまでついてこれるのだろうか、物取りでも、レイプでもそこまではしないだろう。だが、気は抜けない。何せ、この国では、自分以外は全て敵なのだ。
 だからといって、彼をこのまま連れて行くには、彼にも悪い。何も意地になって言わないこともない、今からなら、ロス行きのトラックに便乗して帰ることも出来よう。たまに知り合った日本人に、我を忘れてついて来たのだろうから。
「ニューヨークよ。」
「ニューヨーク?」
 彼の絶叫に、店の店主が私の方を見た。
「歩いてかい? 一人で? 横断する気かい?」
「連れが居るように見える?」
 私は店主にレモンスカッシュを頼み、深く座り直した。よく見れば、垢抜けした中性的な顔立ちだ。でも、その身体についている筋肉は、女として化けることはなさそうだ。
「解った? 引っ返して。」
「それなら尚更、一緒に行くよ。」
「聞いたら帰るって言ったじゃない。」
「言ってないよ。教えてくれたら、で切ったから。」
「卑怯よ。何? 金?」
「お金と言いな。」
 逆に言い換えされてむっとする私に、彼は言った。
「これから先はディスバレーだよ。そんな軽装だし、軽装備で渡れると思うのかい? ヒッチハイクをする気もなさそうだし。」
「英語が通じないの、いいえ、話せないの、危ない目には遭いたくないわ。」
「無茶というか、無謀というか。」
 彼は呆れて言ったが、暫く考えてから「じゃぁ、俺が飽きるまでついていく。それでいい?」
「飽きるまで?」
「そ、「金」を巻き上げ、捨てる機会を伺い、成功するまで。」
「狙われているの解ってて一緒する気はないわ。」
「気にせずどうぞ。俺は後からついていくから。その代わり、このディスバレーを過ぎるまでは、ヒッチハイクして車に乗ろう。」
「勝手な言い分ね。」
 彼は白い歯を見せて笑った。
 二人分の食事に文句を(誰が金・お金を出すって言うのよ)言いながら、彼が話を付ける間、私は店の前の樽に腰掛けていた。
 彼は流暢な英語でしゃべり、早速車を見つけた。
 ナンシーさんという金髪の美人は、愛想良く私たちを乗せてくれた。
「ディスバレーを出た所で降ろすのはいいけど、あの辺りに泊まれるモーテルはないって。」
 彼が通訳をする。私は暫く考えていた。その後、ナンシーさんが右手を指さし「あれがディスバレーを題材にした映画のロケ地跡。もう、ほとんど何もないけどね。私ね、よく週末こうして車を走らせるの、今日は、ウインスローまで行くけど、一緒に行く? そこなら安価なホテルを紹介できるわよ。」と微笑んだ。
 私は不可抗力ながら(英語が話せないのだから、仕方がないが)それに従った。
 飛行機内で興奮してたし、ロスでも、歩き初めてからも興奮してた所為か、車に揺られて一時間ほどが過ぎて、私は不本意にも眠ってしまった。
 目が覚めたのは、喧騒が耳についた頃だった。すでにウインスローの市街地らしく、人が行き交っている間を、ナンシーさんの車は通り抜ける。
 寝ていたことなど知らなかったように、二人はその話題に触れず、早速ホテルを案内してくれた。
 安価なホテルと言うだけあって、アメリカ映画で見る、麻薬中毒者達のたむろってそうなホテルだった。
 玄関の回転ドアをくぐり、受付に行くと、鼻眼鏡をした老婆が座っていた。
「生憎とね、一部屋なんだよ。日本人だろ? 日本人は嫌いなんでね、部屋を汚されたくないんだ。嫌ならいいさ、よそ行きな。」
 そうまで言われると、彼と同じ部屋を使うしかなかった。
 部屋はベットが一つ。トイレと風呂場が一緒になった個室。クローゼットなど無く、くつろぐには、ベットしかない。
 ナンシーさんが部屋に顔を出して「気に入ったかしら?」と言った。
 生憎と気に入りません。と言う顔など出来ずに、愛想笑いを返すと、ナンシーさんは「お休み」と消えた。
