「幻想記」

 鼓?
 彼は聞き慣れていないはずの音をそう呼んだ。
 頭の隅の方から、徐々にそれは聞こえ始めたようで、それが辺りいっぱいに広がったときには、これが夢の中だと気付いた。
 彼は辺りを見渡したが、上下、左右の妖しい、真っ白な空間があるだけだった。
「さすが、夢。」
 彼はそうひねくって、口の端を上げた。
 鼓の打つ音が静かで、鼓動と同化する。
 水?
 水の中にいる感覚がする。ふわりふわり漂うが、体にやけに何かが張り付く。
「金魚?」
 大きな、全長は鯨ほどある金魚が彼の真上を横切り、その影が彼に降り掛かる。
 ポーン。
 鼓がそう高だかと打って彼は振り返る。
 桃色一色の桜の木の下に、黒髪の狩衣を着た人が立っている。長い髪は束ねず風に吹かれ、優しくそれを見上げている。多分。
 顔ははっきり解らないのだ。目も、鼻も、口もない。様に見える。彼の視力が悪いわけではないのだが。
「金魚。不思議。」
 彼? 彼女? とにかく、狩衣の人はそう言った。そして、彼を指さして、解らない目で、鼻で、そして見えた薄い線のような唇で笑った。
「キョ、キョウ!」
 彼は咄嗟にそう叫び、辺りは突き落とされたような暗闇となった。

 彼、成瀬 劉(なるせ りゅう)。劉は頭を振りながら体を起こした。そうすることで、あの妙に現実感のある夢を思い出そうとか、忘れようとか、とにかく、現実だと認識しようとしていた。
「おいおい、こう言うのを変な夢って言うんだよな。」
 劉はそう一人で呟いた。途端、枕元の目覚ましが鳴った。それを押し止め、足を床に降ろした。
「面倒だな。」
 そう言いながら、壁に貼ったカレンダーを見る。写真屋で大きく引き伸ばした写真に、カレンダーが付いている。そこに移っているのは、悪趣味にも自分と、その家族四人の姿だ。白々しく、正月に撮ったそれの、今日、四月八日に赤丸が付いている。
「二年生おめでとうかぁ?」
 劉は自嘲気味に呟き、制服に着替える。
 去年、家に近いという理由で選んだ高校。制服にこだわる女子とは違うとは言え、結構劉はこの制服が好きだった。毎朝ネクタイを締める苦痛はあったが、どの学校のそれよりも劉の長身を更に引き立たせていたし、女子のそれも、随分とセンスがいいものだ。
 劉は家を出て、通学路を歩く。歩く理由はない。しかし、この短い距離、自転車に乗るのも億劫だ。歩けば十分そこらで着くのだし、その往復により道のできる場所もない。
 ただ、この時期、うっとりするほどの道はある。
 この時期でないといけない理由。それはこの大通りの名前を聞けばすぐに想像できるだろう。大通りの名前、それは「桜並木通り」。全長一キロほどに桜の木が植えられ、この時期、道路や、歩道はピンクに染まる。それを汚したくない心理が働くのか、車の往路が少なくなり、この前など、道路の真ん中で宴会をしていた人が居たほどだ。呑気な景色だったが、誰も咎めないし、運転手も迂回して過ぎて行っていた。
 それほどこの道は凄かった。
 劉はその道の入り口に立った。桜などそれほど香しい花ではないはずだが、これほど群集していると、微かに漂ってくる。甘く、ほんのり体を熱くするその匂いを吸い込んで、劉は気の早い落ち花の上を歩く。まるで、どこぞの王子様が、花の上でないと歩けない。そういう待遇を思い出すほど、地面はピンク色をしていた。
 さ、さ、さー。と風が劉の背中を押した。その風の行方をたどるように劉が顔を上げる。

