能力

 霧深くなってきた。夜の十時を回った頃、まだ秋だというのに、この霧深さはどうだろう。まるでおかしなモノが出てきても、一向に構わないような空気ではないか。
 そこをやむなく歩いていた一人の青年貴族は、外套の襟を頬まで引き上げ、短く、その冷気の吸い込みを拒否するように息を吐き出した。
 近くに馬車を待たせて、彼が歩いているのは、暫く歩いた先にある家に赴くためであった。馬車で入り込めれる路地ではあるが、その家の家人が極端に家の前に馬車が止まるのを嫌うため仕方なく歩いていたのだった。
 その家人に、格別の恩義や、礼儀がなければ、彼だってこんな霧深い、薄気味悪い夜、出歩いたりはしない。
 彼は戸を二度、三度と叩くと、中から恰幅のいい、陽気で、血色のいい侍女が出てきた。いつも笑顔で迎え入れてくれる彼女も、彼の後ろにどよんと居座っている闇には顔をしかめている。
「嫌な霧ですね。」
「まったくだ。で、今日はどういうご用だろう?」
「さぁ、急に早使いをエラード様に寄越せと申されて。」
「まったく、気分屋なのだから。」
 エラードと呼ばれた彼は外套を侍女に渡した。そしてエラードは気合いの意味を込めて息を付いてから侍女に微笑みを向け、
「申し訳ないけど、外で待っている御者に熱いものを渡して置いてくれるかい? 今日はよく冷えるし、どうも、この雰囲気は長引きそうだ。」
 侍女は首肯して裏に回ると、エラードは扉を叩いた。
「どうぞ。」
 と言う声がしてエラードが中に入ると、家人は揺り椅子に座ってパイプをやっていた。
 家人はいつものことだか神経質なくせに、それで居てどこか詩人のような繊細さと、たおやかさを兼ね揃えた奴で、細く長い指を組み、いつものように横暴な態度で足を組んでエラードを迎えた。しかし、その態度も、彼のその男のくせに美しい顔に合間うと不思議と嫌味でもなく感じられるのだ。
「急用ですってね?」
 エラードが嫌みったらしくそう言って、彼がいつも座る椅子に腰掛けると、家人は人差し指を唇に当てた。すると侍女がお茶を運んできた。
「外の御者にもお願いするね。」
 エラードの言葉に彼女は首肯するだけだった。もう少し笑えばあれはあれで、寡婦でも再婚の機会があるだろうに。と思うほど元は綺麗な侍女だ。侍女が出て行って、エラードが切り出した。
「で、何のご用です?」
「えらく不機嫌だな。」
「当たり前です。こんな霧深い最中だし、それに、いい時間ですよ。」
「社交界に出ていたので、少し遅くなっただけじゃないか。そうとんがるな。お前さんのような美人がとんがると、ますますいじめたくなるぞ。」
 エラードはかっと顔を赤くしてすいっと立ち上がると、家人は大袈裟に声を出して笑った。
「お酒が過ぎるようですね。」
「少しだよ、困ったことが起きたからね。」
「困ったこと?」
「君はいい人だ。」
 家人は座り直したエラードに微笑んだ。
「君はあの場に居たよね? セリーリャス嬢が落馬した現場に。」
 エラードは肯いた。
「その後の彼女がどんなんだがご存じかい?」
「いや、格別興味はないからね。それが何か?」
 素っ気なく答えるエラードに、家人は笑みを解かずに答えた。
「ご乱心なさったようだ。」
「ご乱心?」
 もともと乱心していたではないか。と言わんばかりのエラードに、家人もそう思っていたというような口振りを見せた。
「セリーリャス嬢の側近カルネロが聖戦士の辞退を、グラナダの国王に申し出たらしいんだ。勿論グラナダの国王がそれを承知するはずがない。近隣諸国の中でも彼女の剣術ときたら名だたる梟将きょうしょうの武人よりも凄腕だったじゃないか、そのお陰で女性でただ一人の聖戦士になりおうせたわけだし、現に、いくつもの活躍をしている。」
「ああ、それは認める。」
「女性が戦場にいるのはやはり気に入らないと見えるね。」
 家人は軽く笑って、お茶を飲み、ため息を付いた。
「カルネロが後日再びやってきて、再度の辞退を迫った。その理由がご乱心だから。と言うのが理由だ。性格がまったく変わってしまわれたという。だが、国王も、勿論、聖戦士に性格は問題ではない。むしろ、大人しくなったというのならば、仲間の連結が容易くなる。そう諭したが、カルネロは頑として辞退を申し出た。そこで、国王の命令で、聖戦士でもまだ『あの』セリーリャスに命令できて、彼女と同等に渡り合えるであろう【我々】に見舞いかたがた様子を伺ってこいと言うのだ。身体的欠落があるのならば、新しい聖戦士の補充が必要になるのだから。早期のな。」
「しかし、あなたはセリーリャス嬢が非常に苦手だから、【我々】で行こうというのですか? 【我々】で、カシス隊長?」
 家人・カシスは顔を背けてため息を付いた。エラードが隊長と付属したのは、嫌味のつもりだったが、どうも図星だったようだ。現にカシスの命令をセリーリャスは何度も破り、戦場に赴くことは気紛れでしかなかった。唯一の女性だからと目をつむっていたが、女性でなければ切り捨てていると『隊長』身分で言うほどカシスはセリーリャスを嫌っている。
「いつですか?」
「さすが我が友。明日の午前中だ。昼食前に庭を散歩されるそうだから、その時に逢うようにしようと思っている。」
「男嫌いじゃなかったですか? 直接屋敷に行くのは、」
 危険だと言いかけてカシスに目を移せば、意外にも改心は男嫌いも直したと言った。逆に男好きとなって連れ込み過ぎなきゃいいがとまで悪態を付いた。
 エラードが帰路の馬車の中であの日のことを思い出していた。
 気付いていたのは自分だけだろうか、他にも同じように、気付いていた人が居ても良さそうなのだが。
 崖。それは秋の日差しを受けきらきらと光っている緑がまだ見られる崖だった。馬で駆け下りることが出来るくらいの高さだが、セリーリャスは、馬が何かに驚いた瞬間、崖っぷちの泥に足を取られて転倒。いつものセリーリャスならば軽く飛び退くくらい造作もなかったが、鐙に長く派手なスカートが巻き付き、外れなかったことも惨事の要因だろう。、尚かつ、その身に馬が乗りかかった。地面に叩きつけられ馬は脊椎損傷で安楽死をさせられたというのに、その下敷きとなったセリーリャスはかすり傷無かったという。
 エラードが思い出していたのは、落ちる瞬間、彼女の顔が変わった気がした。眉の角度、口の形、行動の一個一個が違うような錯覚がしたことだった。ただ記憶が失せていく顔だとしても、あれはセリーリャスではない。そんな不気味だと感じるその元に行くというのは、あまり気が進まない。カシスの申し出だから出向くのだ。エラードは小さくため息をこぼし、霧深い何も見えない窓の外を見た。

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