1 「Mysterious woman」


 やけに寒い夜だった。誰かが言ったことを、ふいに思い出す。
 「冬に向かうから、こういう日は寒いと思うんだよ。でも、春さきだと、誰も文句を言わずに、少し寂しいけど、いい感じだ。何て言う。体感温度は同じなのに。あとに待っているものが、冬か、春かってだけで、人は適当にそうやって言う。凄くわがままなんだ。」
 あの子は、今、どうしているのだろう。


Synchronize−同時に起こるの意。
 例えば、気になったものを意識すれば、それが今どこで何をしているのかが解る力。例外なく、それが今起こしている行動、言動においてすべて同じ事を体感する。そんな能力を持った少女の物語である。

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1 Mysterious woman
「なのか!」
 野太い声が建物中を震わすように響く。その声の元に、無言で近付く少女。少女といっても、十五、六ぐらいだろうか? 見た目はそのくらいだが、実際は呼んだ本人ですら解らない。ただ、よくある「検査」で、彼女は十六であろうと言う話しなのだ。
 戸を静かに開け、彼女が顔を出した。その部屋には、泣き崩れているおばさんと、窓辺に腰掛け外を見下ろしているおじさんが居る。呼んだのはもちろん彼の方だ。
「何?」
「彼女の家に行って、スタンフォード君を捜してこい。あ、ご婦人、今こいつで大丈夫かって思いましたね? こう見えても、こいつは俺様の一の弟子で、俺様の探偵技術のすべてをですね、おいおい。」
 なのかはおばさんを立たせ、すでに部屋を出て行きかけていた。
「行ってくる。」
 なのかはそう言って戸を閉める。おじさんはつまらなそうに口をとがらせ、階段を下りてビルの外に出たなのかたちを見下ろした。
 おばさんの家は高級住宅地で、その道々、おばさんの話を聞いていた。というより、聞かされていたに近い。
 おばさんの話を要約すると、いくつもの探偵事務所にスタンフォード君捜索の依頼をしたらしい。それもかなりな高額を叩いてだ。しかし、どの事務所も懸命さに欠けたり、捜索できずじまいだったのだ。そこで、藁にすがったと言った。
 家はこの辺り同様豪華で、目が痛くなるほど派手な屋敷だった。この家を見て、あの「男」なら相当な額をふっかけたな。となのかは思った。何せ、普通の、素人でさえ、この家を見たならふっかけるだろう。代議士の家で、金が唸るほどある家ならば。
 門を開け、中に入ると、家まで歩かされる。
「あれは?」
 なのかが立ち止まり、庭の隅を指さす。そこには古びた井戸が何故だかある。撤去しようとすると、亭主である代議士が猛反対する。理由は「昔あの井戸で死んだ人が居て、取り壊そうとすると呪われる」というのだ。
「もっともらしい話だ。」
 なのかはそう言って家に上がる。上がって直ぐ、なのかは顔をしかめ壁に手を付いた。
「どうかなさって?」
「スタンフォード君って、ロシアンブルー?」
「え? ええ。」
「目は金色で、色艶のいいブルー? 生まれはシベリアで、」
「あら、そこまで言ったかしら?」
 なのかは顔をしかめたまま外に出て、あの井戸までいくと、上から覗く。
「懐中電灯か、警察を。」
「警察? なぜ? スタンフォードが居るの?」
「否、もっと厄介なもの。」
「厄介なもの?」
 婦人は首を傾げながらも、警察に電話を掛け、それから数分後、人を怪しむ視線の景観が二人やって来た。
「この子ですわ。なぜか警察を呼んでくれって言って。」
 それで? といわんばかりの警官達をつれて井戸の側に立ち、なのかは手にした小さな物を軽く叩いてへしゃげさせる。それはガラスが壊れるような、しかしそれとは痛さを感じない音を立てそして発光した。なのかはそれが充分明るいと確認するように暫く見つめたあと井戸に放る。井戸に落下するには石と同じくらいの速度だった。ドボン。そう言う音を出して落ちたあち、漂うように井戸のそこに落ちていく。それを警官は息を引き飲んで見つめていた。
「少し下がってください。あの、こちら……。」
 一人の警官が無線を震える手で何とか掴んで報告している。刑事課の刑事と、鑑識等々の要請文句だろう、そのような言葉が聞かれた。
 激しいサイレンが閑静な住宅地を包み、静かだったはずの午後が急に騒がしくなった。
「で、なぜ解ったんです?」
 そう訊いてきた刑事は、刑事ドラマの中に存在しているとばかり思われる、随分とお洒落な青年だった。すらとした背に、整った顔。少し髪の毛が茶色なのは、程いい感じに染めている証拠だ。
 なのかは彼を見上げた。その瞬間彼は黙った。なのかを好きになったとか、そう言うものではなく、本能的に、この子と関わることを拒否するような、そんな感じが体を走り抜けたのだ。
「なぜって、そう言うものが感じやすいからかな。この家に上がって直ぐ、女の人のなんか、辛そうな声を聞いて、その後で、猫が藻掻いて、それが水の中のようだったから、ここに来て直ぐ違和感感じた井戸じゃないかなぁ。って。そう思っただけ。」
「それだけ?」
「霊感が強いと、なんか取り調べが必要なの?」
「そうじゃないけども。」
「仏さん、この家のご主人の愛人だったホステスだよ。」
「そこまで解る?」
「だって、名乗ってるんだもん。見えない? そうか、普通は見えないよねぇ。なんか辛そうに井戸の上に浮かんでるけど。あと、猫も。なんで殺されたのかは、殺した本人に訊けばいいよ。もうじき帰ってくるからさ。」
「帰ってくる?」
 そう聞き返した彼の耳に、車の音がして、直ぐさま怒号のような声が近付いた。
「何をしてる!」
「何って、死体が上がったんですよ。ご存じですか? 愛人だったホステスなんですが。」
「な!」
 驚きは尋常ではない。彼は直ぐに任意同行をして代議士を連れて行った。
「君も、」
「どういう嫌疑で? 居場所は伝えたわ。任意だと強制じゃないんでしょ? じゃぁ、帰る。」
 なのかは屋敷を出た。野次馬がたまらなく多かった。こんな静かな住宅地での警察沙汰だ、誰から覗きたがるのも無理無い。その野次馬の中で、あのおじさんを見つける。
「大事になったなぁ。」
「予測できたんじゃないの?」
「猫の方は、で、死体は?」
「ホステス。愛人だったようだよ。」
「捜査依頼は受けなかっただろうな?」
 なのかは頷き、彼とともにビルに向かった。