 三メートルほど高い場所にある公園の石垣にも桜は落ちていた。苔の緑と、桜のピンクが春らしい色合いを見せ、その土手の歩道を小学生の集団が駆けていく。
「キョウ!」
 一本の桜の側に、黒く長い髪を垂らした制服姿の女子が見えた。その真っ黒すぎる髪と、その空気は、まさに夢の中の人だ。
 彼女は、劉の声に気付いたのか、ゆっくりと振り返った。視線を下げているので、目の大きさは解らないが、でもあの唇は夢と同じだ。細く線のようで、弓のような、朱を帯びている唇。

「劉?」
 劉は声を掛けられ、慌てて振り返る。そこには同じクラスの奴が自転車に乗って首を傾げていた。一瞬彼の名前を捜すほど、劉の意識はあの彼女に向かった居た。
「あ、おはよう。」
「なんだよ、キョウって、誰か知り合いか? 居ないようだけど。」
 そう言われて顔を上げると、彼の言うとおりそこに彼女は居なかった。消えたのか? とも思ったが、その辺りで道は随分と蛇行し、高台の中程に向かうから、ここから見えないのだろう。
「いや、キョウは始業式だったんだ! と言いかけたんだよ。」
「は? 春休みぼけ?」
 彼は劉の額に手を翳す振りをして笑う。
「乗るか?」
 劉は頷いて、彼の自転車の後輪の車軸に足を乗せると、そのまま二人は走り出した。
「なぁ、ヒデ。」
 運転手は軽く返事をして自転車を曲げる。
「夢見るか?」
「夢? さぁな。見てんだろうけど覚えてないなぁ。それが?」
「いや、夢って、なんで見るんだろう。」
「は? お前変だぞ。前っからだけど。」
「うるせぇ。」
 劉は彼、ようやくここで彼の名前を思い出した。張本 秀喜(はりもと ひでき)。の首を軽く絞める。
 秀喜はそれに対抗するようにハンドルを大きく振り、二人乗りの自転車はバランス悪く走る。大笑いをしながら学校の門を潜る。
 『ご入学おめでとう』の看板が、このあと入学式を控えているのだと解る。
 玄関に入ると人集りが出来ていて、悲喜こもごも大騒ぎをしていた。クラス分けを掲示された看板が張り出されている。劉と秀喜もその看板から名前を見付け、同じクラスだと確認しあって真新しい教室に入る。使い古されていても、やはり、今日ばかりは新しく、嬉しい気分になる。
 新しい担任は、去年まで隣のクラスを教えていた若い男の教師で、担当は、社会だったはずだ。その後から、黒い、艶やかな髪の毛の、あの彼女が入ってきた。
「今日からお前達の担任の、菅原 文彦だ。」
 某有名男優と一時違いだったのがよほど悔しいようなことを喋ったあと、隣の彼女を紹介した。
「一柳 響(ひとやなぎ ひびき)さんだ。」
 彼女、響は会釈をしただけで何も言わなかった。唇は相変わらず線を引いたようにつむがれ、今時驚くほどの黒髪は、まっすぐに垂れている。
 席を掲示され、彼女は劉の側を通り、案内された席に座った。
 放課後、響はさっそく人垣に囲まれた。
「響って珍しい名前ね?」
「ええ。だから、前の学校でキョウって呼ばれていたから。そう呼んでいいよ。」
 響は意外にも明るかった。口は良く動く方だし、笑う。その声も結構高めで、目など無くなるほど顔をくしゃくしゃにさせる。人を寄せ付けないような顔をしながら、実は人懐っこい、そのギャップに、響はこのクラスに一番最初に慣れた気がした。
