この物語の登場人物

アリッサ・アルト---------博物館受付嬢---レジャーハンター

ロバート・インディア・マーティン伯爵----美術蒐集家

モーティマ教授-----------考古学者-------美術蒐集家

セバスチャン----------------------------執事

ミセス・リード--------------------------家政婦

テッドリュー・マーティン----------------考古学者


 時は、19世紀初頭のイギリス。産業革命のあおりを受け、貧富の差が目に見えて出てきた頃。人々の関心は、その自由且つ便利な物に注がれ始めていた。そして誰もが、それに注目していた。
 けたたましい轟音と、掃き出す真っ黒な息、息苦しくも、それは自由と、遠方への夢を乗せた。蒸気機関車が実用化され、国のあらゆるところに線路が敷かれ、あっという間に、真冬の霧以上に煤黒い空気が町を覆った。
 そう言えば、蛇足だが、かの有名なホームズの親はまだ生まれていなかったし、生まれていると言えば、彼に影響を与え、その後、日本の作家に名前をもじられた人ぐらいだろうか?
 とにかく、世は産業革命へと足を踏み入れ、それと同時に戦争産業盛んな道へと乗り出しつつあったのだ。

 大英博物館。一階のフロント。各階の案内板の前に、アップした茶色の髪。大きな目は潤み、髪の毛よりも少々赤を差した瞳が印象的な、そう、美人と言うよりはどちらかというと、人形になり損ねたイギリスの少女が、口元に愛らしい微笑を湛えて座っていた。
 彼女の前には、その彼女に一目会いたいくて、毎日やってくる若い青年伯爵の姿があった。彼はもう秋風の吹く時期に、うっすらと緊張の汗を額に浮かせ、それをハンカチで二度、三度拭いてから、「やぁ、アリッサ。」と声をかけた。
「こんにちは、スローン伯爵。」
 彼女・アリッサの澄んだ軽やかな声で名前を呼ばれると、スローン伯爵はにこやかに笑い、アリッサの前に置かれた今日付けの観覧チケットを、同額の金貨と交換で取っていった。
 アリッサはその伯爵の、滑稽で、それで居て、堂々と歩かねばならないことを義務づけられて、アリッサに微笑まれた喜びを必死で押さえている背中に同じ微笑を向けて見送った。
 アリッサは、ここからそれほど遠くない場所に、住んでいる。彼女は貴族であるが、両親とは死別している。生活に困らないだけの金はあるのだが、働くことが好きだという理由から、知り合いの貴族に頼み、ここで受付をしているのだ。
 スローン伯爵は、界隈では有名な青年で、美形且つ有能な方だと社交界きっての人気を誇っているが、当の本人は、これ以上のない温厚で、あまりにも明け透けなほど呑気な性格の持ち主で、その美貌と、いやにいい記憶力がなければ、ただの馬鹿貴族である。
 アリッサの終業時刻は、九時から五時までだ。五時の鐘、ノートルダムの終業時刻をしめす鐘が鳴ると、アリッサは、今日の分のチケットを引き出しに片付け、役所の上役である、デイモンズ所長が入場金の金庫を受け取るのを待っていた。
 デイモンズ所長はずんぐりとした足の短い男で、丸い両眼鏡をいつも鼻の先の方に乗っけているようなかけ方をしている。
「やぁ、アリッサ君、今日はどうだった?」
「昨日と変わりありませんわ、所長様。」
「そうかい。」
 いくら国の管轄の博物館だとは言え、もともとは、一貴族である、ハンス・スローン卿が遺贈されたものだ。そして、遺族はまだその力を握っていて、新しい宝物搬入、展示に関して口うるさく言ってくる。そして、博物館入場者数が少ないと、展示の仕方が悪いだの、興味をそそるような置き方をして無いだのと、【抗議文書】が送りつけられてくる。
 その代表者が、卿の又従兄弟の子供、つまり、卿にとって見れば、赤の他人のような関係の、ロバート・インディア・マーティン伯爵だ。
 彼は、インドで貿易をしていたことがあるため、インディアという名を付けたのだが、これが、一向に姿を見せず、政府(王立博物館役員)をたったの紙切れ一枚で、不幸にも幸福にもする筆跡を持っている。
 そう、彼がもし、「私が新たに手に入れた宝物を寄贈する」と書かれていれば、それが、王立博物館の、否、引いてはイギリス王国家の名誉であり、世界に向けて堂々としたコレクターだと言うことを示すことが出来るのだ。
 しかし、その逆に「私は、あなた方に宝物をくれてやるわけには行かない。であるからして、この宝物をフランスに寄贈する」とでも書こう物ならば、イギリスは大きな財産を無くしただけでなく、敵国フランスに、みすみすその宝物を譲るという失態をさらし、それは世界に向けて、あまりにも無惨な姿をさらす羽目になるのだ。
 デイモンズ所長は切ったチケットと、金庫に入っている金貨数を数え、相違していることを確認し、手提げ金庫に入れ、鍵を掛ける。
「今日はもういいよ。」
 アリッサは少女らしく微笑み、「ごきげんよう。」とショールを肩に掛ける。
 アリッサは人が居なくなり、一際足音が響く廊下を過ぎ、外に出る扉を押し開けた。そこには、毎日のように、スローン伯爵が立っていた。
「やぁ、アリッサ、今日、これから暇だったら、そう、暇ならでいいんだが、晩ご飯を一緒にしないかい? 否、気分を害したね、君が優しくて、あの、使用人達と食事を取ることを知っていて、僕は、なんて事を言ったんだろうね。ごめん、考えなしで。気にしないでね。それじゃぁ。」
 スローン伯爵は、毎日の別れの挨拶をして走って、自分の家紋の入った馬車に飛び乗った。

