初春のバス


 森沢 奏もりさわ かなは高校受験を控えていた。志望校は自宅から飛行機で二時間離れている。親は反対していたが、さすがに四姉妹の三女にはそれほど反対の風はなかった。それに、そこに行けるほどの頭脳は学校が保証し、推薦状さえ書いたのだから、親としては金銭だけだったが、それも長女がデザイナーとして活躍しているし、生活費を面倒見ると言うことなので、上京を許した。
 しかし、受験に合格してから。
 空港は騒然としていて、取り残された気がしていた。迎えに来るはずの「藍住 徹」は、パリを中心として活躍しているモデルで、デザイナーである姉、森沢 澪のショーによく出てくれる人気ある人だ。その人がなぜで迎えるのか不思議でならなかったが、姉からの電話ではそう言っていた。
 しかし、そこに徹の姿はなく、待ち合わせしていた時間を遙か一時間過ぎた。
「やっぱり、来れないよね、人気者が来ると、絶対大変だもの。」
 奏はそう呟き、公衆電話で姉の事務所に電話する。姉はさして慌てもせず、家までも簡略的な行動を示した。
 バスは遼智高校前を通る、星流駅との連絡便に乗り込む。初乗りだと乗客は少なく、奏は運転席の真後ろに座る。
 バスはゆっくりと二時のオレンジ太陽に向けて走り出した。奏は初めて見る騒がしい町並みを目で追いかけていた。街との境のない空港。地元の空港は田んぼと、畑の中に淋しく立っている。それがここは土地狭しと立っている。
 バスが数十個目のバス停で止まったときには人がかなり乗ってきていた。
 藍住 颯馬。藍住財閥の御曹司だが、三男の彼にはその役得はかなり期待されず、父親からはその存在の有無さえ怪しいものだ。ただ、彼には双子の兄が居る。彼は父親に能力を酷く買われているため、表裏が激しい、その彼の影となり生きているところが颯馬にはあった。双子の兄、櫂馬の代わりに家に留守番で居て、その間櫂馬は颯馬となって喧嘩をしていたり。はけ口を外で見つける櫂馬に代わり、家で大人しくいる「太郎冠者」を買って出ているのだ。
 颯馬は友達に泊まりに行っている帰りだった。男五人で一週間、する事など無く、呆れるほど退屈だったが、それはそれで楽しかったし、一週間はあっという間だった。でも、思いのほか疲れていたのか、颯馬は空席を見つけて前に行く。
「ここ、いいですか?」
 奏は慌てて大きな荷物を足下に置き、その声に降り見上げる。
「ごめんなさい。どうぞ。」
 颯馬はそのまま固まった。家で娘のような大きな鞄。見慣れない顔。だがそれ以上に、彼の心を掴む何かが奏にあった。
 颯馬は黙って椅子に荷物を置くだけでずっと立っていた。本当はそこに座りたいほど疲れていたのに。彼女の横に座ることが妙な罪悪感に感じる。彼女を知りたいと思うのに、それが出来ない。颯馬が俯いた姿を見た奏は、再び謝る。
「ごめんなさい。大きな荷物だから、座れませんね。」
 奏の声に颯馬はさらに俯くしかなかった。あとは、ただ、降りるべきバス停が近付くことだけを待っていた。
「次は、遼智高校前」
 奏の手が伸びた。同じ? 颯馬は瞬間顔を上げてボタンを押した奏の後頭部を見た。高い位置で括り垂らしている、今時珍しいポニーテールが揺れる。
「降りますから、座ってくださいね。すみませんでした、大きな荷物で場所とってて。」
 奏はそう言って降り口に向かって進むが、人が多くてうまく持ち運べないようだった。颯馬は自然に、いや、きっと、その側に居たサラリーマンに持たせたくなかったのだ。持つわけないのだが……。
 奏が振り返れば颯馬は自分の鞄を担ぎ、奏の鞄を掴んでいた。
「あの?」
「降りる。俺も。」
 よく櫂馬に言われる。お前は単語でしか会話をしないのか? と。それがいけないわけでも、不都合と感じなかったが、今ははっきりとそれが悪癖だと気付く。もう少し気の利いた言葉をかけろ。そう思いながら奏の鞄を持ち上げ、一緒にバスを降りた。
「ありがとうございます。」
 奏は深々と頭を下げ、やたらと礼を言った。
「あ、あの、さ。」
 名前を聞いたいのか? どこに行くと聞きたいのか? なんならそこまで持っていこうか? と言いたいのか、でも颯馬の口は、意志と反して突き放してしまった。
「そんなにいい人ぶると、騙されるぞ。」
 颯馬はそこから逃げるように走り出していた。なんであんな事を言うのか、なんで言ったのか、つまらないことだが、颯馬にとっては大事件だ。慌てて振り返ったが、もう奏の姿はない。これで妙な後悔だけが残って、奏との縁は切れてしまった。
 颯馬の両肩に重しがのし掛かる。
「後悔先に立たず。」
 颯馬はそう言って家に歩き出した。
「悪いこと、しちゃった……。」