「ねぇ、キョウちゃん、帰りにどこか寄らない?」
「ごめん。引っ越しの挨拶回りしなきゃいけないんだよね。」
「何それ?」
「お母さんとの約束で。」
「なんかさぁ、キョウちゃんて、今時珍しいほど古風って言うか。」
 同調するクラスの女子に笑顔で別れを言って、響は教室を出た。
 劉も教室を出ると、(後を追うわけじゃない)と内心でいいながら玄関までその後ろを歩いていた。帰る人と、綺麗に着飾り、まっさらな制服を着た人が入れ違う。
「おい、一柳。」
 担任が息を上げながら響に近付いてきた。それをずっと見ているわけにも行かず。かといって、靴をきっちり履き終え、玄関を出ようと言うのに、そのままで居るわけにも行かず、劉は不服そうな顔をして学校をあとにした。
 家に帰り着き、机の上にあった菓子パンを物色し、粒あんパンを口にくわえて部屋に上がると、ベットに寝ころんだ。
「あ、だるぅ。」
 それはふいの感覚だった。口の中のアンパンを噛み砕くことすら怠く、その食べかけを机に乗せ、仰向けになり、噛み砕ききるまでの、なんともいい知れない倦怠感。下半身はすっかり動きたくないのか、だらしないほど無感覚だった。
 唯一動く顎と、目玉。その顎の動きは終了すると、最後に動いたのは瞼だった。
 閉じた瞬間、彼は真っ白い、あの世界に飛ばされた。
 背中を押されたような衝撃。息苦しくて胸を押さえながら、今朝の夢と同じ景色を、再び見渡した。
「いよいよ持って、この夢はなんか言いたそうなんだなぁ。」
 龍が呟くと、また鼓の音が鳴り出した。そして桜の花びらが目の前を掠め、桜の木の側に黒髪の、響が立っている。
「なんでお前が出てくんだよ。」
 と言いながら、劉は響に近付く。手を伸ばし掴もうとしたとき、邪魔くさい玄関のチャイムが鳴った。
 劉は飛び起き、舌打ちをして、普段なら降りていくことすらしないその呼び出し音に階段を下りた。のと同時に母親が玄関を開けた。
「居るんなら、早く出ろよ。」
 母親に吐き捨てると、
「あれ?」
 と言う声が玄関から聞こえた。劉が上がりかけた玄関を振り返ると、響がそっくりな母親と立っていた。
「知り合い?」
「同じクラスよ。すごく背が大きいから覚えてるの。」
「背だけでまったく訳に立たないんですよ。」
 母親の言葉にむっとしながら、見上げている響を見下ろす。
「あの、お隣に引っ越してきました一柳です。」
「まぁ、これはこれはご丁寧に。一柳さん? まぁ、珍しいお名前ですねぇ。」
「ええ、京都でもうちぐらいで、」
「じゃぁ、京都の方?」
「ええ、でも訛なんか全然無くて。おかしいでしょ?」
「って、お母さんは東京人じゃない。それに育ててもらえば訛らないって。」
 響に言われ母親は高らかに笑い、劉の母親も笑っている。
「まぁ、これを機会によろしくお願いします。」
 響の母親は、舞妓のようなまったり、ゆったりした動作を持ちながら、口調は軽やかで、お辞儀をして帰っていった。
「凄い美人ね。響ちゃん?」
 劉は適当に返事をして部屋に戻った。またあの怠さが襲い、母親の「買い物行ってくるから」の声に返事をする気にもなれずにベットに俯せになった。
 外で、母親が響たち親子と何かを話しては笑っている声がする。

