花火とキスと



 突然の雨にも彼は驚かなかった。それどころか、出掛ける際には空は白く分厚い入道雲に覆われていたのだ、傘を手にして出掛ける気はなかったので、濡れてはいるが、結構気持ちのいいスコールだった。
 アスファルトが徐々に濡れるその匂いが好きだった。街の店脇に美化環境のために植えられた植え込みの葉も濡れ始め、出店は急の雨に庇を作ったり、店の中に商品を隠している。
「濡れるよ、悠長に歩いていると。」
 そう言って彼の背中を誰かが叩いた。彼の横を過ぎ、走っていったのは髪の長い人だった。足が長くて、尻を過ぎるほど髪は長かった。なのに、その人が綺麗な女性(人)かもと言う思考はなかった。逆に言えば男だとも思ってはいない。まるで降ってわいたような、まやかしい表現を使えば、あの人は天使のようだった。まったく性別を感じない後ろ姿に、彼はすっかり見せられていた。
 しかし、結局あの人は後ろ姿のまま姿を消し、男か、女かすら解らずじまいだった。

 彼の名前は倉木 颯也(くらき そうや)。身長百八十九有ってまだ高校二年生だ。特別な部活はしていない。動くことが好きなので、たまに助っ人を頼まれれば出掛ける。動くことが好きだから、一つに決めかねた結果。と言えるだろう。
 颯也はあの日からあの背中を無性に捜していた。誰なのか知りたい。と言うより、あの背中をもう一度見たかった。見てどうする気はないのだが、何となく、見たかった。
 親友と一緒にいても、誰もそのことを知らない。言えば変態扱いされるだろう。背中を見たい? そんなフェチ聞いたことがなかったのだから。
 背中を見てから一週間が無難に過ぎたある日、水泳部の練習試合に借り出された。相手はこの学校からは遠いが、結構水泳では名門の学校だった。
 プールサイドにはすでに他の生徒も来ていた。しかも女子も一緒だった。颯也がプールサイドにでてくると、そこは焼けそうなほど熱かった。
 すでに水しぶきを上げて泳いでいる人が居た。向こうの学校の女子だ。綺麗なフォームで、早い。水泳部ではないようだ、スクール水着の紺を着ている。
 泳ぎ切ったようだ、マネージャーが片手を大袈裟に上げた。
「凄い! ナツ、凄いよ!」
 そう言われた泳者は仰向けになってすいっと漂った。五メートルほど漂って立ち上がると、水泳帽をさっと取り去った。束ねている髪の長さは半端じゃないようだ。異様な形で束ねている。そしてあの、背中だ。
「あいつは?」
「ああ、源 捺希(みなもと なつき)。」
「一年?」
「否、二年らしい。」
「去年は居なかった。」
「そうだっけ?」
水泳部のマネージャー(男)は捺希に興味はないらしい。彼女に興味があるのは、向こうの学校の生徒と、颯也だけのようだった。
 水泳の試合は、程なく始まり、よく知られている競技を順に勧められていった。個人・団体メドレーにも、彼女はでなかった。最後の、遠泳(男子千五百メートル・女子八百メートル)で彼女は立ち上がった。
 遠泳には颯也もでることになっていた。たった四人だった。颯也の学校の女子、捺希の学校の男子。プールは説明している声だけが聞こえるほど、静かだった。
 スタート台に立つと、男の向こう側に捺希の横顔が見えた。まっすぐそこを見つめ、まだ表情にはゆとりがあったが、用意の掛け声でそれはどこかに消えた。
 一斉に水飛沫を上げて四人は飛び込んだ。
 颯也の相手は隣の男子だったが、それなど気にしていられなかった。とにかく早くターンをすれば折り返しの一瞬、彼女が見られる。そんな思いで水をかき、水を打ち続けた。
 水泳部の応援が下校途中の生徒の足を止め、フェンスには野次馬が居たが、そんなこと気付きもしない。ただただ、折り返しで、あとはゴールで、彼女を見たい。それだけだった。
 ゴールのメントを叩き、顔を上げると、直ぐ横を見た。
 隣の男子とはほぼ同時だったらしい。彼女が泳いで帰ってくるまで、颯也は上に上がり、息を整える時間があった。