 もし、アリッサが行くと言ったなら、彼はどうするのだろう。と毎日思いながら、アリッサは家へと歩き出した。
 こつこつと鳴る石畳の道を歩くと、家が見えてくる。人気がすっかり消え、寂しい限りの煉瓦の家。庭の木はすっかり葉を落としているし、余計に寂しく見える。
 使っている部屋が少ないため、使われていない部屋には鎧戸がかかっていて、更に暗い家に感じる。
 アリッサが玄関を開けると、戸に付属してある呼び鈴が鳴り、奥から四十ぐらいの中年婦が出迎えてきた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。」
「ただいま。」
 アリッサはきゅっきゅと音を出すように、あの軽やかで、恥じらうような微笑を、なんの面白いことがあろうか? と聞き返すような、でも、きっと、これが普通なんだと思える、顔に表情を戻した。
「セバスチャンは?」
「彼なら、近所の老人会に出向いてますわ。」
「奇特な人。」
 アリッサはそう言って、暖炉の火が燃えるように焚かれている居間に入り、すぐに靴を脱ぎ、長椅子に足を放り投げて横になった。
 その靴を拾いながら、中年婦は小言を二、三言っていたがアリッサは聞く耳持たずに目を閉じた。
「ミセス・リード。」
「なんです?」
「毛布。」
「でしたら、お二階へお行きになって。」
 ミセス・リードの言葉のあと、アリッサからは寝息の音がするだけだった。
 ミセス・リードは肩を動かし、ため息を付くと、部室から自分がこしらえたパッチワークのカバーの付いた毛布を持ってきて、アリッサにかけた。
 裏戸が開き、五十を越えた老父が居間に入ってきた。
「お帰り。」
「またこんなところで寝ているのか。」
 老父にしてはいやに張りのある声、そして、コキコキ、ぱきぱきという音がしたかと思うと、老父はすっと背筋を伸ばし、白髭を除けると三十そこそこの青年へと変わった。
 ミセス・リードは何も言わず台所へとむかい、セバスチャンは同室の、窓際に置いた小さな机に座った。そこには、新聞が置いてあるだけだった。