「さて、どうする?」
 私は立ったままで、ベットに腰掛けている彼を見下ろした。
「そこで寝れば。私は、ここで寝るから。」
 と壁伝いに腰を下ろすと、
「ネズミ。」
 の声に反射的に立ち上がる。
「嘘。」
 彼はベットに腰掛けたままで寝ころんだ。
 私は座ることも出来ずに立ったままで居る。
「しんどくない?」
「そうしたのは、あなたでしょ?」
「こっちにお出でよ。」
 私が顔を背けると、彼は鼻で笑い「変なことしないって。」
「変なこと? 何よ。」
「たとえば、セックス。たとえば強盗。」
「……。セックスじゃなく、レイプでしょ。」
 私の言葉に彼は口をつぐみ、見返した。しっかりと見返す目の色は日本人のそれとやはり一緒で、奥の黒が少し揺れ「こっちで寝るんだ。俺がそっちで寝るから。」と静かに言った。
 かなりの低音と、凄むような声色に、一瞬息を止めたが、彼はすぐに曖昧で、不貞不貞しい笑いを浮かべて立ち上がった。
Two Day
 翌朝、私はベットから伸び伸びと起き上がった。彼は床に足を投げ出し、壁にもたれて寝ている。
 何もされてない。服だって着ている。時間はまだ五時だ。
 私は静かに起き上がり、彼に毛布を掛け、部屋を出た。
 受付のベルを鳴らし、宿泊代を支払うと、残っている彼の分の、多分足りると思うだけの金を渡し、残りは彼に渡すことをきつく告げてホテルを出た。
 街は静寂の中に眠っていた。看板に捨てられた新聞が絡まっている。
「ニューヨーク。」
 看板が指し示す方へと歩き出す。
 朝早くに歩かなければ、体力が無くなる。昼間は日陰にでも入って休み、夕方また歩く。そうすれば、早くつくはずだ。
 朝早く目覚めたことが良かった。そう自覚して歩くこと一時間。やっとの思いで開いている長距離トラックの止まっているスタンドに立ち寄る。
 私は息を飲んだ。その店に彼が居た。しかも、二人分のホットドックを買って座って、コーヒーを飲んでいる。
「帰らなかったの?」
「言ったろ、飽きるまでって。」
「いつ起きたの?」
「出ていってすぐ。あの婆さんが起こしに来た。金巻き上げられてないかってね。」
 私はむっとしながら、彼の前に座った。彼の差し出すホットドックを頬張る。
 アメリカじゃぁ、普通サイズらしいが、かなり大きく、食べ応えがするが、すぐにお腹がすきそうだった。
 再び歩き初めて、昼前、十一時になって、小さな街に辿り着き、そこの公園で休むことにした。
「足、いたぁい。」
 私は噴水に足を浸す。
 そう言えば風呂にも入ってない。昨日は、一緒の部屋だったから、気兼ねして入らなかったのだ。足だけでもこんなに休まるとは思ってなかった。
「そうだ、水、買わなきゃ。」
 行きながらミネラルウォーターを買い続けなきゃ行けない旅ほど、苦痛はない。私がため息をつくと、首筋にひやっとした感触が張り付いた。
 ぱっと立ち上がり振り返ると、彼が立っていた。
「な、何?」
 怒るまもなく、彼がよく冷えたビールを差し出してきた。
「気持ちいいぞ。」
 私は黙ってそれを見つめていたが「未成年なのよね。それに、アル中の親持ってると、大嫌いなのよね。」
「み、未成年?」
 彼は驚いて缶から口を放した。
「なるほど、無茶なわけだ。」
「何よそれ。」
「子供だから、苦労を考えないで行動するってこと。」
「そうよ、いいじゃない、今しかできないんだから。」
 私の言葉に彼はビールを降ろし、「そうだな。」と呟いた。
 なんだか、少し寂しそうな言い方をした。
 彼はビールとジュースを交換してきた。
「これって、」
「ミドルだよ、日本じゃぁ、考えられないよな。」
 と言うほど、それは大きかった。
 私はそれに口を付けた後で、「お金持ってたの?」と訊いた。
「ああ、宿のつり。凄い剣幕でつりを渡せって言ってたって、で、すぐに出たから、まるまる残ってるけど。」
