渾融(こんゆう)

 セリーリャスは目を覚ました。目を覚まして悲しみに胸が潰れそうな程の不安を胸の押し付けられて胸を鷲掴む。
「セリ様。」
「ヒラソル、私、もう、やだぁ。」
 ヒラソルはセリーリャスを抱き締め、優しく頭を撫でる。
「私は嫌われてるの。凄く、なのに、私は、彼が好き。」
「エラード様も、」
「いいえ、彼ははっきりと言ったわ、私などに好かれては迷惑だと。」
「まさか!」
「本当よ。なのになぜ私は彼を好きでいるのかしら?」
 もう、嫌いになろう。彼とはお友達だと、心に言い聞かせようとしているのに。彼が好き。
「でも、もう逃げるのも嫌なの。」
 もう? ヒラソルも同じ事を思ったのか首を傾げたが、そう思った瞬間目の前に見えた体育館のあの板の床と、あのバスケットゴールのネット。それが不思議と真夏の陽射しを浴びるプールの情景に変わっていく。そしてそれが激しい頭痛を生み、セリーリャスは頭を押さえて唸った。
 医者の処方した睡眠薬を飲み、セリーリャスを寝かせたのは昼前だった。
「セリーリャス様は?」
 レノもあの一件をエラードに聞いて以来セリーリャスを異常に心配して寝ていない様子だった。
「今は休まれていますわ。あなたもお休みになられたら? あの分ではお勉強も出来ないだろうし。」
「それならば、あなたの方も同じでしょう。どうせ、休む気など無いのでしょ?」
 ヒラソルは廊下の窓辺に立った。外は空っ風が吹きすぎ、寒々と木々を揺らして、覆う物の無くなった裸木たちは、見るも寒く立っている。
「エラード様のお気持ちを知っておいでで?」
「お気持ち? というのは?」
「セリ様をどう思われているか。」
「そんなことは存ぜぬ。仮に知っていようとも、それは私が言うことではないと思うが。」
「ええ、そうでしょう。あなたはエラード様の家臣ですもの。でも私はセリ様の侍女です。……、今セリ様に存在しているモノは、拒絶されながらも想う気持ちの大きさと、記憶が、」
「戻ってきているとでも?」
「最近頻繁に頭痛を起こしますわ。そしてその間隔、頻度、そして、その頭痛の具合。あれではあまりにもむごすぎます。」
「エラード様に報告しておきましょう。」
「ですが、くれぐれもセリ様の内情はおっしゃらずに。」
 レノは小さく頷いた。
 ご心配なく、エラード様のお気持ちもセリ様にあるのだから。そう言えないもどかしさがある。それはレノの意見であって、エラードの口から発せられていないのだ。それが適当であっても、それは間違いなのだ。

 ボールの音。バスケットボールの重い音がする。どす。どす。どす。続く威圧感。藻掻くことの出来ない束縛感。息苦しくて、ついには脂汗を滲ませセリーリャスは起き上がった。
 夕闇が迫り、今日も終わろうとしている。
「セリ様。」
 いい匂いを出すワゴンを押してヒラソルが入ってきた。
「起きられたのならヒモをお引きになればよろしかったのに。」
 努めて明るくいうヒラソルに、セリーリャスは俯き、
「さっき、起きたから。」
 と告げる。
「そうだ、先程お城より、明日のお茶にご招待を受けたのですけど、でもこれはカルネロさんのお仕事でした。でもお断りなさいね。具合が悪いのですから。」
「お城に? なぜ?」
「なぜって、さぁ、ただ、お茶に誘いたいからと。そうおっしゃっていましたけど。詳しいことは、」
 ヒラソルに頷いて、窓の外を見た。ヒラソルは明かりをともし、部屋はほのかに暖かい光りに包まれていく。
「好きな人居る?」
「私ですか?」
「そう。」
「居ませんわ。」
 ヒラソルはおかしそうに笑いながらいうと、セリーリャスに目線を向け首を傾げる。
「レノなんか良いと思うけどな。真面目だし、頭良いし。」
「レノって、お嬢様ご冗談はよしてください。」
「嫌い?」
「そう言う問題ではありません。」
 セリーリャスは小さく笑った。そのお陰でヒラソルはその先何も言えなかったが、明らかに口は尖っていた。

