3 「火曜日のあしながおじさん」

 火曜日。朝食時、レディー・アンはキャリーと並んでサンドイッチを頬張っていた。ただし、レディー・アン以外は、皆一様に暗い顔をしていた。
「どうかした?」
「呑気ね。レディー・アン。」
「だって、レディー・アンは、今日が初めてじゃない。」
「何?」
「そうよね。」
 キャリー、声楽で一緒のクラスであるアマンダがため息を付く。
「何? 今日がどうかしたの?」
「火曜日は、声楽課のテストなの。あの聖堂の窓を開けられるか、そしてその実力はどこまで伸びたかって言う。」
「それは大変。」
「レディー・アン!」
「でもしょうがないじゃない。まずくって、だめなのなら、辞める以外ないでしょ?」
「あのね、そう簡単に言うけど、私たちのように、貧しい家からだと、ここに居る方が家の負担にならなかったり、逆に、聖歌隊に入って寄付を得れば、それだけ家族に仕送りだって送れるのよ。」
「ここ、学校よね?」
「実力主義なの。ご褒美とかじゃなく、ちゃんとお客様が入って将来有望かどうか、それを決めて、あとあとの授業料やなんかを融資してくれるの。」
「凄いシステム。」
「だから、みんな喉も通らないのよ。」
「美味しいのに。」
 レディー・アンはそう言ってサンドイッチを頬張った。
 ギーゼルベルトはコーヒーを飲んだ。バイオリニストを目指すケインが座っていた。
「レディー・アンは今日が初日らしいな。」
 ケインの言葉に、ギーゼルベルトはレディ−・アンの方を見た。ちょうど人の間に彼女の姿が見える。
「どんな声だろう。」
「聞いてくれば?」
「素っ気ないなぁ?」
「うるさい。」
「いかんなぁ。昨日からなんか怒ってるな。」
 ギーゼルベルトはむっとして立ち上がると食堂を出て行った。
(あいつがどんな声で歌おうと、あの窓がどこまで開こうとオレの知ったことではない。公の場で人を痴漢呼ばわれしたくせに。確かに触ったかも知れない。でもさ割った感触なんか無かったぞ。本当に!)
 レディー・アンたち声楽科は一列に並び聖堂前の渡り廊下に立っていた。みんなが緊張していく中で、五人ずつが舞台に呼ばれて出て行く。
 渡り廊下の開け放たれていた窓からバイオリンの音が聞こえてきた。
 渡り廊下の向かいはバイオリン科の教室があるようだ。
「ギルね!」
 あれほど緊張していた人たちが一気にその寝に耳を澄ます。
 ギーゼルベルトの名前を聞いて一瞬顔をしかめたレディー・アンだが、確かにみんなの言うとおりギーゼルベルトのバイオリンの音は素晴らしかった。渡り廊下のガラスは微妙な共鳴をして、バイオリンの音を更によく響かせている気がするのだ。
「これは、タリアの海岸町ね?」
「タリアの歌だったわね?」
「よくお母さんが歌ってくれたわ。私の好きな歌よ。」
「でも、課題曲じゃないわ。さ、次の五人。」
 ミス・ブローカーがそう言ってレディー・アンを含む五人を聖堂の舞台に上げた。
 レディー・アンは三番目だった。その後でキャリーが歌う。前の二人は緊張でがちがちのままピアノ伴奏だけが響いて終わった。
 客席には確かに有名どころの、富豪たちが顔を揃えていた。
 でもレディー・アンはそんな顔など見ていなかった。ギーゼルベルトが引いたあのバイオリンの音が耳に残り、レディー・アンの目の前には、見たことのないタリアの海岸街が見え、海が見え、丘が見え、その情景がどうしてもそのまま見えていたのだ。
降り注ぐ太陽の光
あなたが大好きなこの街に
またあなたの好きな季節がやってきました
海鳥が奏でるカンツォーネ
花が揺れてワルツを踊り
私の心も躍ってしまう
舞い上がることさえ出来そうな季節がやってきたわ
ありがとう神様
あなたがくれたこの素晴らしき大地に感謝します
あなたが恵み
慈しんだこの街は
あの人が大好きな季節を迎えたの
ラッタッタ ラッタッタ
裸足で走り回る子供と同じ
私の心もまた裸足になれる
あなたと一緒に泳いだ海
あなたと一緒に歩いた道
あなたの好きなこの街が
またあなたの好きな季節になった
私の大好きな街が
私の好きな季節を迎えたの