「いいわよ、もう。」
「へぇ、そう金の亡者ではないんだ。」
「それで、ロスに帰りなよ。いい加減、付き合うの飽きたでしょ?」
「全然。結構楽しいんだけど。」
 私は呆れて彼の顔を見つめる。ため息しかでない。
 夕方になり、日が陰りだした。歩くのを再会してすぐ、彼が車を止めて、ほぼ強制的に乗り込まされ、サンタフェに着いた。
「明日は、列車で行かないか? 有名なサンタフェの列車。」
「行けば。」
「お金ないんだよ。一緒に乗ろう。」
 彼の説得に納得する気はない。でも、それも一興だと思う。私は頷くと、彼は子供っぽい笑顔で頷いてきた。
 ここでのホテルも、日本人だからと言う理由で同室を余儀なくされた。
 やはり、風呂にも行けずに、でもベットには寝ている。
 サンタフェの列車に乗り込む。車内には観光客の一団と顔見知りになり、車内レストランで食事を取って、楽しくオクラホマの駅で下車した。彼らがオクラホマに滞在するからだ。
 彼らと泊まるホテルは、彼と別の部屋を用意してくれた。
 ただし、シングルの、それでも、今までの二つのホテルの二倍の金額を取られ、やっと風呂に入ったが、一人で居る室内はどうも居心地が悪かった。
 夜の間に服を洗い、干し、朝には乾いて、同じ服を着る。

「今日は、カンザスまで行きたいわね。」
 ホテルを出て玄関で彼にそう言うと、彼は俯いて足元を見ていた。
「疲れた? だから言ったじゃない、帰ったら? って。」
 彼がすっと顔を上げて、むっとした顔を見せる。
「買い物しましょ、水と、」
 私はホテル前の免税店に向かう。
 彼も後をついて来ている。水を取り、靴屋に入る。
「彼に合う靴をさがしてください。」
 定員に言うと、彼は驚いていたが、私はそんなことを無視して、自分用の靴を見る。
「ウォーキング用の靴よ。」
 そうして合わせてお金を払うと、彼はその靴をただ見ていた。
「行くんでしょ? ニューヨーク。だったら、そんな靴じゃぁ、重いし、痛むわよ。」
 そう言うと、彼は微笑み、まさにキスでもされそうなほど友好的な顔を見せた。
 そうして歩き出したが、当初の目的である、カンザスにはほど遠いい場所で野宿となった。
 結構町中よりは安全かも知れない。車も通らず、在るのは星空と、彼と、私だけ。
 岩陰でキャンプを張る。寝袋は私の分しか無く、彼は私の上着を羽織っているだけだった。
 真夏だというのに、流石に風が抜ける荒野だ。寒くて、火の側に居ることに幸せを感じる。
「何で、ニューヨークなんかに?」
 彼の言葉に私は首を振ってから答える。
「それは解らないわ。でも、田舎から出たかった。ニューヨークでないとと思ったのは、ただの思いつき。本当は東京でも良かったと思う。でも、それじゃぁ、親に見つかって、連れ帰られそうだったから。」
「家出?」
「そうね。でもだからって、家に不満があるわけじゃない。いいえ、有るわ。山ほど。体裁を気にするあまり、兄さんを見殺しにした両親。中学受験に失敗して、ノイローゼにして、殺して、逃げるように山の中で農業している。私への接し方はまるで、兄さんへの恩返しのように、恭しくて、よそよそしくて、」
「だから、困らせたかった?」
「かも知れない。心配して欲しかったのかも知れない。でもそれがいつしか、本当にニューヨークに行って生活したいって野望に変わっても、自分では驚かないわ。だって、東京なんかに住むよりもずっと、お洒落だし、夢が詰まっているし。」
「素敵なことだね。でも、それが本当じゃなかったら?」

「売春でもして生き続けるわ。家にも、帰ってくるときは白骨死体よ。って書き置きしてるから。」
「恐ろしい事書いて残してきたんだね。」
「でも、そのくらいの覚悟は感じて欲しかったのよ。じゃないと、すぐに帰ってくるだろうなんて思っていて欲しくなかったからね。」