 カルネロがやってきたのは直ぐのことだった。妙に額のしわが目に入る辺り、なんだか苦労している気がしてセリーリャスは心苦しかった。
「多分。お喋りな侍女が側に居ますから、」
 そう言ってヒラソルをちらりと見たあとで、カルネロは咳をして口を開く。
「お城から、お茶のお誘いを受けましたが。如何しますか?」
「今までもあったのかしら?」
「いえ、初めてです。」
「余所は? 余所の方はどう? 例えば、そう、……、エラードさんとか。」
「彼は聖戦士の中でも国王陛下のひいきを受けている方ですから、ちょくちょく呼ばれておいででしょう。それ以外の伯爵では、なかなかありません。」
「名誉? 我が家にとっては素晴らしく名誉かしら?」
「……、そう言えます。しかし、今はお嬢様の体の具合を優先されて、」
「行きます。断る理由はないし、ここでこうしていても、しょうがないもの。それに誰だったか、お城の薔薇の庭はとても素敵だとかいっていたわ。うちの庭も素敵だけど、どれほどかしらって興味あるし。ヒラソルを同行させることを許可してくれたら、行きます。そうお答え下さい。」
「よろしいのですか?」
 そう聞いたのはレノだった。カルネロはあの夜のことを漠然と話しに聞いている。それもレノやヒラソルからだから、事実と少し異なる伝え方をされているだろうが、でも、カシスによって殴り飛ばされた点では、はっきりと聞き及んでいるようだった。だから、セリーリャスが合意したことに少しだけためらい、聞き返すことが出来なかったのだ。
「ええ、私は平気だもの。」
 顔の腫れは治まった。でもまだかなり痛む。笑えばそこが引きつれて、とてもまともには笑えない。
「お化粧と、それから御帽子で隠しましょうね。」
 ヒラソルはそう言って用意を始めた。それを見ながらよほど酷い顔になったものだと苦笑いをする。
 魔女。そう呼ばれて、胸が張り裂けそうになった。なんだかどうでも良くなり、壊れてしまいたかった。でもその度に、エラードが脳裏に浮かび、微笑みかけている。あんな女に好かれたくない。といわれたのに、どうしてこれほど恋しいのだろう。

