切なくなるものは嫌だ。キスも、セックスも、別れるときの重荷になる。だから、私は拒否をした。彼がどういう気持ちでそう言う行動に至ったのか知らないし、解らないし、解りたくもないけれど、彼はそれ以来、姿を見せず、私が思っていたとおり、元の鞘に戻っていった。 赤く腫らす目なんか無い。不自然に笑う気もない。付き合ったからと言って、そんなに楽しくもない。みんな、外見に騙されている。 おとなしい? 優しい? そんなの嘘よ。私は、大人でも、優しくもない。子供で、誰かに甘えていたい。ずっと抱きしめていて欲しいだけ。 一人で居る真っ暗な部屋。通りを過ぎる車のライトが通りすがりに照らすだけ。電気代がもったいないからね。そう言って暗い中に自分を押し込め、私は一人でビールを飲む。 好きな歌は、坂本九の【涙君さよなら】。幸せそうな歌じゃないか。あたしと違って。 かかりもしない携帯電話は、ベットの下に放って埃すらかぶっている。一人暮らしを始めるから、危ないから。と最初こそ心配していた両親からもかかってこない。兄弟も、同僚も、誰からも。 飛び跳ねてしまうほど、久し振りに聞いた【涙君さよなら】。それは、私の着メロ。ベット下から携帯電話を取り出し、着信番号を見て眉をひそめる。 「誰?」 一曲聞き終わる頃電話に出る。 「おっせぇぞ。」 男の声だ。 「何で早く出ないんだよ。」 「出る気、無いから。」 「あれ? 汐崎の携帯じゃない?」 「誰、それ。」 「あ、否。ごめん。間違い電話してるわ。」 「そのようね。」 「暗いなぁ、そりゃ、間違えたのは俺だけど、そう、暗く言い返さなくても。」 「勝手でしょ、切るわ。」 「うわ! 待った。なぁ、暇してたら、電話続けないか?」 「何で?」 「どうも、俺、間違った電話教えられたみたいだからさ。」 「そう。でも私には関係ないわ。」 そう言いながらも、私に切る気なんか全然なかった。 「そりゃ、そうだけど。何か、俺、今日土曜日なのに、せっかく誘ったんだぜ、ナイトショーに。なのに、来ないんだもなぁ。」 「何の映画?」 「え? ああ、今はやってる恋愛もの。」 「安っぽい芝居する女優の出てる?」 「あ、オタクも嫌いなんだ。俺もあの女大っ嫌い。」 「よく、似てるって言われるわ。」 「だからって、オタクがあんなんであるわけないよ。」 「どうして解るの?」 指で転がす空缶。いつの間にかすっかり彼の声を聞いている。 「だって、あの女なら、こうして話してくれなかったと思う。そうだ、俺、孝多。考え、多くで孝多。吉野 孝多。オタクは?」 「何で言わなきゃいけないの?」 「いけなくないけど、呼びにくいからさ。」 「教える気はないわ。話してるだけで、十分だと思うけど。」 「……。そうだな。じゃぁ、セリ。なんてどう?」 「セリ?」 「ああ、目の前のいかがわしいラブホテルの名前がパセリだったんだ。」 「そのセリね。じゃぁ、あたしはいかがわしいってこと?」 「そうだよ、俺なんかと話してるもん。」 彼は歩いているようだった。聞こえる向こう側の雑音が、始終変わる。 「いいわ。セリで。」 「じゃぁ、セリ。いくつ?」 「ほとほと失礼な人。もしかして、イタ電? 間違い電話の時点で、イタ電よね。」 「違うって、」 「じゃぁ、テレクラにでも行ったことあり?」 「無いよ。ソープはついこの前、行ったなぁ。」 「相手、どんな人だった?」 「やけに化粧の濃いおばちゃんだった。」 私は吹き出して笑った。孝多は今までの誰とも違うことを返してくる。男どもが好む下ネタも平気な私。それを軽く冗談で返してくる。 「変なやつ。」 「俺?」 孝多の言葉に更に顔がほころむ。 「静かだね、そっち。」 「そうね。周りは閑静な住宅地って所かな。」 「金持ちなんだ。」 「そうじゃないわ。ただの間借りだもの。」 「居候?」 「アパート暮らし。」 「一人?」 「そうよ。」 