 私は掌に包んでいたカップに目を落としていた。焚き火の照り返しに水面が揺れている。その水面に影が落ちる。顔を上げると、彼の顔が近付いてきている。
「な!」
「動くな、サソリだ。」
 彼は素早くサソリを掴み、私に見せた後どこかへと放った。
「毒はないけど、痛いからね。」
 後寸前で触れてきそうなほど顔を近づけて彼はそう言った。
「こういうときは、目を閉じるんだよ。」
「こういう状況下でくっついた男女は破局も早い。ふざけないで。」
 私の言葉に彼は身を引いた。
 彼は私に合わせている風がない。かといって、自由な行動をとって、私を怒らすこともない。常に後ろからついて来ていて、時々、休みや、宿を進める程度で、会話もしなければ、怒りさえも向けてこない。
「あなたは、何が楽しいの?」
 私の言葉に彼は少し考えて「さぁね。」と呟いた。
「楽しくないのに、私について来ているの?」
「ああ、格別な理由が無くても、いいと思う事って有るだろう? それに、君は俺を迷惑だとは思ってないはずだ。」
「どういう事よ。」
「じゃないと、靴、買ってはくれないだろ? それに、水だって。重いのに、一人で担ぐなんて事はしないはずだ。もし、俺が疎ましくて、帰ろうがどうしようが平気なら、水は買わないだろうし、靴だって以ての外だよ。君は俺をパートナーと認めている。違う?」
「……。干し肉要らないなら食べちゃうわよ。」
 私は干し肉を口に入れた。確かに、そう思っていなければ、靴も、水も買え与えたり、今だって、夕飯を一緒にはしないはずだ。

 私の中で、彼はどう言った存在なのだろう。
 寝袋に入り、彼に背を向けて横になる。
 昔は大嫌いだった。こんな土の上で寝るなど、死んでもするかと思っていたのに、今では平気でやっている。
 星が瞬きを止めない。
 私は仰臥して再び彼について考えた。
 彼は一切何も言わない。そう言えば、ヒッチハイクをしたとき、私は腹痛でしんどかった。ディスバレーはともかくとして、気付けば、私の体調を考えているような節がある。もしそうなら、私は彼が居ないとこの先進めないのではないだろうか?
「何を考えてる?」
 彼の横を向いたままの声がして、私はどきっと胸を打った。
「あなたの必要性について。」
「で、どう? 必要?」
「解らないわ。私が今まで一人で歩んできたのなら、あなたはもう必要じゃないと思う。でも、私は、一人で歩いてきてなど居ないわ。」
 彼からの返答はない。静かに風が過ぎ、顔に触れる髪の束がくすぐったい。
「とりあえずは、縁でしょうね。たまたま好奇心を抱いた相手が途方もないことをしている。それに付き合ううちに、自らも参加していた。私としても、一人よりは心強いし、あなた以外の見知らぬ人よりは、少なくても安心できるわ。」
「じゃぁ、名前教えてくれる?」
 彼が腹這いになって起き上がり、私を見下ろす。
「あなたが勝手につけて。ニューヨークまでの、私の名前。ね、ロマンチックでしょ? まるで映画ね。そうだ、ニューヨークに着いたら、自叙伝出して印税で左うちわね。」
 私が笑うと、彼も首をすくめて笑った。
「じゃぁ、涼夏(りょうか)。涼しい夏で、涼夏。」
 彼はそう言って空を仰いだ。
「涼しい夏。いいわ。涼夏ね。えっと、耕介だったわね。さん付けがいい?」
「否、呼び捨てで結構だよ。」
 お互い微笑みあい、私たちは眠った。

 埃っぽい風に目を覚ますと、夜が明け始めた頃だった。
「凄い、日の出。地平線の日の出なんて初めて見た。そもそも日の出なんて見たの初めてだけど。夕日にも感動したけど、日の出の方が御利益有りそうね。」
 私の独り言に耕介が笑う。振り返ると、肘をついて耕介は起きていた。
「そろそろ行く?」
「そのつもり。」
