ブラジリアーノ

 ある冬の日のことだった。私は祖母の三回忌で、祖母のノートを見つけた。酷く書きなぐられた大学ノートには、ひらがなの大きな文字が並んでいた。祖母は若い頃ブラジルに渡り、大農場家になった人で、病気でうちにやってきて、冬を越せずに亡くなった。
 来た当初、私はすでに多感な時期で、祖母の存在が鬱陶しかった。祖母が来たお陰で、私は妹と同室になったからだ。
 その祖母が日本に来て必死で覚えた日本語でなにやら書いていることを知っていた私は、それを興味本位で、半ば、馬鹿にする気で読み始めた。中身は、祖母の故郷である高知弁で書かれていて、随分と汚い字ばかりだった。父の話しによれば、祖母は教育も満足に受けられずにブラジルに渡ったそうで、日本に戻ってきた数ヶ月でひらがなをやっと覚えたという。それにしても汚いノートだった。私はそれを本当に汚く指で抓みながら一頁目を読み始めた。

「日本は冬を迎える頃やった。神戸の港には、ようけ見送りの人が来ちょったけんど、あていにはおらんかった。
 あていは、高知の本当に貧しい山の中の六番目に生まれた。姉ちゃん達は集団就職か、奉公に出されよった。あていの親は知能が低い、だから、いくらでも子供を産み、もうえいろう言うばぁ妹と弟が居った。やき、あていも順番で、六歳になるかならんかで高知まちに奉公に出されたけんど折り合いが悪く、田舎に戻るに、もう戻れんかった。帰っても、あていの喰いっぷちは無い。それどころか、奉公年季も満足に終えれんようなもんが、嫁に行けるわけやないし、親も、あていを庇う余裕もなかったろうき、ひもじくも七歳まで喰いつないじょったら、何たら言う施設の人に、神戸にいかんか言われて、食えるならいうて出てきた。神戸での仕事は当時の流行の店の皿洗い。大人になって知ったけんど、その施設言うのは、あていらに働かせたお金の、おおかたを自分らぁの金にしよった。気付いたときには、もうすっかり騙されたあとで、きっと他の場所に行って、同じような子を騙しちょるろう。そんなことしよって、十六になった頃、戦争で中断しちょったブラジル移民団の話しが聞こえてきて、どうせ、高知にも帰れん、行ったら食いつなぐことも出来る。あていは何のコネもなくその船に乗り込んだ。
 船は大きくて、美船と言うだけあって綺麗やったで、そりゃぁ、天国じゃと思うたわね、それに夜になったら、船員さんがいろんなことをしてくれる、ハイカラなこともしてくれた、ダンス大会や、いうて、生演奏もしてくれた。一ヶ月も船の上に居ったけんど、ぜんぜん苦痛や無かったね。そうこうしよったら、船はサンパウロの港に着いた。殺風景な場所で、神戸の見送りが懐かしいくらいやった。みんな、船尾に付けちゅう日の丸を見て、いつか金をつくって帰る気よ。言うて、誓うたもんぜ。あていもあの旗見て、絶対金をつくって帰る。なんて大人の真似したね。周りはほとんど家族やった。そのどれもが物凄く貧乏人で、汚い格好しちょったけんど、でも希望にかがやいちょった。多分、あていも同じやったにかあらん。
 あていは一人やったき、任せれる土地が少なくて、家の世話もしてくれざった。そんなときに声をかけてくれたがが、いずれ夫となる竹彦やった。大人しい男で、東北訛のある言葉を喋ったが、無口やき、ほとんどしゃべらん。あていばっかり話しよった。竹彦は年老いた両親を置いて一人で来たと言いよった。ここで夫婦としておったら、土地の分与と、家を与えてくれる言うき、あていらは夫婦になりすまして一緒に住み出すことにしたが。
 あていらにわけられた土地は、他に五組の家族もおった。みんな同じ車で運ばれて唖然とした。見渡す限りがその土地や言うたけど、そこにあるのは、石と、根が張ったら厄介な草がにょきにょき生えて、まるで、低い密林やった。役所の人はあていらを降ろすと、あていらの文句を聞かずに車で立ち去った。用意された家には、家財道具があって、どうも、先住移民者が逃げたあとらしかった。それでも住む場所は確保できた。けんど、どうで、あていの背よりも高い草じゃ。泣きそうなあていを竹彦はそっと抱き締めて、「頑張ったらいい」というた。竹彦にはどうしても金が要る。あていもこんな場所いやじゃったけんど、日本に帰る金がない。ここで生きていくしかない。だから、次の日から働いた。  その草の根もとをかじりながら、これが想像通りまずうて、草臭くて、食料じゃない。今喰え言われても喰えん。でも、そんときにはそれしかなかった。食えたら、何でも喰いよった。畳一畳ぐらい、耕せたら、少ない金で買うた種を撒き、別な場所の石を除け、草を刈り、耕し、種を撒き、それの繰り返しやった。
 でも、ここはブラジルや、日本のようにうまく育たん。年がら年中熱い上に、井戸水を汲んではそれを撒くだけやったら育たんがよ。それでも、細く育った麦を収穫出来た。けんど、隣に居った人は日本に帰る言うておらんなった。その二ヶ月後にまたおらんなった。
土地が開け、確かに見渡す限り開拓するに、十年がかかった。
