「引き出しの奥に入れすぎた伝言」
 〜街、手紙、涙


 引っ越しのその日、押し込んでいた思い出がこぼれ出た。

 私は18歳になった。東京で一人暮らしをしながら短大に通う。親は反対よりも、大いにそれを応援した、「学歴大事だから。」が理由だが、今時洒落や流行などにもならない言葉だ。
 私が東京にまで行く理由なんかなんにもない。でも、親元を出るのなら、東京が良いだろう。そういう安易な思考に基づいていた。
 大学は女の子がよく選択する国文科で、比較的私も得意とする学科ではあった。
 これからのことにそれほどの希望やトキメキなど無く、ただ、新しい土地と、新しい始まりに胸が鳴っているだけだった。
「用意できてる?」
 母親が時々に見に来たが、私は適当な相槌を打っていた。父が仕事から帰ってきたら、三人で車にのってに時間、私の新たな住みかに行くというのが今日の日程だ。そしてまだ昼前だ。
「やってるって言ってるのに。」
 ほとんどが片付き、あとは押入や、置いていくことにした長年使い込んだ勉強机、そして、本棚にあるほんの整理だけだった。
 それは簡単そうに見えて大変な片付けになっていた。押入に詰め込んでいた小さい頃からの思い出の品には、母も共感して思い出に浸っていたし、本棚の本、つまり漫画や雑誌は、今でのそれをめくっているだけ合って、すぐに虜になってしまった。
 昼を食べ、机の中身もほぼ片付け終わった夕方。
 少し幻想的なオレンジ色の光が部屋に射し込んできた。あたりのものが切なく、もの悲しい色をしたとき、最後の引き出しを開けた。
 右側に並べられている一番上の引き出し、そう、どの勉強机にも存在する鍵付きの引き出し、そこを開けてなかを見る。手前には日記帳やら、小遣い帳(でも三日坊主なので、結構綺麗)それに友達達とも写真と、サイン調。あどけない私の顔の横にある、今でもどきっと胸を締め付ける人の顔。
 何だかすれ違って、喧嘩別れのようなさようならを言った人。
 春日 保秋。背の高い、勉強もスポーツも特異だった彼。高校は、親の転勤上どこかの街へ行った人。中学の時の、初めて味わった、初恋の人。
 私は彼の顔を撫でるように人差し指をそこに置いて、ふと見慣れない封筒を引き出しの奥に見つけた。くしゃくしゃの、白い封筒。まるで無理に押し込んだような封筒。本当に見慣れない物だった。
 私はそれを取り上げ、宛名や差出人を見ようと封筒を見たが、それを知るようなものはどこにもなかった。きちんと封をしているそれ、白く、どこにでも売ってそうな標準封筒だ。そう立て入れの、中に紫の不透明紙が入っている奴だ。
 私はその封を切った。そしてどこからか夏の蝉の音と、夏のあのシトロンの匂いが漂ってきた。
 文面は、以下の通りだった。