 劉は酔っている。そう自覚して目を開けると、桜の木に手を付いて俯いていた。
「飲み過ぎだぁ。」
 未成年だが飲むときはある。だか、劉は先程飲んでなど居なかった。

「また、夢かぁ? しかも酒飲んで、気持ち悪ぅ。」
 劉は首を重々しく垂れ、そして自分の服に驚いた。
「な、なんだ?」
「すまん。」
 劉は再度驚き振り返ると、烏帽子に髪をピッチりを入れ込んだ響が立っていた。服装は勿論狩衣を着ていて、男ぶりの良い姿だった。
「いや、あの、」
「具合の様子を見に参ったが、どなたかと逢瀬中だったか?」
 響は笏に唇を隠し辺りを見渡した。
「んーなんじゃねぇよ。」
 響は不満そうな顔を龍に向ける。
「なんだよ。」
「酒にあたったのか?」
「た、多分。」
「そうであろう。あれほど煽る必要など無いのに。まったく、賭け事となるとすぐに向きになる。頼近の悪いところだぞ。」
 (頼近? 俺の、名前か?)劉は顔をしかめた。胸を襲う嫌悪に俯くと、響は劉の背中をさすった。
「まったく。御者を呼んで参ろう。」
 歩き出した響を見る。遠ざかる背中。無性に愛おしさが込み上げてくる。だが瞬間、(かのものは男の子なり)が頭でぐわんぐわんと鳴り響き、胸焼けに首を垂れた。

 劉は咳き込み、跳ね起きた。
 部屋は自分の部屋だった。何も変わらず。外ではまだ笑い合っている母親達の声が聞こえるし、時計も、一分と進んでいない。
「なんなんだぁ?」
 劉は額の脂汗を拭った。まだどこかにある胸の嫌悪感。下半身の倦怠感。時々胸を締め付ける響のあの顔。
「なんだってんだよ!」
 手近にあるものを壁に投げ付けると、それは派手に音をさせてて床に壊れ落ちた。
「あ、時計、買いに行かなきゃいけなくなった。」
 もったいなかったなぁ。と思いながら、その無惨なものを拾い、あれこれしたが、結局訳の解らぬ部品を外してしまっただけで訳に立ちそうもなく、ゴミ箱に放り投げ、外に出掛けた。
 表には母親達の姿はなかった。そのまま近くの電気屋に入る。目覚ましがあれば何処でも良かったのだが、最初に目にした店が電気屋で、そこで、ピンクの細長い時計を買った。
「プレゼントように。」
 とでも言わなければ、買えない色だった。
 なぜその色を選んだのか解らない。カウンターに持っていって、訝しそうな顔をされて、そこで気付いたのだから。よほどウブだと見られたか、どちらにしろ、劉はピンクの時計を買って家に帰った。
 ただ、頭のどこかしらで、なぜにピンクか、何となく理解しているような物はあった。しかし劉はそれを気にせず、包装を破り捨て、枕元に置く。
 置いて直ぐ、かなり違和感のある時計だと苦笑し、夕飯の声と匂いに誘われて下に降りていく。
 電気を消した部屋に、時計の真新しい時を刻む音が響いている。

 夕飯は、さばのみそ煮に、厚揚げ豆腐とコンニャクと根菜の煮物。ほうれん草のお浸しに、なすの漬け物。このなすの漬け物があると言うことは、田舎から婆さんが出てきている証拠だ。
 劉は祖母を嫌っているわけではない。思春期という厄介さの中にあっても、決して煙たくはない。そこに居ても邪魔じゃないし、時々、人の内心を見透かしたような助言をくれる。だが、言ってる本人は、テレビや、柱に向かって言っているので、劉が開いてであるとは考えにくい。
 柱に話しているなど、ぼけているのでは無かろうかと思われるだろうが、決してぼけては居ない。ただ、小指だけを当てる、あの激痛に見舞われたとき、「そこに居るだけではその存在を認識しにくいが、当たって初めて人は知る。目立たぬが、大事なものは大勢居る。」その言葉に、その時何かしら心が動いたことを覚えている。動いた心が功を奏したとかそういう記憶は曖昧なのだが……。
 案の定、祖母はソファーに正座し、小さな湯飲みを掌の中で揺らしながら、はいってきた劉をちらっと見上げ、湯飲みにふぅと息を吐き、音を立てて啜った。
 劉の弟の孝明はすでに座り、テレビを眺めている。
「そうだ、兄貴、隣の響ちゃん、兄貴のクラスの転校生だろ? すんげー美人だよなぁ。」
 孝明は茶色の髪を揺らしてそう言った。劉は適当な返事をして、父親の晩酌のつまみであるさきイカを口に放った。
「外見と中身は違う。しかし人は知らずにその様子を反映させる行動をとる。男だと思っていても実は女だったり。」
 劉は祖母の方を見た。テレビではサスペンスの再放送をしていた。それは劉も祖母に付き合ってみたことがあるので、その後の展開を知っている。
 確か、女装した男が犯人で、十年前婚約者を殺された恨みを晴らすという奴だったはずだ。そしてその中での探偵役は、売れない推理作家で、先程祖母が言ったような台詞をラストに言った記憶が微かにある。  しかし、劉が驚いたのは、祖母のその記憶力ではなく、夢の中の響に似たあの人が瞬時に浮かんだからだ。そしてそれと響が重なり、空耳である鼓がポーンとなったのだ。まるで「大当たり!」といわんかのように。

