2 「One that was on the side」


 昔読んだ小説の中に、こういう一説が出てきたのを、なにげに思い出した。
 彼は笑いを含んで言っている。しかし、自分には、それがかなり静かに、そして諭すように聞こえた。
「人間というのはな、理論通りに動いてばかりはおれんのさ。」


Synchronize−同時に起こるの意。
 例えば、気になったものを意識すれば、それが今どこで何をしているのかが解る力。例外なく、それが今起こしている行動、言動においてすべて同じ事を体感する。そんな能力を持った少女の物語である。

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2 One that was on the side

 彼は息せき切って走っていた。のどが渇きを訴えて激しく飢え、唇はとうに結ぶことさえ不可能なほど開いている。足は重く、まとわりつくように先行を邪魔しようとする。風は頬に寒々と吹きかけてくるのに、一行に寒さを感じない。それほど熱を帯びている体を、這ってでも動かそうと彼は必死になっていた。
 突然の大きな銃声が二発。静かで、優雅な一等地の路地裏から聞こえたのは、三十分ほど前のことだ。そこから彼はひたすら逃げている。別に、彼が銃を発射させたのではない。それから逃げているのだ。たった一つのモノ欲しさに。
 だからといって、この街が貧富の差が激しいわけじゃない。彼も生活に困っているわけじゃない。否、多少困っているだろう。今日、明日ぐらいは食いつなげる。給料日が来れば、また生きて行かれる。だから、万引きをして逃げているわけではない。
 ただ、恋人を救いたかっただけなのだ。
 甘い奴だ。そう彼女は笑った。結論から言えば、彼はその女にだまされ、貢がされ、そして、やくざから連れ出そうとして失敗し、追いかけられているのだ。その逃げようとした瞬間、彼女は笑っていった。
「甘いわね、だまされてるの、まだ解らない?」
 うちのめされる前に、銃が二発発射され、彼は後追いの心配など無いのに、走っているのだ。銃声だったかも知れない。大袈裟に笑い浴びせられたから、もしかすると、
「爆竹。」
 彼はとっさに身構えて振り返った。大きな男だった。否、彼が力つき、土に顔を付けているからどんな男も大きく見えるのかも知れない。
 しかし、男は大きかった。実際あとで見て、二メートルあるその巨漢が無駄に思える瞬間が再三彼に訪れてくる。
「飯、喰うか?」
 凄く常識破りで、簡単な言葉なのに、彼は涙してその言葉を受け止めた。
 彼はその男に連れられて、雑居ビルの一階にあるラーメン屋『ぽーの店』に入った。店の親父は昔風のインチキ中国人だった。どう見てもこてこての関西人だったが、本人はチューゴク人と名乗っている。
 ラーメンが三杯用意され、彼は男を見る。すると入り口から黒髪の少女が入ってきた。無表情に男の隣りに座ると、何も言わずにラーメンを啜り始めた。
「拾いもの?」
 彼女の言葉らしかったが、横を見た彼にはどんぶりを持ち上げスープを啜る姿しか見えない。
「君、名前は? 俺は、御劔 雅文。」
「あ、有瀬 文孝です。」
「いい名前だ。」
「あの、なんで、ボクを?」
「ちょうど通りかかってね、見てたんだ。酷い女だねぇ。」
 彼の心は時々ちくちくと痛む。まだ彼女が好きなようだ。騙されていたんだと解っていても。どうしても理解しようとしていない気がする。
「純粋だね。」
 雅文がそう言うと、彼女は食べ終わり立ち上がる。 「ああ、こいつは七梨 なのか。そうだ、一緒に上に来るか?」
 訳の解らない誘いを文孝は受けた。受けたというより、流れ的に。そう言う表現が近かった。まぁ、家に帰ってもどうせ暇なのだから、暇つぶしにはなるだろう。失恋すると、とことんまで落ち込む、酷い性格だ。