 レディー・アンの歌声とともに窓は全開となった。壁の窓も、中屋根の窓もそして天井の窓も、すると、今度は幻想的な光がその窓から射し込み、舞台で歌っているレディー・アンに降り注いだ。レディー・アンの、他と変わらない、白いブラウスに、灰色のスカートと灰色のリボンの制服が、どうしてだか天使の白衣に見えるほど、レディー・アンを輝かせていた。
 レディー・アンはくるっと振り返ると、キャリーの腕を掴み、一緒に歌うように合図を送った。キャリーは初めこそ戸惑っていたが、レディー・アンの声の導きで、今までにない声で歌えたのだ。
 レディー・アンとキャリーが歌い終わると、暖かい静寂が聖堂を包んだあと、割れそうなほど大きな拍手が上がった。
「凄いわ、レディー・アン! あなたすべての窓を開けたのよ!」
 キャリーが興奮して言うが、レディー・アンはちらっと天井を見たあとで、「最初っから開いてたでしょ?」と軽く言って、抱きついてきたキャリーを受け止めた。
 レディー・アンがすべての窓を開けたのは、教室でそれぞれの授業を受けていた生徒たちにも聞こえていた。
「誰が開けたんだ?」
「レディー・アンらしい。」
 そう言う会話が飛び交う中、ギーゼルベルトは机に頬杖を付いて窓の外を見ていた。
「凄いな、彼女。」
 ケインがギーゼルベルトの前に座る。
「そうだな。」
「でもお前が弾いていたあのタリアの海岸街を聞いたから、どうしても歌いたくなったそうだ。でも、課題曲じゃないから、レベルは上がらないらしいけど。」
「窓を開けたのに?」
「レディー・アンが嫌がったそうだ。」
「変わった奴だ。」
 ギーゼルベルトは呆れ返った口調でそう言ったあと、ケインの手につられて廊下の方を見た。廊下にレディー・アンが顔をしかめて至っていた。
「えっと、あなたが弾いてくれたお陰でどうもいい評価が得られたわ。ありがとう。」
「でもレベル無しなんだろ?」
「いいもん! レベルなんか。」
「そう言うのを負け惜しみと言うんだ。」
「なんですと! じゃぁ、いいわよ、今度あったら、絶対にレベル上げてやるわ。」
「追いつくわけないさ。オレは、すでに特等なんだから。」
「だから何よ。絶対に追い越してやるから。」
 レディー・アンは鼻息荒く歩き去った。
「ギル、お前って、素直じゃないんだな。」
「な! 何を?」
「別に。」
 ケインは、動揺しているギーゼルベルトを残して自席に戻った。
(何が素直じゃないんだ。素直じゃないか。あんなじゃじゃ馬。見たことがない。)
 でも、ギーゼルベルトにも聞こえていたのだ。あの澄んだ、人を癒す声を。あれにレベルを与えないとした先生達の明日からの授業はやりにくいだろうなぁ。とさえ思う。
「素直じゃないのは、あの女の方だ。」
 ギーゼルベルトはそう呟いて口を手を隠して窓の外を見た。
 夕食が終わると、レディー・アンはキャリーたちが向かう事務室の窓についていく。事務室の横には、生徒達のポストがあり、それぞれに手紙や小包があった。そして大きな小包を受け取る子、手紙を受け取る子で、そこは賑わっていた。
「何?」
「ここはね、週に一度手紙を配ってくれるの。本当なら、毎日送って欲しいけど、一週間に一度、火曜日にだけ手渡してくれるの。例外を除いてね。だから、火曜日以外に手紙や小包をもらう子は、家族に何かあったか、誕生日って事になるの。レディー・アンももらってきたら?」
「私には、誰も居ないわ。」
「レディー・アン!」
 レディー・アンが振り返ると、街で逢ったアトスが立っていた。
「あら?」
「聞いたよ凄いね。窓を全開だって?」
「今まで居なかったわよね?」
「うん。お父様と一緒にヨーロッパの方に慈善コンサートをしに行ってたんだ。」
「そう。」
「そうだ、君宛に手紙来てたよ。」
「嘘?」
「じゃないようだよ。ほら。」
 アトスは小さい背でつま先立ってレディー・アンのポストを指さした。アン・トレイシーバーと書かれた真新しいポストに、白くて綺麗な封筒が入っている。
「きっとお隣のが間違ったんだわ。」
 と言いながら手紙を抜き出す。だが、切手のない手紙には「レディー・アン」と書かれていた。
「あら? さっそくラブレター?」
「違うわ。この匂いは、葉巻よ。校長先生ね。きっと誰からもお手紙をくれない私を哀れんでくれたのね。すみません、この手紙に返事を書きたいのだけど、」
「レディー・アンですね? その手紙の返事はこちらで預かりますわ。」
 事務員のハーマン婦人がそう言った。
 レディー・アンはくすっと笑って部屋に戻った。
レディー・アン様
突然のお手紙に驚かれているでしょう。
ただ、あなたに逢い、あなたの声を聞いていると、どうしても手紙を書かずにはいられなかった。
あなたの澄んだ声は、タリアの海のように青く澄み、軽やかで、私が思っていたとおりの声をしていた。あなたがどのような境遇をたどり、ここに来たのか察することが出来ないけれど、ここに来た以上は、あなたのその才能をじゅうぶんに伸ばすように努めて下さい。
あなたのことを見守っています。
今はまだ名を明かすことが出来ないあなたのファンより。
 レディー・アンはベットに寝そべりくすくすと笑った。
「校長先生ったら、こういう手の込んだことをしてくださる方なのね。お優しい方。ではさっそくお手紙を書かなきゃ。」
 レディー・アンは机に向かった。
「でも、いきなり校長先生? はまずいわね。名前は明かせません。なんて書かれているのだから、そう、火曜日に届く手紙。しかもおじさま。あ、そうね、」
親愛なる、……、そう、親愛なる火曜日のあしながおじさま。
レディー・アンです。
お手紙ありがとう。
いろんな人が褒めてくれる言葉よりも、あなたが褒めてくれる言葉が一番嬉しいです。
私は想像でしかタリアの海を知りません。でもおじさまは行ったことがあるようですね?
素敵な場所でしょ? 
お母さんも大好きだったの。お父さんが好きな場所だって。
そう、あの歌は私の両親の思い出の歌なんです。二人が知り合ったのはちょうど今の時期なんですって、お母さんがお父さんの話をするとき、一番綺麗だったの。だからきっと、タリアの海岸街は素敵なんでしょうね。行ってみたいわ。
あまりお喋りが過ぎるのは良くないですね。嫌われてしまうわ。
もし良かったら、またお手紙下さいませ。
火曜日のあしながおじさま。
あなたの小さなアイドルより


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