「良かった。」 「何が?」 「彼氏が居たら、切られるから。俺、セリの声、好きだな。」 私は受話器を落としかける。 「な、何を言ってるの?」 「何で? 好きなものは、好きだよ。あの女優に、セリの声が合うかどうかは疑問だけど。」 私は黙った、孝多が呼ぶ「セリ?」の声に返事が出来ない。 私の声が好き。そんなことを言ってくれた人など一人も居ない。必ずみんな、身体か、顔を褒める。ばかばかしいから、いちいちそんな言葉は覚えていない。 「セリ? 俺、何か悪いこと言った?」 「ごめん、言われ慣れてないから。」 「声のこと?」 「そう、好きだって。」 「そうか。じゃぁ、何度か俺が言えば、慣れるかな?」 「さぁね。」 私は知らずに笑っている。気付けば、孝多の話に同調して笑っている。動かしたことのない顔の筋肉が、筋肉痛ですでに痛い。 「で、何してるの?」 「今?」 「学生?」 「ああ、そう言うこと。働いてるわ。高卒で、すでに五年。」 「てことは、二十三?」 「そうなるわね。」 「誕生日は?」 「今日……。」 孝多の足が止まったようだ、聞き返す言葉すらない孝多に、「嘘。」と言い直したが、孝多はそれにすら返事をしない。 また歩き出す音。そして「いらっしゃいませ」の声。何も言わず、金額を要求されている点からすると、コンビニかな? 「夜食?」 「ありがとうございました」の声の後で聞く。 「そんなとこ。で、南に住んでる? 北?」 「何?」 「俺、東台なんだ。」 「へぇ、窓から見えるよ、綺麗だよね下から見ると。」 「そうでもない。家に帰ると、煩い母さんが居るからね。」 「まだ家にいるんだ。」 「これでも、長男だからね。」 「嫁さんは苦労するよ。」 孝多の乾いた笑いと、ジュースを開ける音。私もそれに合わせてビールを空ける。 「で、海は好き?」 「別に。」 「そう。」 孝多は時々こんなことを聞きながらも、でも、それを気付かせないように別の話題を中心に聞いてくる。 「でさ、大学の先輩だからって、俺に仕事持ってくるんだよ。」 「居るね。そう言うやつ。ろくに仕事も出来ないくせにさ。」 「そうそう。そのくせ、偉そうに言ってんの。」 「解る、解る。」 「会社に自転車で行く? 近いの?」 「そうね、自転車で三十分ってとこ。」 「へぇ。何色?」 「何で?」 「それで、セリの好きな色が解るから。」 「別に好きじゃないけど、形が好きだから買ったの。イギリスでよく見かけるような自転車なんだけど、赤なのよね。本当は銀色がいいんだけど。」 話は同僚から上司に移り、そして、お互いの趣味の話へと移っていった。 「そうなんだ、釣りするんだ。」 「そう言うの行かない?」 「うん。まるっきり行かない。家で暗くしてぼーっとする方が好き。」 「暗くして?」 「昼間でも、わざとカーテン引いて暗くするの。今だって、明かり付けてないからね。」「何で?」 「電気代の節約。」 「洗濯物、取り込んだ?」 「何で?」 「雨、降ってきたから。」 「嘘!」 私は立ち上がり、窓を開けた。外に一人の男の人が立っていた。 「初めまして、セリ。僕が、孝多です。」 街灯が照らす浅黒い顔。そんなに目立ってかっこいい訳じゃないけど、私は、彼を知っている。夢で見た気がするほど、彼を知っている。 「何か言えよ。」 受話器から聞こえる声。 「上がっていい? ケーキ買ってきたんだ。蝋燭もちゃんとある。電気、付けてさ。」 孝多の言葉に私は頷くだけだった。 ジュヴナイルに初投稿した作品です。 テーマは、「恋愛」「携帯」「音楽」という あまりにもあたしには同時に存在していない三つで、 書くのに苦労したけど、 とりあえずこれは、11月のノベフェスタ投稿作品です。 |
2001.Novel Festa 7
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