 食後、孝明は友達からの電話で部屋を出て、そして外に出て行った。息子二人の母親は、夜出ていくことなど別に心配などしていないようで、孝明が出て行こうが、出て行かなかろうが、たいして怒りもしなかった。
 劉は何となく食後のお茶。と言うものを啜っていた。父親は風呂。母親は台所で炊事をしている。水の音と、食器の音が賑やかに遠く聞こえる。
「劉。」
「あ?」
「お前が遠くに行く気がする。」
「は?」
 何を急に言い出す? と言う口振りの劉の前に祖母は座り、「椅子というのは好かん」などと小言をこぼして、まっすぐ劉を見た。
「桜はいずれ散る。しかし、再び巡り会ったならば咲く。ただ、その繰り返しにすぎん。あまり深追いするな。」
「婆ちゃん?」
「転校生、可愛いのじゃろ? 隣と言うではないか。近所の目もある。窓から夜這いなどかけるなよ。」
「は?」
 劉が大声で聞き返すと、祖母は笑いながら部屋をあとにした。一人居間に残ると、耳が痛い。隣の台所で炊事の音がしていても。風呂から父親が出てきても、耳鳴りは止まなかった。
「劉、お風呂入っちゃって。」
「あ? うん。」

 男の長湯ではない劉は、ものの十五分ほどで上がり、トランクス一枚で部屋の電気をつけた。
 今まで隣は無人だった。だが、今は違う。隣にあの響が越してきて、そして、あろう事か窓の向こうに座っていた。
「あ、どうも。」
 どういう挨拶だ? と顔をしかめつつも、素早くTシャツを着ると、響の方を見た。
 響は、昼間と違い眼鏡を掛けてパソコンをしているようだった。かたかたというキーボードの軽快な音と、ちらつく画面が顔に照らされる。
「まさか、あなたの部屋だったなんてね。」
 響は画面を見ながら打ち続ける。
「メール? ネット?」
「ネット。」
「どういうの見てんの?」
 響が顔を上げた。
 二軒の間は軽く一跨ぎほどだ。ほとんど向こうの部屋の内蔵も見える。ベットに、パソコンを置いた机のみ。簡素すぎる部屋。
「多分、知らないと思うわ。」
 響は画面に向かう。
「なんだよ、それ。」
「歴史、興味ある?」
「苦手だな。どっちか言うと。」
「じゃぁ、知らないわね。いいえ、歴史が得意な人も知らないはずだわ。」
「有名人じゃないんだ。」
「ええ、違うわ。ただの貴族だから。」
「なんでそんな奴知ってんだよ。」
 響は手を止め暫く考えたあとで、
「耳に馴染みすぎるから。かな。」
「は?」
「成瀬 実嗣(なるせ さねつぐ)。字が頼近(よりちか)。知らないでしょ? でも、その名前を忘れたことがないのよね。」
 響は頬杖をして画面を見た。
「検索ゼロ。でしょうね。いつの時代の、どんな人なのかさっぱり。ただ、名前的に昔の人だろうってだけで。」
 頼近。まさに夢で呼ばれた名前。劉の体に悪寒が走り、顔をしかめる。
「そ、そいつがどうしたんだよ。」
「え? ああ、さぁ。ただ、ふいに浮かんだのよ。この街に来て、この家に来て、どこで訊いたのかな?」
 響は検索を辞めたらしく、軽快な音楽が流れてきて、ゲームをしていることが解った。
 劉はため息を付いてベットに座った。
 一時間、いや、三十分ぐらいだろうか、響の終了したらしい無音が耳について顔を上げると、響がこちらを向いていた。
「あ?」
「寝るならさぁ、そういう格好じゃなくて、横になれば?」
 劉は相槌を打って横に転がった。体が睡眠を欲しがっている。それが解る。頭は起きていようとするので、眠りが浅いのだ。
 その時、ふと耳に入る言葉。「良かった。逢えて。」誰だ、誰なんだ?