「やっぱ、きついよ先生。」
 捺希はそう言ってコーチの手によって水から上げられた。
「でもお前泳ぎ切ったじゃないか。向こうの子はちゃんと(八百で)辞めたぞ。」
「だって、なんかいい感じだったんだよ。水も気持ちよかったしさ。」
 捺希はそう言って水泳帽を取り、椅子に落とすと、その髪の束をほぐした。やはりあの子だ。髪が濡れて異様な形で落ちてくると、それは椅子まで到達している。
「あんた、早いね。」
 颯也が顔を上げると捺希がタオルを抱えて立っていた。
「水泳部じゃないんだ。」
 向かいの椅子に腰掛ける捺希に颯也は軽く頷く。
「あたしも。」
 捺希はそう言って足を椅子に上げる。長い足だ。
「水泳部は……、」
 向こうの方で水泳部の交流で、近くのお好み焼き屋に行くことが決まったようだ。
「行く?」
 捺希が首を傾げて聞いてきた。颯也は首を振るだけで返事をした。
「じゃぁ、一緒に行かない? 寄りたいとこあるんだ。」
「どこ?」
「やっと話した。−くすっと小さく笑う−直ぐ側に甘味処があるでしょ?」
「ああ、亀山の婆さんち。」
「誰?」
「亀山。」
「そうなんだ、あそこの白玉宇治ぜんざいが美味しいって聞いたんだけど。」
「さぁ、俺甘いの苦手だから。」
「付き合ってくれない?」
 颯也は顔を逸らした、付き合わないわけではないが、なんだって一緒に来てくれと言うのだろう。今日逢ったばかりじゃないか。街であったのは、お互い知らない同士なのだから。
 と思いながら、颯也は捺希とそこに居た。
「泳いで疲れてるのに、お好み焼きはねぇ。甘いもの欲しいって。」
 そう言って捺希は白玉宇治ぜんざいを頬張った。夏使用のそれは、宇治氷にあんこを乗せ、白玉と色とりどりの果物が乗っていた。
「えっと、誰君だっけ?」
「倉木。」
「倉木君。下は?」
「颯也。」
「素直、素直。」
「颯也だって、」
「解ってる。ただ、素直に教えるなって。」
 颯也は頬杖を付いて顔を背ける。
「怒った? これで勘弁。」
 そう言って夏木はさっき自分が口に入れていたスプーンに白玉を乗せ、颯也の口にそれを当てた。
「ん?」
「あーん。」
「いい。」
「嫌い? 白玉ぐらいは大丈夫でしょ?」
「いい。」
「白玉も颯也に食べて欲しいってさ。」
「言わないから。」
「そう言わずに、はい。」
 捺希はそれを引き戻そうとはしなかった。目の前に有るままでは颯也も鬱陶しい。そのまま拒否し続けるのも良かったが、隣りに座ったおばちゃん達の好奇の目にさらされるのは辛かった。かといって食べてしまうと、こんどはひそひそと笑うだろう。
「早くしてよ、氷り、解けちゃうから。」
 颯也が爪楊枝を取って白玉を突き刺し口に運んだ。
「うわ、嫌な食べ方。」
 捺希はそう言いながらスプーンをくわえた。
 そう言われても颯也は知らん顔をして口を動かした。
 颯也のアイスコーヒーの氷が音を立てた。
「このあとどうする?」
「どうも、」
「帰る? それとも予定がなければ、捺希ちゃんに付き合う?」
「どっか行くのか?」
「少し街でぶらぶらして、花火買って川原で花火しない? 手持ちだよ、打ち上げは怖いから。」
「なんで?」
「だって、あたし火傷したもん。火がついてないようだったから近付いていって。」
 颯也はコーヒーを口に含む。
「構わないぞ。」
「そういうと思った。颯也ってば優しいねぇ。白玉は酷かったけど。」
「あのなぁ。」
 捺希はくすくす笑い、付き合わせているお礼だと言ってそこはおごった。
 街の中は露出度の高い女が溢れていたが、彼女の学校の制服、白いブラウスに紺の大きなリボンのほうがよほど目を引いていた。
「髪、暑くないか?」
「暑い。」
「切らないのか? って言うか、どこまで伸ばす気なのかな? と。」
「嫌い? 髪の長いの。」
「否、でもある程度だな。」
「ある程度って?」
「まぁ、ポニテが出来るくらい。」
