私と私


 心から嗚咽が漏れる。なんて苦しんだろう。なぜこんな道を進むのだろう。そう思う。でもこの道を選び、この苦労を想像して居た私は、もう戻ることはできない。どこで間違えたのだろう。
 すれ違う人、立ち止まる人を何人も見てきたはずなのに。なぜその人に習い立ち止まり、戻ろうとしなかったのだろう。
 そんなことを思うと、急に登山愛好家の言葉を思い出す。
「山歩きってつらいでしょ? 道に迷って、立ち往生。なんて珍しくない。舗装された道もあれば、岩ばかりだったり、階段なのか、なんなのか、ごつごつした道を先に勧めなきゃいけない。でもね、だからこそ、その先にある幸せは大きい」
 本当か? 苦しいだけで、あちらの道のほうが楽じゃなかったか? なぜあちらを選ばなかったのだろう。あの時散々思ったことを思い出す。
 向こうをけってまでいいものが、この先にあるのだろうか?
 見えないものへの不安と、自分の居場所のなさにため息しか出ない。苦しくて、自分ひとりが孤立している感じがする。虚空。
 あまりの虚しさに、嗚咽する体。知らずにこぼれる涙。抑えきれない暴力的な自分。狂いそうなほどの無情感。

 -----誰か、助けて

 水の底? 地の底? ただの貧血かもしれない。でも確かにどこかへ落ちていく。落ちて落ちて、落ちて真っ暗になって、寂しさのあまり身体を抱きしめる。

「ママ?」
 顔を覗いた子供の顔。心配そうな顔。胸を裂きそうなほどの目に私は逃げる。
 子供さえいなければ、私は自由。独身のように、好きな時間をすごし、好きなテレビを見て、好きなものを食べて、ドライブにもいける。

 -----子供さえいなきゃ

「ママ、痛いの?」
 心配した目。本当に心配してるの? あんたにあたしの何が解るの? 子供のくせに、世の中なんか知らないくせに、あんたに何が解るの!

 -----子供さえいなきゃ

「いたいのいたいのとんでけ〜」

 呪文。解答される心。
 一瞬でも、この子を殺そうとした自分の心が自分を絞め殺していく。
 でも、やっぱり、心配した目。
「放っといて。向こう行って。」
 突き放す言葉におびえる子供。おびえた目は、私を見つめる。

 -----そんな目で見ないでよ! あたしは哀れじゃない。あたし一人でがんばってるのよ! あんたなんか何にもできないでしょ! あたしがいなきゃ、一人で生きて行けないくせに、何よ、子供だからって、あたしのそばにいないで!

 解放す心。戻れない時間。それは私と子供の距離を産む。

「ごめん、ママ、少し横になるから。」
「あたし、いい子になるから、早くよくなってね。」

 執拗。執拗以上にそばに居る子供。離れないぬくもり。

 -----お願い一人にして

 いなくなる暖かさ。寂しさが今度は心を締め付ける。

 あわてて目を開けると、主人と子供が静かに夕食を取って居た。
「ママ、具合悪いから、静かにしてね。明日には、元気になってるよ。」
 あての無い言葉。
 無邪気に笑う子供。
「ママは病気だから笑わないんだね。笑ったら病気よくなるね。じゃぁ、お手紙描こうかな。」
 字の書けない子供の手紙は、クレヨンで殴りつけた奇妙な線。
「ママ好き?」
「大好き。
 無邪気な顔。

 目を閉じる。
 私の居場所は? あの中にあるの? あの中にいていいの? 子供を殺そうとしたのに。独身に戻りたいと思ったのに。居て、いいの?

 頭に触れる小さな手。子供が撫でて歌を歌っている。でも、何の歌だろう? 自作だな。
 この子は歌を作るのが得意で、ピンクが好きで、ウルトラマンと仮面ライダーに変身できる、ポケモンマスターになるのだ。ドーナツが好きで、ドーナツ屋の前でものほしそうに店内を見る。
 風船を配っていたら必ず赤をもらい、店を出てすぐに飛ばして大泣きする。大きな犬が嫌いで、ねずみとハムスターはすべてハムちゃんで、なぜかコーヒーゼリーが好きな、私の大事な子供。

 こぼれる涙。
 解けていく心。
 偽りだと思って居た大事なものへの思いは、やはり本物だと気づく。

 目を開けると、主人が枕元に座って居た。
「お帰り。」
「ただいま。」
「どうした?」
「自身、なくしてた。だけ、」
「そう、大丈夫だよ。」
 笑う顔は、子供と同じ。

 私の居場所は、ここ。

 また悩むかもしれない。苦しいと感じるだろう。でも、やはり気づく。
 ここが私の居場所で、私らしい場所。だと。 。


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