「一体誰だ!」
 劉は大声を出して飛び起きた。そしてすぐに咳き込み、辺りを見た。
 やはりそこは彼の部屋で、明るさがない。時計の音が耳に付き、顔を上げてみれば、隣も電気は消えている。
「ったく。なんだよ。」
 今度は冴えた目で天井を見つめた。天井板の、節がムンクに見えてくる。(さけんでんなぁ)などと思いながら、自分なりの夢解析を行い始めた。
 予知夢だとして、響と合う暗示で、今後響と何らかの接点が有るものと予想される。しかし、夢の中で、頭に響く、彼の人は男の子なり。が気持ちをもたれさせる。
 響はあんな格好をしながら男だというのか? しかし、どう見ても立派に女だと思う。胸も、足の細さも。なによりこの歳で性転換するには、親も抵抗があるだろう。
 劉が起き上がると、小さな声がして窓を見ると、響が洗いさらした髪を夜風に吹かせ、窓に腰掛けていた。 「何してんだ?」
「星、見えないなぁ。と。」
 劉は窓辺に行き、同じように腰掛け空を仰ぐ。年に一度ぐらい、夜空を見上げるが、すっかりこの街の夜空は観賞用としての価値はない。
「明かりは?」
「お馬鹿。」
「は?」
「電気付けてたら星見えないでしょ?」
 なぁに言ってんだか。と言う風に鼻息荒くした響は、手にしていたポッキーを劉に差し出す。
「夜食べると太るぞ。」
「おかしなこというわね?」
「正論だろ?」
「違う。男のくせに、そう言うことに興味有るのね。ってこと。私はね、太っていても、ブスであっても、そう言う私を好きになる人しか好きにならないの。人は表だけではないってことよ。」
 響は笑って軽快な音を出してポッキーをあの唇で折った。
 劉は一本を口にくわえたままため息を付いた。
「恐い夢見てたでしょ?」
「恐い?」
「一体誰だぁ。悪い夢はね、誰かに言った方がいいんだって。」
「本当に?」
「らしいよ。悪い夢を胸にしまうと、現実になるって。」
 劉は俯いて、ポッキーは唇が上手く口へと運んでいく。
「でもおかしいよね。夢でさ、未来が解ったり、過去が解ったりする。」
「解るのか?」
「あんま、信じてないけど、私の前世は男の人で、お役人だったって。いやぁ、この顔でちょんまげつけて、「ご用だ! ご用だ!」と叫んでたのかなぁ? とか思うとおかしいでしょ? でもそうらしい。正義感が強くって、どの夢を見てそういう結果になったのか忘れたけど、ちょんまげがやたらとおかしくて、その結果だけ覚えてんだよね。」
 響は喋る音と同じ数だけ、ポッキーを口に運ぶように、それを完食していく。
 最後の一本らしいそれを響の指が劉の唇まで持ってくる。