 文孝が通されたのは、殺風景な事務所のような場所だった。応接机と、何も乗っていない事務机、本棚はミニカーの陳列棚になっている。
 雅文は慣れた手つきでお茶を入れ文孝の前に置いた。
「でも良かったよ。」
「良かった?」
 人が失恋したことがそれほど良かったのか? 文孝は答えず睨め付けれないけど、少々不機嫌そうな目で雅文を見た。
「ああ、おたくの両親からの依頼で、お前を捜してたんだ。危うく事件に巻き込まれる寸前だったんだぞ。気付いてないだろうが。」
「親の依頼? 事件? 何なんですか、それって。」
「あそこは、宝旗連合宝旗本部。あの女はそこのわか女。つまり愛人になって日が浅い女って事だけども。ああ、これは一般用語じゃねぇぞ。俺がそう言ってるだけだ。他の奴らにとっちゃぁ、若かろうが、古株だろうが、あいつらの女であることは間違いじゃないからな。そんで、あの女はいわば囮だ。あの女があんたのようなカモネギを連れてきて、余所の組の組長を襲撃させたり、知らん間に薬の運搬に廻したりするんだ。それを拒否すれば打たれて、薬欲しさに仕事にのめり込むってわけだ。」
「ぼ、ボク……。」
「あー、ははははは。大丈夫、その前に切れただろ?」  文孝はあのシーンを回想していた。昨夜彼女に、親に会って欲しい。そして親の頼みを聞いて欲しいと言われた。もちろん、このときはまだ彼女は自分に気があると思っているから、絶対に結婚話だと思っていたが、もし、この男の言うとおりであれば、断れないようなことになっていた? しかし、この男はどうしてここまで知っているのだろう。
「俺か? 俺は探偵さ。お前さんが重要事件に巻き込まれていると解ったのは、なのかのお陰だけどもな。一応俺も仕事はしたんだぞ、爆竹放って、」
 じゃぁ、爆竹だと解ったのは、雅文自ら投げたからであって、その音に自分は必死になって走って逃げていたと言うことになる。
「まぁ、そう照れるな。恥ずかしいとはいえ、なかなか立派な逃げ足だったぞ。」
 雅文は笑ってそう言った。
 文孝は雅文を睨め付けた。やっと睨め付けられた感じがする。人が泡喰っている姿をあとから追いながら、『なかなかの逃げっぷりだ』などという感想をするなど、普通じゃない。探偵と言っているが、どうせ流行ってないだろう。
 文孝が睨め付け、雅文が大笑いしているその部屋に美人が入ってきた。すらっとした長い足と、きりりとした身のこなしに目が行く。
「美人だぁ。」
 文孝の独り言に、雅文は小さく笑いながらその訪問者の方を見た。
「どうした?」
「事件。」
 文孝がぞっと背中に悪寒を走らせる。美人の口から出る言葉にしてはなかなかショッキングでスリリングな台詞だ。しかし、そんな逸脱した言葉に雅文は眉すら動かさず、続きを促せる。
「この坊やは信頼できるのね?」
「さぁ、事と次第によっては。さ。」
 妙に凄んだ雅文の口調と、目に、文孝は身震いを起こして美人を見る。美人は「それもそうね。」と言って話しを戻した。
「被害者は四丁目の八野瀬っていうおばあさん。」
「八野瀬って、寝たきりで、妹とさんと暮らしていたおばあさん?」
「よく知ってるわね?」
「その人、ボクの大家なもので。で、でも、ボクじゃないですよ。」
「そんなの、雅文が一緒だったら当然至極よ。まぁ、そのおばあさんが行方不明になって三日、その妹まで居なくってね、妹が無理心中を図ったんじゃないかって騒動になって。」
「で、警察に通報?」
「そう、近くのホームヘルパーに定時応援頼んでいたからね、通報が早かったんだけど、痕跡すらなくてね。」
「で、頭脳派きっての忍さんが俺に?」
「なのかによ。」
 雅文はあからさまに口をとがらせ忍を見返した。忍はなのかを呼ぶようにと指で天井を指さしている。
「なのか!」
 雅文の大声のあと、暫くして先程の少女が降りてきた。
「あ、まだ居る。」
 なのかに言われ文孝は無粋な顔をしたが忍の存在に気付くと、とりあえず『お世辞』を言った。
「今日も綺麗だと思っていなくても言えって言われてる。」
「あ、そう。」
 そんなことなどさして気にもせず、忍は事の細部をなのかに話して聞かせたが、なのかはさっぱり「解ったのか」「解らないのか」まるで表情を変えず、ただ話し終わった途端頷いただけだった。
「そうだ、文孝行ってみるか?」
「は?」
「来ても良いわよ。坊や。」
 忍に言われて断るわけには行かない。文孝はさっそくその現場とやらに向かった。


