豊饒祭

 侍女のクラーラはため息を付いて歩いていた。料理婦長のトシノの使いで街に買い物に来ているのだが、街は年に一度の豊饒祭の仕度で賑やかだった。クラーラもトシノに豊饒祭の飾りや、材料を買いに行こうかと切り出したが、まっすぐにこう言われた。
「無理よ。この家にはそんなことは無用。大奥様が亡くなってから一度としてやっていないのに。お前はここに来て初めての豊饒祭だから浮かれているんだろうけど、この家には無用なんだよ。」
 と切り捨てられたのだ。
 アグア伯爵家に奉公に来てほぼ一年。伯爵家だから豊饒祭は豪華なのだろうと期待していたのだ。
 クラーラの家は相当な遠方なので、セリーリャスの噂は幸か不幸か、聞こえていなかったのだ。
「伯爵家なのに……。」
 クラーラがトシノの使いで買ってきた籠を下げて門を潜り、急に増えた男性職人が木材を運んだり、あるいは煉瓦やら、土やらを荷台に乗せ一輪車を押していく姿を避けながら裏手に回った。
 セリーリャスの館、ブランカ邸の表は白亜宮と呼ばれるほど真っ白い壁だが、裏は煉瓦が剥き出しで酷く暗く感じる。
 クラーラは年季日数が少ないので、比較的セリーリャスの拷問を受けたことはない。しかし誰も彼女のそばに寄らず、ご機嫌を取る姿は見てきている。それならば辞めればいいと思うのだが、必ずその後に、『昔のお嬢様はいい子だったのよ。ご両親が亡くなられてから、おかしくなってしまったのよ。』と口を揃える。特に、側使いのヒラソルなど、本当の妹のように接していた。
「ヒラソルさんの言うとおりなら、豊饒祭、参加しないかしら?」
 クラーラはそう呟いてみたが、トシノたち長年季者の首は易々と縦には動かなかった。
「豊饒祭?」
 クラーラは慌てて振り返った。そこに居たのはセリーリャスだった。ただの散歩ついでなのだが、戸口で立ちつくしたままのクラーラに声を掛けようとして近付いてきたらしい。
「豊饒祭って何?」
 セリーリャスはその後ろに立っているヒラソルを振り返る。
「豊饒祈願祭。と言うもので、田畑の恵みに感謝し、来年また豊作であるように願う祭りです。」
「街に赤い布が下がっているのは、その所為?」
「ええ、赤い布を屋根から垂らし、窓には青いもの。入り口には緑の布をかける。それがお祭りのシンボルです。」
「赤はどういう意味?」
「太陽です。太陽の恵みと、水の恵み。そして豊饒を示す緑。」
「なるほど。この家ではしないの?」
「……、もう長いことしていません。」
 ヒラソルの暗い返事にセリーリャスは空を見上げた。
「この家の屋根から赤い布を垂らすのは確かに大変ね。」
 セリーリャスは見上げていた空から視線を降ろさず、かなりの時間黙っていたあと、そう言ってヒラソルを見た。
「そう言う家用に何かあるんでしょ?」
「と言いますと?」
「赤い布を下げるような棒とか、早くしないとそのお祭り始まるんじゃない?」
「するのですか?」
「しちゃいけないことないんでしょ?」
 セリーリャスが笑って答えると、ヒラソルは直ぐにクラーラに指示を出す。トシノを呼び豊饒祭用の料理を作る。そして、飾り付けをする。
 クラーラの笑顔と同時に、調理場から驚きの声。
「急な話でごめんね。」
 セリーリャスは調理場に顔を出す。トシノはいつもとは違い、素早く立ち上がった。
「豊饒祭を、するんで?」
 馬舎のパトが伺わしそうに小声で聞くと、セリーリャスは笑顔で肯いた。
 セリーリャスは胸が痛んだ。自分を受け入れていないパトとトシノの目。裏切られ続けた人の、信じたくても信じれなくなってしまった目。
「楽しいことは、何でもしなきゃね。用意大変だろうけど、頑張ってね。」
 セリーリャスは調理場から出て、散歩コースに戻った。

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