唇熱


 もうどのくらいキスをしていないだろう。

 結婚して十年。二人の子供は小学校に上がり、少し自分の時間が生まれた私は、パートを始めた。
 主人は、鍵っ子だったから、私にパートは勧めなかったけど、経済はそういう甘さを認めてはくれなかった。
 パートに出て最初の休み。昼間の量販店は子供も居ない静かなモノだった。ほんの一年前なら、この時間、お友達とお茶をしていた頃だ。
 エスカレーターは規則正しく二階、三階へと連れて行ってくれる。本屋に入って本をぱらぱらとめくる。

 最近よく目にする言葉、「ピュアーキッス」ゲームの宣伝らしいが、非常に胸に刺さる。 一体何時からキスをしていないだろう。

 セックスレスな夫婦だと言うことは、私が婦人科系の病を患ってから続いている。だからといって主人は女遊びをしない。不服だろうが、強制はしない。それに甘んじて、その時感じる痛みを避けていた。
 主人が決して嫌いなわけではない。でも、苦痛なのはそれ以外のことだ。

 前ならなんでもなかった量販店の空気も、始めたばかりで苦痛なパートを少しは忘れさせてくれる。

 新婚当初は出掛け、お帰りのキスはしていた。人前ですることはなかったが、でも、それはある儀式だったはずだ。
 彼の唇は薄く、私の唇は厚い。どんな感じなんだろう、私の唇って。彼の唇を感じるような感じかしら? でも、もうそれも忘れかけている。
 煙草の匂いのする苦いキス。そしてコーヒーの匂い。そのどちらでしかなかったのは覚えている。私はそのどちらも好きじゃなかった。煙草が嫌い。コーヒーは好きだけど、彼ほどカフェイン中毒者じゃない。
 私のキスの味は、どんなのだろう。私が大好きなもの、ご飯の味? おかしいわ。

 二階にある服屋に入った。いつも思う。服を買う順番、子供服が先。そして主人の。そして私のもの。その月の給料次第では、私の服なんか買わずにいた。可愛い服がワゴンセールしている。これ、娘に合うな。

 彼はなんでも下手な人だ。イベントごとをいろいろと細工しようとしていつも間の抜けたことをする。ムードある会話、そしてそのままベットイン。それの出来ない人。不器用で、思慮のない人。だから楽だった。私もそう言うことに対する反応下手だから。
 プレゼントをもらっても、うまく感謝の表現が出来ない。いつも嬉しい? と聞かれるから。でもすごく嬉しい。でも伝わっていない? 
 そんな二人だから、ムードもなく、イベント事もなく十年が過ぎた。
 結婚記念日はお互い覚えている。でも、新婚ほど祝ってなんか無い。ただ少し豪華料理になるくらい。少し、お酒の量が増えるくらい。味気ない。

 一階食料品売り場に降りてきて、買い物カートを押す。今日の夕飯何にしようかしら? 子供の給食は中華だったっけ? じゃぁ、和物かな?

 料理の下手だった私。でも彼は何も言わなかった。下手でも、お皿の上は片付けてくれた。だから彼のために、食べれるものを作ろうとした。そして少しずつ私は料理の幅を広げた。彼の好きなものは、子供と変わらない。ハンバーグにスパゲッティ。カレーも大好き。カレーを作って、三食続いても、彼は文句を言わない。「ごめんね、続いて」そんなことも言わなくなっている。

 豆腐が安い。豆腐のみそ汁に、お魚かな?

 彼は魚より肉が好きだ。肉料理の方が楽で私もつい作ってしまう。彼の中年太りは、私の責任でもある。もし、結婚する前に料理が得意だったら、昔のままだったかしら?
 知り合った頃二人とも今より十キロは痩せていたんじゃない? 今でも童顔な顔が、その頃もっと童顔だった。五つも年下の私と同じ年下だと言われたこともあったしね?
 童顔を気にしていたけど、私はそれが好きだったのよ。
 よく言うでしょ? 自分にないものを人は望むって。私にないものだったのよ。可愛い笑顔も、その笑うと無くなる目も。

 いつからキスしていないんだろう。
 なぞる指先が少し空しい。

 今日、帰ってきたらキスしてみようか? 驚くだろうな、そしてすごく照れて、少し怒るかしら? 
 早く帰ってこないかしら? あなたのキスの温度を確かめさせて? 貴方を好きだともう一度感じたいの。
 だから、みんなキスをするのかしら? 淋しくなると、誰かの体温を確かめたくて。人の、暖かさを知りたくて。

 いつからキスしていないかしら? あなたは驚いて、私の熱を計るでしょうね? そして不気味に笑うでしょうね? 抱きついた私を、照れながら邪険にするでしょうね? 総て見通せるのに、なんでキスしてないんだろう。

 なぞる指先が、むなしい。

Cafe CHERIE

唇熱は2001.09.10配信のメルマガに掲載しました。

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