 現場はまだ封鎖されていなかった。ただ、見張りの警官が一人居るくらいで、なのかと文孝は一度遊びに来たことがある近くの学生で、現場から無くなっているものなどの捜査に来たと言うことになった。
「あの、これって、まずいんですか?」
「これって?」
「否、僕らを入れること。」
「ったりまえでしょ。もしただの旅行だったら、いくらの警察でも不法侵入よ。もし事件なら、部外者を中に入れたなんて、減俸どころじゃないわ。」
 忍の言葉に『そうだよなぁ』と思いつつ、忍の先導で二人は家に上がった。
 一階の入り口直ぐ側にリクライニング式のベットが置いてある、いわば介護者の部屋で、その側にある折り畳まれた布団はその妹が寝るのだろう。台所はすっきり片付けられていたが、失踪当時のままなのか、鍋にはお粥がノリ状になっていた。二階はただの物置らしく何もないらしい。
「なのか? 何か見つけたの?」
 忍の声に振り返ると、なのかが押入の側で子猫の頭を撫でていた。
「猫?」
「ああ、ここの別名、野良猫屋敷。猫が好きで、よくのらの出入りをさせていたんだ。どっから入ったんだが。」
「居たよ。」
 なのかが押入を開ける。
「そこは捜したわよ。」
 押入はすっきりモノが出され、それが階段下に山になっているあれだろう。紙おむつや、介護に必要な物が入れられていた。
 文孝はなのかも不思議な行動に目が止まった。忍もその行動が気付いたのか黙ってその様子を見ている。
 なのかは押入の中に右手を入れ、漂わせていたあと、急に目は虚ろになり、体がふわふわと動いたあと、がくっと激しく身震いした。
「なぜ、あなたが?」
 その声はなのかのものではない。多分、違う。あまり話さない子なので識別が難しいが、でもそれはしゃがれた老婆の声だった。
「酷い、なんだって、あたしを殺す? 酷いじゃないか。」
 なのかの体はそう言って何かの力によって後ろにはじき飛ばされ、台所シンク下収納にぶち当たった。
「文孝って言ったわね、なのかを連れて帰りなさい。それから、外の警官を呼んできて。絶対にここに残らないこと。さっさと行きなさい。」
 忍の言葉は相当な威圧感を文孝に与えた。文孝はなのかを背負い、外の警官を呼んだあと、事務所に向かった。再三後ろが気になったが、忍のあの冷酷な表情に戻れなかった。
「気になるなら、忍から連絡来るまで待ってたらいい。」
 雅文はそういってなのかを部屋に連れて上がったあと、文孝と事務所にいた。

 電話が鳴ったのはその日の陽も傾き、寒々しい中、妙に賑わい始めた頃だった。
「出たか?」
 そう言う会話が電話でやりとりされたあと、雅文が受話器を置き、静かに煙草に火を付けた。
「押入の床下から下半身切断されたモノが一体。台所の床下に別人の右足。風呂場の天井に左足。トイレのタンクから頭部が一個。見つかったそうだ。」
「それじゃぁ、おばあさんは、」 「二人とも死んだ。詳しくしらべんと定かじゃないそうだが、まぁ、断定だろう。」
「なんで、あいつ解ったんですか?」
「なのかか?」
「ええ、あいつが押入に手を入れたあと、知らない声で話し出して、その後吹き飛ばされて、忍さんが出て行けって。」
「まぁ、手っ取り早く言えば超能力って奴だな。」
「超能力? あのですね、そんな子供だまし、」
「シンクロという能力だ。」
「だから、ボクが聞きたいのは、」
「シンクロは、どんなモノからでもそれの持ち主の情報を得ることができ、しかも、その持ち主の今が解る。例えば、このペンから、俺のペンだぞ。そっから情報を得る。俺の姿形、そして今。お前と話している姿がなのかには解る。」
「あの、そんなこと。」
「見ただろ? なのかが喋ったのはその婆さん達の残念だ。弾かれたのは、まぁ、性格の不一致と言うところだな。なのかって人の話のほとんど聞いてないからな。」
「雅文、腹減った。」
「おお、出前でいいか?」
「ラーメン。」
「おう!」
 なのかは文孝の前に座った。何の表情もない。人形のような顔だ。「さっきはありがとう。重かったでしょ?」という言葉もない。
 そして出前が来て、なのかは啜って上に上がった。
「不思議か?」
「だと思わないんですか?」
「慣れだな。どうだ、一緒に仕事するか?」
 願い下げだ。そう思ったが忍に会える場所はとりあえずここだけだったし、まぁ、失恋の痛手に立ち直れば場所だから、居よう。そう言う安易で文孝はラーメンのスープを飲み干した。

 そうそう、余談だが、例の事件の真相はと言うと、犯人は在宅ヘルパーだった。あの八野瀬姉妹には多額の貯金があり、それを引き出し姉妹でホームに入居しようとしていたらしい。そうなれば訪問看護者であるヘルパーの仕事は減り、そうでなくとも給料の少ない身、すれをくすねていたのがバレ、責められた挙げ句の犯行だった。
 体はいったんのこぎりで切り、別々に運び出そうとしたらしかったが、自分の休みに別のヘルパーが通報して騒動になってしまったようだった。
 犯人は姉妹の預金すべてを引き出し、借金返済してしまっていた。しかし、忍の逮捕直後の言葉に泣き崩れたという。
「信用、していたでしょうにね。」
 だから、姉妹は「もうしないようにしておくれよ」と言ってくれたはずなのに。

「まぁ、世の中金って事だな。」
 雅文が新聞を広げてそう言った。文孝はこの事務所に住み込みとして探偵助手という肩書きをもらったが、その間三日、誰の、何の依頼もない。
「俺、選択間違ったかな?」
「すみません。あの。」
 美人だ! 白いワンピース。程いい軽井沢美人だぁ!
2 One that was on the side 終わり



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