−お前がこの手紙を見るのは、いつになるのか、俺にも想像が付かない。明日かも明後日かも知れないし、それとも一生無いかか、もしくは結婚をするときかも知れない。でも、もしそうならば、お前の隣にいるのは、俺ではないはずだ。
 口で言えば簡単だけど、こんなこと言えるような俺じゃないこと、お前がよく知っていると思う。俺だって、俺のことだから、よく知ってる。俺はそういう奴じゃない。
 だから、お前が言いかけた言葉を聞く勇気がなかった。聞いて、引っ越す俺が、お前に何を出来るかとか、短い間に作った思い出が、苦痛になるかも知れないとか、考えた。
 あの短い時間によく考えたとお前は笑うと思う。でも俺は考えた。頭がいいから。俺。
 でも本当は、ずっと考えていたんだと思う。お前が時々俺に見せる何か言いたそうな目。初め何を言おうとしているのか悟れなかった。でも俺も同じ目でお前を見ていたとき、気付いたんだ。同じ思いしてるんだ。
 だから、それに気付いたとき、俺はずっと考えていた。短い間このままの関係で居た方がいいだろう。とか、どうせ高校は別だし、住む街さえも別だし、高校に行けばすぐに好きな人も出来るはずだし、そうなれば、たった数ヶ月の思い出なんか、露と消え失せるだろうとも思った。でも、それは俺の勝手な言い分ででしかない。
 もしお前に引っ越しのことを話したら、お前は俺を見なくなるに決まっている。そんなの俺は嫌だから、だから、だから俺は、お前の言葉を聞かずに茶化すことにした。結果、お前は怒って、涙をためて走っていった。苦しそうな泣き声は今でも耳に付いている。
 でも、それで俺のこと見なくなっても、引っ越しで悲しまないで済むだろう。嫌な奴だったっと言う思い出は、消して、短い間の恋愛ごっこよりは、お前の胸に残っているはずだと思う。
 でも、はっきり言えるのは、俺はお前が好きだと言うこと。そしてお前が俺を好きだと言うことも知っている。
 もしこれを、この手紙を入れてすぐに見つけたなら、明日の見送りに来て欲しい。どうせ、お前のことだから、来ないと思う。「あんな酷いやつの見送りなんか」と、言って。
 でも、もし見つけたなら、来て欲しい。
 もし、何年か後、まだ独身で、彼氏も居ないなら、毎年、3月12日、田端駅で待ってる。決してこれは俺の方も約束できることじゃない。
 お前以上に好きな奴が出来る可能性だってある、色々な事情でいけないかも知れない。でも、今はそう約束できる。待ってると思う。東京行き最終電車が出る時間まで。
 もし、明日、否、近々結婚するという時に見たなら、絶対幸せになれると思うぞ。お前結構いい奴だし、そんなお前が見つけた相手なら。なんか、今書くと胸くそ悪いけど。
 でも、幸せになれよな。
 そうか、案外子供居たりするかな? その子供に見つかるかな?
 俺がどうやってこれをお前の引き出しに入れたか、そろそろ疑問に思ってきた頃だと思う。
 実は、卒業式のあと、お前の家でパーティーしてるのに、乱入しただろ? そん時に入れるつもりだ。出来れば鍵付きの引き出しに、ずっと奥の方に入るように。まだ、お前には見つかって欲しくないような、すぐに見つけて欲しいようなきがする。
 でもまぁ、なんにせよ、明日来なかったら、お前はこれを知らないんだろうな。俺が何度も書いては破ってを繰り返したことも、結局握りつぶすかも知れないことも、来年すら待っていないかも知れないことも。
 夏のあの日のこと、悪かった。
 ただ、お前のことが好きだったから、どうしても、悲しませたくなかったんだ。ごめん−