 そしてその時、あていは体の調子がまっこと悪うて、医者に行った。うまい具合に、近くの集落に医者がおる言うき、行ったら、何とあていは妊娠しちょった。仮の夫婦やったはずが、いつの間にか本当に好きになって、結婚して三年目のことやった。竹彦は相変わらず無口やったけんど、うれしがっちょったね。あていも心なしか力強くなって、それでも無茶はいかんき、出来る畑仕事を手伝うたりしよった。
 そしたらある日、役所の人が来て、「ここからここまでがあんたの土地や。」言うて、耕した半分もないばぁの土地を区切った。あていらは物凄く言うたがやけんど、「それは昔、今はきっちりと決められてます。欲しければ買って下さい。」と言われた。
 あていは悔しくて、悔しくて、泣き崩れた。十年もかかって、喰うものも我慢し、種籾を確保し、熱が出ようが、雨が降ろうが、灼熱の中、石を一個一個除け、草を刈り、根を掘り、土地を耕したがに、あんまりや。でも、これがブラジルにおる日本政府の目的やったらしい。そして耕された土地に、新たに日本人を呼び、同じように、「耕せば、耕しただけあなた達のモノ」言うがよ。あていらがその酷いことに我慢できず立ち去ると思うちゅうがで。
 あていはその時のショックと、怒りで、子供を流した。竹彦はそんなあていを責めもせず、返って労り、そしてまた二人で地道に、こんどは作物を育てて耕した土地を買おうという話しになった。今にして思えば、もう、二人とも日本に帰る気がなかったみたいやった。あていらはまた昼も夜もなく働いた。その間に、二十組の家族が来ては日本に帰った。そして更に五年後、少しだけ土地を買い戻すと、あていらは仕事の張りを見いだして頑張った。
 そうして、あていと竹彦の間には五人の子供ができ、子供らも働いてくれて、家を建て直し、気付いたら、すっかりいい年になちょった。子供はすべて結婚し、孫ができ、足腰が弱って、やっと鍬や、鎌を手放したとき、あていは神戸の港が懐かしくって、竹彦も、帰りたい気になちょったけんど、日本へはよう行けんかった。竹彦は鍬を手放した翌日、鍬に磨きを掛けながら死んじょった。日本に、骨を埋めて欲しい。言われたき、あていは何十年ぶりやろうか、日本に帰ってきた。今じゃぁ、一ヶ月かかった道のりは十時間足らずで行ける。別れの錦のテープなんか無かったし、出迎えの大段幕もない。有るのは冷たい飛行場ロビーだけやった。あていはほんと五十年ぶりばぁに里に帰ったけんど、もう、誰もおらんかった。あていの村は過疎化が進み、無人の民家、廃村になちょった。
 あていは本当に泣き崩れた。これっぱぁ頑張ったに、ちったぁ報われてもえいがやないが? 何が欲しい言うて、わがまま言うたつもりはない。ただ、頑張って耕して、土地を買い戻し、やっと大地主となって、従業員を雇う農場主になったけんど、あていは、ここには戻れん。親の消息も分からん。姉妹も。もう、あていは、日本人であって、日本人や無かった。
 村の側にある村の人がみんなあていを見る。色の黒いどこの婆やろう言う顔をしちゅう。あんたらが、高度成長や言うて、裕福しゆう時に、苦労した高知県人や。でも、もう言うたち、もう始まらんぜよ。あていはブラジルに帰る。
「お父ちゃんよ、あていらが居った日本じゃないで、どうする? ここにおるかね? いややろ? あていもいやや。ブラジルに、帰ろうか? あそこの、最初に耕して、小さな穂が付いて、二人で記念碑作ったあの下がえいね。帰ろうや、お父ちゃん。」
 あていらは、ブラジルに移民したときに、もう日本人や無かったが。血は日本人でも、あていらは日本人やないが。子供らは、日本人や言うて、ブラジルの子供にいじめられたけんど、あていらは、ブラジル人やね。いや、日本人とブラジル人や。
 これを誰が見るかぁしらんけんど、よく聞きや、あんたの中に、あていと同じ血が流れちょったら、あていが頑張ったように、おまんも頑張れるき、負けそうになったらいかんぜよ。あていの子孫じゃろ? がんばりや。ほならね。竹彦が迎えに来たき、行くきね。
そうそう、あていの骨も、ブラジルに埋めてよ。竹彦が居る、最初に穂を付けた記念塚の下で、えいね? そしたら、任せたきね。」

 ノートはそれで終わった。大きなひらがなが並び、最後の裏表紙まで使って書いてあった。
 私はいつしかそれを胸に抱き締めていた。そして気付いたら、ブラジルに来ていた。
 祖母の農園は唯一残った一番末っ子のおじさんが経営を続けていて、あの最初の穂塚には花が添えられていた。
 私は容赦なく照りつける太陽を仰ぎ、この中働いていた祖母を思うと胸が詰まる思いがし、骨を埋めたとき、なんだか、本当にブラジル人になれて良かったと言っている祖父母の姿が見えたようだった。

Cafe CHERIE

第四回SSFC銀賞
2001.Novel Street Presents Short Story Event 「第四回 FIGHT CLUB」銀賞受賞
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ブラジリアーノは「道端文庫」内にあります。



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