「今日辺り、カンザスに着きたいな。」
 私が頷くと、耕介がリュックを背負った。
「泥棒!」
 思わず言った私に耕介はむっとしたが、「昨日連盟組んだだろ? 今日は俺が背負う。明日は、涼夏が背負えばいい。そうすれば、少しは早く行ける。」
 私は納得して頷く。いつものように先を歩く私の後から、耕介は何も言わずについてくる。
 バスストップが見えてきた。そこで昼食を取ると、カンザス行きのカップルと知り合い、カンザスまで乗せて行ってもらうことにした。
 やはり、英語が話せるのと、話せないのとでは、目的の進む早さが違うと、私は実感した。
 カンザスに着くと、そこは今までとは違った街だった。カントリーな雰囲気を残しながら、近代的で、耕介が時々顔をしかめたため、今日はここで宿を取った。
「別々でなくていいのか?」
 安いホテルの、一個しかないベットと、個室の風呂場にトイレ。それだけのいつもの部屋。
 私は頷き、耕介を座らせて、靴を脱がす。
「やだ、まめ!」
 破れて血が吹き出ている。
「もっと早くに靴換えるべきだったわね。」
「否、無理した俺の所為だから。」
 手当てするにも何もない。私は持ってきた三枚しかないTシャツの一枚を裂いた。
「涼夏!」
「いいの。Tシャツなんかは買えばいいんだから。明日、ドラックストアーで、薬買うまでは、このままで居て。」
 私はまめの辺りに巻き付けて立ち上がる。耕介が見上げている。
「何よ。」
「ありがとう。」
「出世払いね。靴も、水も。」
 私はくすくす笑いながらそう言って風呂場に向かった。
 もう、別に危険はない。回避されたわけではないが、危険の中にいると、危険の度合いが分かる一方で、麻痺してくる。だから、もう余計なことは考えないで、風呂に入った。 風呂上がりに、用意された妙な匂いのある(生乾き)のガウンに袖を通して出てくると、耕介はいつものように壁にもたれて座っていた。
「寝にしてんのよ、ベットに座っていればいいのに。」
 そう言った私を耕介は見上げて、私でも解るほど赤面をして顔を背けた。
 私は自分の格好を見た。ガウンは膝丈まである。透けて見えるようなものじゃないが、タオルや、シルクのようなものでもない。ブラジャーはしているし、パンツだって履いている。
「何で、赤い顔するのよ。」
「お前、馬鹿か?」
 いきなりそう言い出す耕介にむっとしながら、耕介の赤い顔を見て黙っていると、
「そんな格好で出てきて、どうかしてくださいって言うようなものだぞ。何考えてんだよ。」
「何よ、襲うとか、言ってたのは、そっちじゃない。」
「そんな気あるわけないだろ。」
「どうせ、魅力無いわよ。」
 私はぷいっと顔を背けた。背けて、なんと言うことを言ったのだろうかと、耕介の方を見下ろす。
「ち、違うわよ。ただ、服は全て洗ったの。着る服が無いだけよ。別に、そんなこと意識してないわよ。何よ、意識してるのは、そっちじゃない。」
 私はベットの向こう側に回り、耕介に背を向けてベットに腰掛けた。びしっと音がするスプリングの悪いベットに、ため息しかでない。
「そのままで寝るの?」
 私が暫くして訊くと、耕介は寝入りかけだったのか、返事が遅く、鈍かった。
「ああ。何で?」
「足、痛いでしょ? 替わろうか?」
「いいよ。涼夏はあくまでも女の子なんだから、そこで寝な。」
「だって、耕介ずっと、」
 私が振り返ると、耕介は身崩れしたように左に傾いで寝ていた。
 私は耕介の傾いでいる左側に座り、耕介の頭に触れる。
「ん?」
 と起きた耕介の頭をそのまま膝の腕に押しつける。
「涼夏?」
 私は何も言わずに目を閉じた。
 目が覚めると、私は耕介の腕の中で寝ていた。ベットの上で、耕介の腕枕で目覚めた。一瞬、耳をつんざく声でも上げようかと思ったが、あまりにもいい寝顔で寝ている耕介に、何も言えなかった。でも、布団を少し持ち上げ、ガウンの着崩れがないことをちゃんと確認した。