 彼らしい要領を得ない長文が並ぶ。彼の字の特徴は今でも覚えている。少し角張った、本当に几帳面な字。
 彼は、私が好きだった。その事実を知れただけで良かった。
「今日……。」
 カレンダーには12日を赤丸付け引っ越しの文字が踊る。そしてふと時計に目を向ければ、東京行き最終便まであと五分。
 私はすぐに家を飛び出た、母親の片付けを煽るような声が後ろから聞こえてきたが、構っていられなかった。最寄りの駅である田端駅とはいえ、歩いて十分はかかる。
 走ると言っても、もう体力もないような現代っ子、五分で付くとは考えにくいけど、私は走った、居るかの所為なんかゼロだし、あるわけない。
 覚えているものか! あの日、告白を心に決めた私に、「お前を好きになる奴ってさ、そのおかめ面に我慢しなきゃいけないんだよな。」と言った奴が、覚えているはずがない。
 まだ好きとも言っていない私に、それを悟っていたから、引っ越すから、恋人ごっこが出来ないから、だから、あんな事を言った奴が、毎年待っているはずなんか無い。
 でも私は走っていた。待っていなくっても、手紙読んだから、手紙ありがとう。そう言いたかったから、過去に、ずっとくしゃくしゃでいた手紙に、そして、彼に、来なくても、過去の彼に言うために、私は走った。
 駅の校内に入り、無人駅のプラットホームに立つ。人の気配のない田舎によくある駅。風が抜け、近くの梅の匂いが漂ってくる。
「居ない、よね。」
 涙がこぼれてきた。これはどういう意味? 遅かったことを悔やんだ涙? 彼の本心を知って後悔している涙? 居ると言ったのにいなかった裏切られたと思っている涙? どれも違う。過去に戻れるなら、下手な冗談、たわいのない会話、嘘のない気持ちを語っていた過去に戻りたい、それが出来ない涙 。
「引き出しの、奥に、入れすぎだよ。馬鹿。」
 私が呟いたあと、蝉が鳴いた。けたたましくって、鬱陶しい、そして暑い陽射し。
 私は振り返った。頭を掻きながら近付いてくる眼鏡の男子。まったく変わらない顔立ちと、少ししっかりした気のする体躯。
「春日?」
「やっぱり、堀?」
 彼の声はあの頃のままだった。彼の笑顔も、彼の目の光りの強さも。
「来たんだ。」
「今日、見つけた。」
「ほぅ、以外に早かったなぁ。」
 首を傾げる私に、彼は照れくさそうに両手をポケットに入れる。
「案外破り捨てたか、ずっと見つからないと思ってたから。」
「引っ越しの片付けしてたから。」
「どっか行くのか?」
「東京、短大に受かったから。」
「東京か、逢えるかな?」
「無理じゃない、引き出しの奥に入れすぎた伝言は、見つけにくいよ。」
「でも、見つけたじゃないか。しかも、俺も、今年思い出したんだ。電車乗れなくってさ。」
「じゃぁ、帰れないの?」
「否、バイクで来たから。最終は、乗らなくて済む。とは言ってもさ、来るかどうかわかんなかったから。」
「でも、来たよ。私も、春日も。」
「なんか、蝉の鳴き声と、シトロンの匂いがしたから。」
「私も。」
「あの頃、二人してこってたよな、シトロンのコロン。」
「お揃いだったね、たまたま買ったのが同じだっただけなんだけど。」
「馬鹿、俺が合わせたんだよ。」
 私と彼は久し振りに話した。変わりない、たわいのない会話と、意味のある時間。手を伸ばせば届きところに立っていながら、手もつながない距離。
「引っ越しの準備しなきゃ、今日から、向こう行くんだ。明後日、入学式だから。」
「家まで送る。」
 私は頷いた。並ぶとやけに高さに差があると感じる。
「東京であったらさ、」
 私の期待を込めた目に彼は少しほほを赤めた。彼の横顔の向こうで沈む夕日色と同じに赤い。
「東京であったら、今度こそ、付き合わないか?」
「どこで待ち合わせ? 東京初心者なんだけど。」
「捜す。」
「どこを?」
「東京中を。だから、言うなよ。」
「あんな広い街をどうやって捜すの?」
「大丈夫、俺はすぐに探せる。」
「今年まで忘れていたくせに?」
「痛いとこつく。やっぱ、お前のこと好きだな、俺。」
「……馬鹿。」
 私の涙の理由、嬉しさと、未来に向けて弾む胸の興奮を抑えられない涙。
「じゃぁ、探し出してね。」
 私は彼の頬を唇を当てた。
「なんで口じゃないんだよ。」
 不服そうながら、照れた声。
「見つけたら、口でしてあげる。」
 東京で会えるよね。だって、逢えたんだもの、やっと伝わった手紙で。

NOVEL Room

2001.Novel Festa 10
Juvenile Stakesへはこちらからどうぞ
引き出しの奥に入れすぎた伝言は「ノベルフェスタ歴代の作品たち」内にあります。



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送