 資料ばかりのインクの匂いが立ちこめる部屋。そこで彼、緑山 達哉は資料に目を通していた。文字を追う目の奥では、なのかの姿が妙にはなれない。淀みも、動揺もない目の光り。死体を見ても悲鳴すら上げないあの不思議な少女。そのくせ、大人びた口調。そのどれもが妙に引っかかる。
「緑山くん。」
 振り返ると、名高い特捜班の鈴川 忍が立っていた。
「なのかに逢ったんだって?」
「なのか?」
「そう、住まいは、五丁目のホームズビル二階御劔探偵事務所の、七梨 なのか。黒い髪で、妙に落ち着きすぎる女。冷淡な口調の正体不明人物。」
「知り合いなんですか?」
「その子の一応世話役が昔からの『お友達』。」
 というには苦々しい口調だ。きっと、その『お友達』とやらも訳ありな人物で要注意人物なのだろう。
「あの、彼女は、」
「名前のとおり、誰であるかなんてさっぱり解らない、本当に得体の知れない子よ。」
「は?」
「名付け親であるその世話役が「名無しなのか?」って聞いた言葉がそのまま名前になったのよ。生まれた場所も、名前も、誰であるかなんてさっぱり解らない。催眠術なんかで記憶を起こそうとしても、まるでダメ。」
「いいんですか? 催眠術による記憶起こしは、禁止されているでしょ?」
「もちろん、普通はしないわ。でもやった馬鹿が居たのよ。でも無駄だった。そうだ、行ってみる?」
「どこへです?」
「その馬鹿の家。あなたも、もういちどなのかに事情訊きたいでしょ?」
「はぁ。」
 忍は確かに美人だ。しかしいまだ独身なのは、その気の強さと、頭の良さに原因があると思う。達哉はすっかり忍の言いなりだと、忍に解らないようにため息を付いた。