 暫くそのままの時間が過ぎ、ミセス・リードが夕食を運んできた頃、アリッサは昼寝から目覚めた。
「おや? セバスチャン、帰ってたの?」
「ええ、もうかれこれ、半時ほど前にね。」
 彼はそう言って、長椅子に座り、目を擦っているアリッサの方を見た。
「いい鼻だ。」
 セバスチャンの嫌味にアリッサは擦っていた手を止める。
「今日は、ビーフシチューにマシューポテトだな。ミセス・リードのお得意料理だ。」
 アリッサが立ち上がると、ミセス・リードはにこやかに更にポテトを配っているところだった。
 実は、アリッサは、先に説明した、【彼女は貴族であるが、両親とは死別している。生活に困らないだけの金はあるのだが、働くことが好きだという理由から、知り合いの貴族に頼み、ここで受付をしているのだ。】というのは、五割がた嘘である。
 まず第一に、両親は死別しているが、彼女は孤児であり、生みの親の生存は定かではない。確かに育ての親である、アルト氏は他界している。生活に困らないだけの金は、仕事をしているからであり、博物館の受付嬢は、その仕事をカモフラージュするためのものだ。
 彼女の仕事は、政府を相手にした考古学発掘者。悪く言えば、高額の金で政府に宝物を売りさばくトレジャーハンターだ。
 そして、それは、育ての親である、ジャン・クロード・アルト氏の裏家業でもあった。表向きは善心善良な考古学者。しかし、その実は、政府から高額をせしめる考古学者だった。かといって、それは悪いことだとは言えない。
 このころやっと、歴史や、考古学的古器の価値が認可されてきた頃で、盗賊紛いのトレジャーハンターが出始めた頃なのだ。
 トレジャーハンターとはもともと貴族や、成金が要請して探しに行くのが通常で、だが、困ったことに、彼らの目的はその宝物にのみ注がれ、その歴史的価値や、歴史遺産として、その現場を現状そのままにしておくことはない。従って、彼らのようなトレジャーハンターのあと、有名な考古学者がそこを掘り当てたとしても、歴史的遺産は見事に崩壊し、その代わりには、無惨に取り壊され、謎のまま土に還らざるを得ない遺跡しか残らないのだ。
 その手から、アリッサの養父は遺跡を守り、その宝物の保護を前提として政府と交渉をし、政府公認のトレジャーハンターとなったのだ。
 アリッサが食卓に座ると、セバスチャンとミセス・リードも席に着き、セバスチャンの祈りのあと、食事を始める。
 アリッサが当てたとおり、ビーフシチューとマシューポテトが皿に乗ってあった。
「そう言えば、スローン伯爵を見たぞ。」
 アリッサは気のない返事をし、シチューのにんじんを口に入れる。
「ご丁寧に、馬車の小銭を渡してくれた。」
「受け取ったの?」
「ああ、でもすぐにポケットに押し戻したがね。きっと、小銭が入っていて、喜んでいる頃だと思うよ。」
 実際、スローン伯爵は老父であったセバスチャンと別れて暫く、新聞を買うためにポケットに手を入れて、小銭を見つけ、思いも寄らなかった小銭の出現に喜んでいたところだった。
 アリッサは「明日、礼を言っておく。」と言って、パンをちぎった。
「ところで、お嬢様、頼まれていたものですけどね、どうして、レース、つけちゃだめですか?」
「だめよ。もし万が一、決闘や、殺しあいがないとは言っても、狭い通路や、汚い場所を通らなきゃいけないのに、襟にレースなど、以ての外よ。」
 アリッサが厳しく言い捨てると、ミセス・リードがつまらなそうに口をとがらせた。
「なんの話だ?」
「服を作ってくれてるの。いつ要請が来てもいいように、早く仕上げて欲しいのだけど、ミセス・リードは、男物のYシャツに、レースを縫いつけると言ってきかないんだよ。」
 セバスチャンはすっと顔をミセス・リードに向けて「レースは止めた方がいいな。」と言った。
 ミセス・リードの機嫌をかなり損ねたようだが、アリッサとセバスチャンがそれに構う様子はない。