「ん?」
「起こした?」
「起きたのか。お前って、結構重いな。」
 私は耕介の顔に枕をぶつける。息苦しさに耕介は飛び起き、枕を振り回す私の腕を捕まえようとする。
「煩いなぁ。年頃の乙女に向かって、重いだとぅ?」
 そう言いながら枕を振り回していた私の腕が、二本とも耕介に捕まえられる。枕が音を立ててベットに落ちる。ぎしぎし言っていたベットが静かになり、部屋中が静寂に包まれた。
 私は腕を掴まれ、その腕は、ベットに押しつけるようにして降ろされている。見える視界に、はだけた隙間から、ブラジャーが見えているのが、顔を上げられなくしている。
 耕介が左手を解放して隙無く、私を抱きしめ、はだけて見えていた肩に顔を押し当ててきた。
 声じゃないな。と冷静に分析できる声で拒否すると、耕介によって私は押し倒される。見上げた天井。肩で息をしている耕介の顔。
「未成年者暴行罪って、重いんだよね。」
 私は冷静にそう言うと、耕介は「だから?」と聞き返し、その顔をまた肩に、首筋に息を吹きかけてきた。
「嫌だって!」
 私が声を出した直後、戸が叩かれ、「静かにしやがれ、」という怒声が廊下から聞こえてきた。
 耕介ははっとしたかのように腕を、身体を解放して、ベットに、私に背を向けるように腰掛けた。
 私は起きあがり、胸を直す。
「もう、一緒にいかれやしないな。」
 耕介がやっと口にした言葉に、私は聞き返してしまった。
「こんな事があった後で、涼夏が俺を信用してくれるとは思えないからな。」
 耕介は、「涼夏」と悲しげに言った。私は美鈴であって、涼夏などと言う、耕介の理想の子ではない。そう言いかけて、私は思った。
 私、耕介が好き。
「平気よ。そりゃ、驚いて、嫌で、もう二度として欲しくないと思うけど、ニューヨークに行くまでは、パートナーじゃない。逃げないでよ。それとも、疲れて家に帰りたいの?」 私の言葉に挑発されたように、耕介は振り返った。
 夕方だった、出発するが遅いから、二泊しようかとも思ったが、階下の宿泊客が煩いと苦情を言い出したため、出ていくしかなかった。どうせ出ていくのならと歩き出す。
 夕闇が迫る頃、程良くモーテルが見えた。
 荒野に建つモーテルに、よく愛人連れで来る会社上役は多いと、耕介は言った。
 部屋の内部は紫で統一されすぎていた。ベットも紫、電話も、水槽内の魚も、トイレも、風呂場も、あらゆる全てが紫だった。
「嫌に落ち着く部屋ね。」
 嫌味に言うと耕介は笑いベットに腰掛けた。
「足、痛むの?」
「否、手当が良かったんだろう、痛みはないけど、流石に、歩き続けるとしんどいな。」
 私も同じだった。頷くと、二人してベットに倒れ込んだ。ただゆっくりと眠っていたくて、二人で、翌々日の朝まで眠った。
Eight Day
 朝早くから歩き出し、トラックステーションについて昼食を取る。そこで、老人と出会う。彼はジョンと言って、ニューヨーク側のフィラデルフィアに向かうという。耕介をいたく気に入り、どうしても同行を強制した。
 だから、二日、その間、セントルイスで一泊して、フィラデルフィア入りをしたのは、夜も更けた頃だった。
 そこで、長年愛用している古ホテルを紹介された。
 女将は、まるで古き良きアメリカの遺産のように小太りで、丸眼鏡を掛けた老婦だった。
 同じ部屋で寝泊まりすることに何ら抵抗が無くなってきている。それは良くないと思っていても、私には、それを直す気はなかった。ただ、耕介はそう言うとき必ず部屋の外に出る。そう、下着だけで風呂場から出てくるとだ。
Ten Day
 私たちは老婦と別れ、歩き出した。ゴールが近いと確信したら、足が軽い。トレントに着いたのはその頃だった。