「あげよう。引っ越してきた引っ越しそばならぬ、引っ越しポッキー。」
 響は笑いながらそれを唇に押し当てる。劉はゆっくりと唇を開け、それを入れる。
「それで、少年はどんな夢を見たの?」
 少年? と聞き返す劉の目に、響は笑顔で首を傾げている。
「それよりさ、お前、その部屋で良いのか?」
「なんで? ああ、あんたが夜這いでもかけに来るかって? ないない。弟君は解らないけど。」
「なんで、そう言いきれるのさ。」
「感。すごく当てにならない、感。」
 響は小さく笑い、空箱をゴミ箱に入れた。
「だってね。もしそう言う気があるなら、意地でも起きてるだろうし、欲求不満で見た夢で、一体誰だ。何て言わないでしょ?」
 響はそう言って更に机に置いてあったポテトチップスを開ける。
「それに、今時、一人や二人、そういうことしてる男子が居てもおかしくないし。」
 響の冗談に、解っているのだ。冗談だと。普通なら笑っていられる冗談に、真顔で見返してしまう。
「こわ。冗談じゃない。」
 響は臆しながらも大きめのポテトを口に放り込む。
「じゃぁ、好きな人が余所の男に犯される夢見てた?」
 首を振りながらも、不快な台詞にため息が出る。この感触は、綺麗だったり、憧れているものが、実は自分と変わらないと悟ったときと同じような落胆さに似ている。昔で言えば、アイドルはトイレをしない。でも事実人間なのだからとか。そういうものに似ている。
 響は肩を落として袋の口を側にあったゴムで縛って立ち上がった。劉が響を見上げると、響は口をゆがめている。
「なぁんか、相性悪いようだから、寝る。」
 窓を閉め、カーテンを引く。そして接触が遮断されて、劉は胸を押さえる。ちくちくと針が刺すように感じる。  様子は解らないが、部屋を出て、暫くして上がってきたあとは、寝たようだ。音も、動いているような気配もない。ましてやパソコンの電気もついていない。
 劉は腰掛けていた壁にもたれながらその下に座り、足を投げ出した。
「こう言うときの簡単な消化方法。自棄になる。くそみそに自分を落としけなす。”尾崎”がいいかな?」
 劉は自称して掌を見た。しわが無造作に走っている。
「桜?」
 一枚ピンクの花びららしきものが乗る。
 そう今朝これを見たから、時計の色を無意識に選んだのだろう。ピンクは、桜の色なのだ。そう思ったとき、また夢に引き込まれた。
 劉は桜の木に持たれていた。その前に心配した顔をしている響が居る。やっと同一性になった気がした。十二単を着て、ただ首を傾けている。その柄が金魚なのが不似合いなのだが。
 その響に手を、指を伸ばし掴まれると、響はゆっくりと腕の中に入ってきた。