 夕飯が終わると、アリッサは自室に帰り、着替えを始めた。まとめた髪を解き、部屋着であるハイウエストの、薄青色のパジャマに着替え、室内履きを履き、机に向かう。
 アリッサが考古学に興味を持ったのは、養父アルト氏の影響だが、それは突然で、神秘的な出会いであった。
 今ほど落ちぶれて無く、屋敷が光のなかにあるような活気があった頃、アリッサは引き取られてきた。
 孤児院の隅にいたアリッサは、気付いた頃から掻っ払いや万引きをしながら生きていた。ある日、孤児院に入れられ、万引きや掻っ払いを悪いこととして注意されて、それが嫌で、それが恐怖になって、隅に座っていたアリッサに、大きくて、分厚いアルト氏の手が伸びてきた。
 優しい声、綺麗な奥さん。二人に引き取られたアリッサは、万引きや掻っ払いを悪いことだと懺悔した。そして、二人の娘になった。
 二人との生活にも慣れた頃、アルト氏が家に発掘したばかりの宝物を持って帰ってきた。それは「ワールド・エンド・ネック」と言われる首飾りで、大粒のブルーダイヤと、連なったルビー、サファイア、ガーネットなど、思いつく限りの宝石の散りらばめられた首飾りだった。
 アリッサはその美しさに触れることは愚か、近付くことさえ出来ないほど、それに魅了された。それは人を引きつけ、それがために人々は争いを止めなかった。それが、「ワールド・エンド・ネック」の由来だ。
 そして、その首飾りはアルト氏の暗殺により紛失。アリッサはアルト氏の執事でもあり、発掘の助手でもあったセバスチャンと一緒に、その家業を、家ごと引き受けたのだ。
 最終目標は、養父母をアリッサから奪った物の手から、「ワールド・エンド・ネック」を奪い返し、王立博物館に飾ること。
 アリッサは日課である日記を書いていた。
「9月25日晴。今日も何ら変わりなく終わった。スローン伯爵が相変わらず訳の解らない口説き文句を言いに来たが、今日も、勝手に帰っていった。」
 アリッサは日記帳を閉じ、本を持ってベットに潜る。
 本の頁をめくったところで、ドアがノックされ、外からセバスチャンの声が聞こえる。
「依頼が来た。」
「こんな時間に?」
 アリッサは文句を言いながらガウンを羽織り、下に降りていく。
 ランプを手にして、横に流してまとめ下げた髪を押さえながら居間に入ると、セバスチャンが本棚を押さえていた。
 普段なら、壁の変わりに添え付けたような本棚なのだが、とある本をちょいと手前に倒せば本棚が動き、隠し扉が開く。
 セバスチャンが入り口を押さえている前をすいと通り、隠し部屋へと向かう。
 閑散とした土壁の、ただ、世界地図と、ありとあらゆる宝物のスケッチした絵と、大量にある発掘日誌が、そこには存在していた。
 セバスチャンが電報を読む横で、アリッサは椅子に座り、地球儀をくるくると回していた。
「オクサスのリングが、ペルシア湾岸のキシム島で見つかったと報告あり、至急回収せよ。」
 セバスチャンの言葉に、アリッサはため息を吐き捨て、「いつもながら、簡素な命令だ。」セバスチャンから手紙を受け取る。
 文面はセバスチャンが読んだとおりで、何ら変わりない。電報の酷く粗雑な神にたった一文。
 依頼主は、政府であり、あの【ロバート・インディア・マーティン伯爵】だ。
 政府からの資金はやはり微々たる物しかでない、せいぜい、他国侵入に際しての保護や、空輸時の旅金援助、一ヶ月の滞在金ぐらいしか出ない。しかし、捜査、発掘、発掘作業道具、採取、そしてそれらの運搬、などの資金が不足となる。
 いつだったか、ガタールの山中で、それこそ資金不足から、餓死寸前で帰ってきたことだってある。
 だが、アリッサはマーティン伯爵と逢ったことはない。興味はあるが、逢いたくないと言われれば、逢うことを強制できもしない。
「私は雇い主であり、君は労働者だ。一介の労働者が、社長の顔を拝めなくとも、何ら不思議ではないし、それが必ずしも必要事項だとも私は思っていない。顔を拝んだから、仕事が丁寧になるとも言えないからね。君は金が欲しい、私は宝物が欲しい、そのためには金に糸目は付けない。これほどはっきりとした取引成立の用件はないではないか。」が、マーチィーン伯爵の言い分だった。
 アリッサのそれに異論はないから、さして抵抗もなく今まで仕事をしてきたのだ。
 ミセス・リードがガウンを羽織って居間に入ってきた。
「非常識な時間帯ですよ。」
 ミセス・リードは壁に掛かっている大きな柱時計を恨めしそうに見る。確かに、常識で訪ねてくるような時間ではない。だが、「伯爵なら、普通なんだろうね。」
 アリッサの言葉にミセス・リードはまだ文句を言いながらでも、自分がおこさなくてはいけない最低限の動作を始めた。まず、アリッサの最低でも一週間分の着替えと、一週間は持つ乾パンなどの非常食などの用意だ。
 セバスチャンの荷造りは簡素で、いつでも出立できるように、革の鞄に入っている。男のくせに几帳面で、いつだって身なりをきちんと整えている。
 だから、急な要請であっても、セバスチャンは革の鞄を持ってきて、アリッサの【道具】を用意すればすぐに出掛けられるというわけだ。
「とりあえず、明後日にしましょう、明日は子供会の子たちが見学にくる。」
 ミセス・リードは納得しながらも、ぶつぶつとまだ文句を言っている。勿論それはマーティン伯爵に向けてだ。
 アリッサは部屋に上がる。手にした蝋燭灯が揺れ、影が四方に揺れている。
 部屋に入ると、すうっとベットに引き込まれ、そのまま眠った。


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