 ホームズビル二階に「御劔探偵事務所」。灰色の打ちっ放しの外装に、そう看板が掲げられていた。忍はノックもせず、慣れたように戸を開けた。
「おお、忍、早かったなぁ。」
 その口調は忍のことをよく知り、忍の身近であるという感じを受けた。
「なのか居る?」
「お前があの事件担当してたのか?」
 部屋に居たおじさんは風体のむささがきわめて目立つ男で、まばらに生えた無精ひげに、野暮ったい服装、そしてなにより顔を背けたくなるような髪型。それでよく探偵だと名乗っているものだ。その格好はまんまホームレスじゃないか。達哉が顔をしかめていると、おじさんは小さく笑い、大声出なのかを呼んだ。
「呼んだ?」
 暫くして戸を開けたのは先程のなのかだった。
「お前に客だ、話しがあるそうだ。座って話せ。」
 なのかは忍を見てから、椅子に座った。それと同時に忍も向かい合うソファーに腰を下ろし、その隣に達哉が座った。
「さ、質問なさい。」
 まるで母親か姉のような口調に達哉は忍を見た。
「あ、そう、ですね。えっと、」
「おばさんの依頼で猫を探しに行って、違和感感じただけ。」
 なのかがそう言うと達哉はすっと帳面から顔を上げた。なのかの顔は無表情で、この世に何の楽しさも、何の悲しさも、否、邪心や邪念など無いような顔をしている。かといって、お釈迦様のように微笑を称えてなど居ない。ただ、そこにお面があるような、魂のない、のっぺりしたものがある。それだけの顔だ。
「また、違和感?」
 忍が口を開くと、なのかは忍の方に目玉を動かす。
「そう、違和感。」
「どんな?」
「助けてっていう悲壮感。」
「そんなもの、感じるの?」
 なのかは頷くだけだ。目玉だけが忍を見ている。しかし顔は達哉に向けられている。そんな不格好な顔のまま暫くその『感じ』について忍とやりとりした。しかし、さっぱり解らない。話せば話すほど、訊けば訊くほど解らない。
「つまり、彼女は無実ね。協力感謝するわ。」
「もう良いのか?」
「出そうにないもの。」
「もっと叩けば出るかも知れないぞ?」
「私なのか好きだからね、嫌われたくないのよ。」
 おじさんは鼻で笑い、忍は出て行った。達哉も一礼をして出て行く。
 ビルの窓から見下ろすと、忍と達哉は並んで出て行った。まっすぐ署に向かうだろう。
「依頼。」
「のようだな。」
「面倒。」
「だな。」
「でも、雅文、忍のこと好き。引き受ける?」
「してくれるか?」
 なのかは黙って背もたれに倒れ、目を閉じた。


 一時間がたった。目を閉じたなのかの両手が、びくっん。と跳ね上がった。そして、あのお面の顔が徐々に表情ある顔に変わっていく。
「誰だ?」
「鈴木 真弓。」
「職業は?」
「ホステスをしていたわ。」
「その日、どうした?」
「その日、彼はいつもの通りにやってきた。普通だった。いつもと変わらずに、宝石持ってきた。でも、少し指に大きかったの。いつもなら間違えないのに、それだけ大きかったのよ。」
「指輪?」
「そう。まるであのおばさんのために買ってきた気がして、少しだけ訊いたの、そしたら、凄く睨まれて、でも、直ぐに、そんなこと無いって、明日また買い直してくるって。今日は、おばさん居ないから家に来いって。」
「それで、奥さんが居ない間に家に?」
「そうよ。そしたら猫が懐いてくれて、そしたら、あの井戸の側まで行って、怪談話を始めたわ。そしたら急に、首を絞めて、そして、……、猫が泣き叫ぶの。あのおばさん凄く鈍感で、私以外にも、まだ居るわ。少しずつそこに土を重ねているのよ。猫も、落とされて、ねぇ、聞こえる? 助けて。」
 雅文はなのかの両腕にそっと手を置くと、なのかは静かに目を開けた。少々息が荒く、疲労感が感じられる。
「なるほど、選挙立候補で邪魔になったか。猫は煩く鳴いたため。というところだろう。」
「忍に電話。」
 なのかは子機を雅文に手渡し部屋を出ていく。そして汗で濡れた服を脱ぎシャワーを浴びる。大きなくしゃみをして、お湯を足す。
「水、冷たい。」
 やっと湯気が上がった風呂場からなのかが出たのは、それから数分後だった。


 なのかの話を聞いた忍が、 代議士にカマを掛け自供させ事件は終わった。雅文の言うとおり、選挙戦に不利なスキャンダルをいっそうしようと井戸に落とすことを思いついたという。高い塀で囲まれていた屋敷だけに誰にも犯行は見られていなかった。しかも、井戸にはあと数体の人体が捨てられていたという報告も入った。
 なのかはあの屋敷に来ていた。婦人はショックで家を変わり、無人になった庭のあの井戸の側に立つ。
「シンクロされるぞ。」
 振り返ると雅文が立っていた。
「泣いてる。」
「とりあえず手を合わせておくか。……、合掌。っと。」
 雅文は言葉と上っ面な態度で合掌を終え、なのかとそこをあとにした。
「忍とデート?」
「否、振られた。」
「また事件? 刑事の彼女は大変だね。」
「全くだ。」
 ちらちらと小さすぎる雪が舞い始めた。二人はコートの襟を引き上げて家へと急いだ。


1 Mysterious woman 終わり          NEXT



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