「本当を知れば、お前は私に同情する。」
 狩衣を着た響がいつになく強くそう言った。そう感じるから夢は不思議だ。そう思いながら目の前にいて、着物が乱れた響に欲情する。
 手をその肌に触れると、一瞬にして裸になった。だが惜しいかな、そのふくらみも、その密も、はっきりと知ることは出来ない。しかし、その身体はまさに女だ。
「だから言ったのだ。お前に本当が知れたら、お前は同情すると。なぜ私が男の姿なのかと訪ね、そして、情を掛ける。そんな切なさがあるか? 私はいつも嫉妬していた。お前の妻を。結婚をするたびに私は平気な振りをしていた。どれほどお前は私を傷付けたか知らぬだろう? 身が焦がれそうになりながら、男で居なくてはいけない身を何度も呪った。もう、いいだろ? 帰ってくれ。」
 細い体。冷たい空気。愛しさが指を抜けたとき、劉は響を抱いていた。
 正確には、そういう映画的効果のある幻像を見た。ちらつき、モザイクがかかり、抽象的ないくつものの小道具が映り、そして時々、響の喘ぐ声がたまらなく体に激情を走らせる。

 劉は息を吐き出した。頭を小突かれた所為もあるが、あの続きを見るには、現実の身体が異常に反応しているのだ。
「そんなとこで寝ない。まったく。いくら春眠暁を覚えずと言っても、ちょっと寝過ぎなんじゃないの?」
「今日、だけだ。」
「そう。とにかく、そんなとこで寝ないで、ベットで寝たら?」
「なんで、なんでお前は起きてんだ?」
「悪い夢、話す気になったかな? って思っただけよ。」
 響の言葉に劉は体の熱が冷めていく。そして冷め切って窓に腰を掛けると、「夢だからな。」と前置きをして話し始めた。
「男何だか、女何だか、とにかくちょっと古い時代の格好をした奴が桜の木の側に居てさ。」
「ちょっと古い? ってどのくらい? もんぺ?」
「いや、十二単? あれ着てるような時代。」
「どこがちょっとよ。」
 響の言葉に苦笑いをして、劉は続ける。
「俺はそいつをキョウと呼んだ。そいつは俺を頼近と言った。そいつは男装していた。でも、女で。」
 そこまで話して劉は響を見た。
「まぁ、所詮夢だ。もう寝る。」
 響は何も言わず、ただ劉を見ている。
「なんだよ。」
「やっと逢えたのに、また見ない振りをするの?」
「見ない振り?」

 春一番は随分前に吹いている。しかし物凄い風が顔に当たり目を瞑らざるを得ない。そしてなにより無数に顔に当たる桜の花びら。息苦しさに体を半分に折って咳き込んでいると、自転車のブレーキ音が側で聞こえる。
「何やってんだぁ?」
 張本 秀喜だ。
 劉が辺りを見渡せば、そこは桜並木大通りだった。
「なんで、俺、ここに……。なぁ、転校生は? キョウだよ、キョウ。」
「は?」
「いつの転校生だよ。」
「昨日来ただろ?」
「お前、春休み中にガッコー来てたのか?」
「春休み、いや、今日は、」
「今日、今日って、なんだよそれ。今日が始業式、十時から入学式。おつむ空か?」
 劉の思考は完全に途絶えている。昨日一日遭ったような気がすることも、夢だったのか?
そう言えばおかしな事もある。
「乗るか?」
 秀喜の自転車の後ろに跨り学校へ向かう。
 劉の家の隣は隣の家の車庫で、一跨ぎできるところに部屋どころか家自体建っていない。それに隣の家には若い夫婦が住んでいて、子供が二歳とお腹にいる。引っ越してくる余地など無いのだ。
「にしてもさ、誰か居たのか?」
「どこに?」
「あの上。上に向かって今日! って叫んでたぞ。」
 劉はそれを聞くと飛び降りる。
「な、なんだよ。」
「先行っててくれ。もし遅刻したら休むから。」
 秀喜はわけを聞き返したが、劉は桜並木へと戻っていた。
 かどを曲がると桜が群をなして風に舞っている。その中を制服がいくつも過ぎていく。公園から降りてくる道との合流地点に劉は立った。擦れ違う同級生に久し振りと笑顔で挨拶をしながら、やって来た人を見付ける。
 自分は、ずっと響を捜していた気がする。運命や、前世を信じるわけではないが、言うならば、それは赤い糸で結ばれた人。と言うものだろう。そういう言葉に苦笑いと照れを含ませた笑顔で、劉は待った。
 真っ黒で、長い髪。薄く、線のような唇。
「キョウ。」
「おはよう。」
「あれ、お前の仕業?」
「違う。でも、桜の仕業かも。願掛けしたから。」
 響はそう言って桜を見上げた。

 劉はその響を抱き締めた。

 桜が巻き上がる。
 桜にはとてつもない願がかかるときがある。
 それは、桜の、ほんの、少しの、気紛れに似た時だけ。
 

Copyright (C) 2000-2002 Cafe CHERIE All Rights Reserved.


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送