「……様? セリ様?」
 我に返るとヒラソルが顔を覗いていた。
 登城の日が来て、馬車は最外門を潜ったところだった。
「もう、お城?」
「はい。」
 ヒラソルの異常な緊張が握られた手から伝わってくる。
「ごめんね、一人で行けばいいのに、あなたにまでこんな緊張させて。」
 ヒラソルは笑ったが、言葉で大丈夫だとは言えなかった。何せ、自分が倒れそうだったのだから。
 王の居城まではまだあと二つ門を潜らなければならなかったが、それでも一介の人間が入ることを許される奥の庭にセリーリャスは連れてこられた。
 確かにそこはいちめん薔薇が植えられており、シーズンには綺麗な花を咲き誇らせるだろうと想われた。
「今は花がないから。」
 そう言って出てきたのは王妃だった。この前の霜除け祭では風邪を引かれたからと欠席されていたので、セリーリャスには『初めて』見る顔だった。ふくよかな丸みと、柔らかそうな目から慈愛が感じられる何とも聖母のような王妃だった。
 その王妃の手を取って王が現れ、セリーリャスは礼儀に乗っ取り膝を折って傅く。
「椅子にお座りなさい。ドレスが汚れるわ。」
 そう言って王妃がセリーリャスを立たせ、ちらりと見えた顔に絶句する。
「どうなさったの?」
「とある事情です。どうか、触れないでください。」
「無礼千万だわ。いかような事情があっても、」
「どうか、それ以上は。」
 セリーリャスの懇願に王妃は黙った。それと同時にカルドとカシスがやってきたこともあり、王妃は二人にセリーリャスの顔を隠すように隣りに座り、手を握ったままで居た。
「あの、なぜ私をお茶に? 聞きましたら伯爵家で招かれた者は居ないと。」
「閣下がとてもお気に召したというから、どのような方かと興味がわいたの。以前のあなたにもあったけれど、すっかり変わられてしまって、どなたか好きな方がおいでになって?」
「……、いえ、記憶を無くしておりますから。」
「まぁ。」
 王妃は言葉を失い黙った。そしてただセリーリャスの手を撫でるだけだった。
「恐い?」
「といいますと?」
「記憶を無くすと言うことは。」
「最初は酷く寂しくて不安でした。今は少しだけ緩和されたように思います。ただ、そう思っているだけかも知れないときもありますけど。」
「お散歩しましょうか。二人で。」
「出来れば、ヒラソルも連れて行きたいのですが。」
「結構よ。さ、行きましょう。」
 王妃の手は温かく、優しさをくれる。三人は彼らから少し離れた場所に腰を下ろした。とはいえ、ヒラソルはたえず距離を置き、俯いて立っているのだが。
「大変だったわね。」
「そう思っていません。生活や、何かはみんながよくしてくれます。だから、不都合は感じません。でも、何か凄く大きなものを忘れているようで、それが恐くて。」
 王妃は黙ってセリーリャスを抱き締めた。その抱擁にセリーリャスは黙って従い、涙を流した。少しだけ安堵した気がした。

 お茶の席に戻ると、国王が言いにくそうな顔をしながらゆっくりと聞いてきた。
「聖戦士を続ける気はないか?」
「今私が同行しても足手まといになると思います。それに、予知の力を期待されても、私は、エラードさんの、あの、怪我を、予知できなかった、し。」
「そなたは神ではあるまい?」
 王は優しくセリーリャスに告げる。
「神でない者に完璧を求めるのは不可能だ。お前に予知があると知って、すべてをお前任せに行動している方が悪い。お前がたえず一人一人の予知をすることなどその方が無理だと言うことを忘れている愚か者の方が。オリバ伯爵の怪我は確かに我々の痛手だ、しかし話しによればそなたの的確な治療の成果があって、すっかり良くなっていると聞く。予知だけでなく、そう言う細部のフォローまでするお前の働きが欲しい。出来まいか?」
 セリーリャスは俯いたままで答えた。
「考えさせてください。」
 断る理由が見当たらない。ルヴェルトス卿のように死ぬかも知れないという死の恐怖より、今は押し潰してくる訳も解らぬ無記憶の方が恐かった。それから逃れれそうな気もする。しかし逃げ場として選ぶにはあまりにも危険で、聖戦士(彼ら)に悪い。
「ゆっくりと考えるがいい。サラードに行く旅はちょうど一ヶ月後だ。サラードまで巡業し、そしてまたこのグラナダに戻る。そして来年こそ門を探し、魔族を封じ込め百年の長い戦いを終わらせる。そう願いたいのだ。」
 セリーリャスはただ頷くだけだった。
 今の自分の不安など、魔族と接する機会の多い人たちの不安に比べれば小さいものかも知れない。と思ってみても、それを体験していないセリーリャスに自分と比べ安堵できる余裕がない。
 馬車の中は無言が続いていた。ヒラソルの心配そうな顔はただ、聖戦士を辞めるように告げているだけだ。辞めるだけで良いのだろうか? そんな逃げてばかり居ていいのだろうか? それも不安を呼び起こす道具でしかないのだ。
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Juvenile Stakes

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