「後少しだな。」
 そう言う耕介に私は「百里の道、九十九里に来てなおまだ。」と言った。
 耕介が顔を覗く。
「後少しより、まだまだと思えば、早く着いた気がして、目標達成しやすい。もう少しがどれほど長いか知れないからね。」
 私の言葉に同調するように耕介は頷くと、今日はここで泊まることにした。
Eleven Day
 朝が明けた。これが最後の錬歩だ。そう思うと、気が楽になる。
 だが、これが終わると耕介と別れなければならない。自分で言ったじゃないか、極限状態の男女は恋いに陥りやすいが破局を迎えやすいと。有り得ないことに憂鬱になる気はない。
 私は耕介と黙って歩いた。
 そうして、喧騒が徐々に強まり、雑踏が、騒音が、そして、目の前に高層ビル群が見えて、私は耕介に抱きついた。
「やったぁ、着いたぁ。」
 耕介も私を抱きしめた。
 お互いぼろぼろの服装。そして、汗で色の変わった服。
 私は耕介に離れると、手を差し出す。
「ありがとう。また逢いましょ。」
 と言う私の手を耕介はすぐに握った。お別れは早いのね。と思っている私を引っ張り、耕介はあるホテルに入る。高級で、いかにも高級仕様者しか入れないホテル。客は二人の小汚さに注目するが、どの従業員も一度が身動きしたが、立ち止まっている。
「耕介さん!」
 私は声の方に振り返る。綺麗な着物を着た日本美人だ。
「まぁ、あなた、どうしたの?」
「ナンパしてましてね。で、お母様、部屋を用意し、彼女の服も用意したいのですが、あるますか?」
 私は耕介から逃れようと手を捻るが、耕介は負けじと手を強く握っている。
「まぁ、どなた?」
「妻ですよ。僕の。」
 耕介はそう言ってエレベーターに乗り込む。勿論手を握られている私も同様だ。
「何? 何? どういう事よ。妻だとか、お母様だとか! 」
「ここが俺の家。否、俺の母親が経営するホテル。目の前のビルが父親の会社。」
「御曹司?」
「よく知ってたね、そんな難しい言葉。」
 エレベーターが何処かにか止まり、耕介は私の手を引いて、フロントでもらった鍵の部屋にはいる。
「何、この広さ。」
「狭い方だよ、ただのダブルだ。風呂に入ってお出でよ、その頃には服も来ている。」
「そうじゃないでしょ。」
 私は黙って頷くと、リュックをこっそりと持ち上げて戸まで行く。良かったのは、ベットに腰掛けた耕介から、風呂場も、入り口も見えないことだ。
 戸を開けようとする私の背後に、気配を感じる。振り返ると、耕介が顔を近づけてきた。「何を臆してる?」
「あなたの金。」
 耕介はくすっと笑い、私を抱き上げ、風呂場に連れて行き、バスタブに放り込むと、そのまま水をひっかぶせた。
「冷たい!」
 シャワーの取り合いをする。風呂場は水が飛び散り、トイレだって水がかかり、拭くためのはずのタオルも、フェイスタオルも水に濡れた。
 耕介はバスタブに入ってきて、この前のように私の手を掴み、私を押さえ込むと、今度は肩ではなく、唇に触れてきた。
 シャワーの水が音を立てて出ている。
 耕介の手から解かれた私の手は、耕介の首に回り、息も出来ない接吻を繰り返す。
 耕介が私の服を脱がす。脱いですぐに寒くなって私がくしゃみをすると、耕介は熱めのシャワーを調節して出してくれた。

後書きーーーJIJiさんに指摘してもらったけど、アメリカは、二十一過ぎないとギャンブルはだめなんだって、知らなかったぞ。
おかげでおかしい話を書いたけどさ、この美鈴の「帰ってくるときは白骨死体よ」って言う無謀さは、やっぱり十代のうちだろうなって思うのね、だから、気にせずに。でも、だからって、二十一以下の君、ギャンブルはちゃんとした年齢までまとうね。(???)

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