「颯也ってさ、昔の少女漫画でも読むの? 今時ポニテをする子ってほとんど居ないよ。」
「悪かったな、少女趣味で。」
 捺希は笑いながら、一束髪の毛を取った。
「好きな人が長い髪の子が好きだって言うからね。」
 颯也は足を止めた。そんな奴が居て、なんで颯也を誘うのだろう。捺希は颯也を振り返り笑顔を見せる。
「なんで、そんな奴がいるのに、俺を誘ったんだ?」
「何?」
「好きな奴が居るんだろ?」
「片思いだよ。」
「そいつが今見たら、どう思う?」
 颯也は言葉が続かなかった。捺希に好きな人が居る。それは当たり前のような、でもすごくがっかりで、詰まらなく言葉がでなくなってしまった。
「いいよ。どう思われても。だからって、やきもち焼かそうとか思ってないよ。もうそろそろ諦めようと思ってるから。だって、振り返ってくれないんだよ。ぜんぜん。多分、あたしのこと、知らないんだよ。」
 颯也は苛ついていた気持ちが少しだけ押し静まっていく気がした。だからといって、捺希に好きな人が居るのは変わりない。などと理由を付けて憤ったままで居た。
 二人は何もせず、でも公約通り花火を買いにスーパーに入った。
 冷房の異常効果で店内は寒いくらいだった。陳列している花火を選んで居た捺希の手が止まった。捺希が見ている場所を颯也が見れば、水泳部の教師が奥さん子供と一緒にいた。
「これ、これにしようか?」
 颯也は捺希を見る。少し震えている。捺希が好きな人は、水泳部の顧問のようだった。「お父さん、すいか買おう?」
 子供がそう言って通り過ぎていく。
 花火を買い、川原に向かう。
 そう言えばあの女性(水泳部の顧問の奥さん)は、今日プールサイドの日陰に座っていた。
 夜七時を回ってもまだ明るい中、二人はベンチに腰掛けた。
「もう少し、」
「ン?」
「もう少し暗くなってからするか?」
「そうだね。」
 捺希は頷き買った花火を袋から取り出した。
「しょうがない、これ、お前がやれよ。」
 そう言って颯也は絵の付いている花火を指さす。捺希は笑いながら頷いた。
 辺りは暗くなってきた。
 花火に火を付け二人はそれを見つめた。
「私花火好きなんだ。」
「俺も嫌いじゃない。」
「すいか、だって好きよ。」
「……、あんまり食べると、腹下すけどな。」
「そうそう。でもつい食べちゃう。」
「俺、お前が好きだ。」
 花火の音。虫の音(声)。時々過ぎる車の音。時々通る人の声。
「気にするな。冗談。」
 颯也はそう言って消えた花火を水につける。しゅっと音がして辺りが闇に返る。
「あたし、」
「冗談だって、気にするな。悪い冗談だ。」
 颯也は新しく花火をつける。残り少なくなってきている。その束の隣、捺希の髪がある。
「あたしも、好きになるかな? 颯也のこと。」
「冗談だって言ってるだろ。あいつへの思いを断ち切って直ぐ、次見つけるのって、軽くないか?」
 颯也は頭の中で支離滅裂になっていく感じをちゃんと受けていた。淋しい気持ちに乗じろ! と叫ぶ颯也と、そんなことをするのは男の風上にも置けないと叫ぶ颯也。
「俺、馬鹿。」
 呟いた声は花火に消された。新しい花火に手を伸ばそうとした颯也の指に、捺希の指先が触れた。
「多分、軽くっても、好きになるかも。」
 捺希の顔がやや薄暗い中で傾ぎ、颯也はそれに吸い込まれるようにして顔を近づけた。触れる暖かさが虫のオーケストラの中静かに燃えてきた。
 まだまだ二人の夏は終わらないだろう。助っ人として水泳大会も控えているし、夏祭りもまだまだだ。

NOVEL Room

2001.Novel Festa 11
Juvenile Stakesへはこちらからどうぞ
花火とキスと「ノベルフェスタ歴代の作品たち ノベルフェスタ オーガストステークス」内にあります。



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送