 奏は思い鞄を持ち上げ、姉の家に向かう。路地を入ってすぐにある一階は雑貨屋の入った五階建てのアパート。二階部分をワンフロアーつぶしたところに住んでいる。デザイナーとはいいご身分なのようだ。
 階段を上がり、ベルを鳴らすと、すっ飛んできたように戸が開いた。
「奏ちゃん!」
 中から出てきたのは、姉と同居している達端 みかげ。だった。腰まで長い髪には緩やかにかけ損じたパーマのうねりがあり、大きな目が、みかげをより協調的に見せていた。
「良かったよぅ、てっちゃんがさぁ空港行ってないの、今さっき知ってね。澪に電話したら、奏ならそっちに付く頃よって言うじゃない。もう、心配で心配で、さぁ、どうぞ。」
 家に上がり、風呂場、トイレのある廊下を過ぎて開かれた居間の扉。真っ先に目に入る居間の真ん中に立てている柱。その柱の側にあるコタツに、パジャマに半纏を羽織った藍住 徹。リビングテーブルにコーヒーを持って新聞を読んでいた神崎 宏樹。
「なに、どうした?」
「あの、なんで、トーイ(徹の芸名)やヒーロー(宏樹の芸名)が居るんでしょう。」
「聞いてないの? 澪に。あたし達一緒に暮らしてんだよ。と言っても、ほとんど海外に行ってるから、日本にいる一年のうち一ヶ月ぐらいなんだけどね。」
「知らなかった。」
 奏は鞄の中身を思い出す。一応みかげには土産がある。でも、あとの者にはない。
「ごめんね、昨日の見過ぎて、迎えに行くって言ってたのに。」
「テツが約束してたこと知ってたら、俺でも行ったんだけどね。」
 宏樹がそう言うのを奏は首を振り、
「空港、大変な騒ぎになると思うので、かえって良かったと思いますよ。」
「でもよく来れたよね、あたしじゃぁ、無理だな。」
「ああ、無理だな。」
 みかげが徹を睨む。
 奏はベットに倒れ込んだ。この部屋は奏用にみかげがすべて用意したらしかった。リサイクル品だけど。と言った机、ベット、タンス。これで受からなかったら、申し訳ないほどこの部屋の荷物は完璧だった。
「また、逢えるかな?」
 奏は天井を仰ぎ、颯馬の顔を思い出していた。胸がどきどきする。
「やっぱり、受からなきゃ。」
 その日の夜遅く、奏の部屋から明かりが漏れていた。真夜中トイレに行こうとして戸を開けると、側に小さな机の上に、夜食と、ポット、それとココアの瓶にカップ、お菓子が盛られていた。
「みかげさん。」
 奏は微笑んで出来るだけ勉強をした。
 高校合格の通知が来て、奏は合格祝いに姉やその仲間が用意してくれたフランス旅行に来ていた。
 姉の仕事の関係で、みかげと奏が同行している。と言った方がいいだろう。
 美術館巡りをし、少し寒い中、奏は澪とみかげの三人で買い物に向かう。
「あれ、いいねぇ。」
 たまにみかげの好みが解らない。本気で、公園の小便小僧の像を土産にと言い出すのだし、かと思えば、貴重な名画を何とも思わないのだ。でもそれがみかげの個性だと笑えるのは、みかげの人徳なんだと奏は思う。さもなくば顰蹙極まりないのだから。
「で、どこ行く?」
 澪がしない地図を見ている横で奏はそれをのぞき込み、みかげが空を仰いでいた、コンコルド広場で、奏はふいに日本語を耳にする。
「まったく、櫂馬さんは。」
 奏が振り返ると、確かにあの彼だ。
 颯馬は家では櫂馬としていることが多い。こと、フランスに住む母方の祖母の前では颯馬は櫂馬で居る。祖母もそのことは知っているが、二人の孫達はそれを正そうとすることを拒んでいる。
 颯馬は祖母の側に立ち、トレーナー姿なのに、すっとした、まるでパリジャンであるかのように洗練されて立っていた。それを見た奏は、自分の格好もさることながら、妙な差を感じたが、この前のことを詫びたい一心で走り寄った。
「ごめんなさい。」
 颯馬の顔に高揚が走り、奏を見つめる。
 奏は下げていた頭を上げ、颯馬を見上げる。颯馬の無表情に、忘れていることを思い出させただろうか? と思案する奏の顔。
「櫂馬さん?」
「あ、」
 颯馬は祖母を見た。祖母その瞬間奏の手を握り、奏の詫びの理由を聞いた。百歩譲っても奏は嘘を言っていない。ただし、颯馬が気分を害していると思うことを除けば。害などしていない。自暴自棄にはなっていても。
「それは櫂馬さんが悪いでしょ?」
「解ってます。言い過ぎました。」
「まぁ、なんて愛想のない。」
 祖母に言われ、颯馬はため息を付く。神は我を見放さなかった。しかし、祖母の前で逢わす必要があるのだろうか? でも、その祖母のお陰で、颯馬は奏と片言の会話をすることが出来たし、その結果、春には良いことがあるとさえ、思うことが出来たのだから、それはそれで良かったのだろう。





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