5 「過去。現在。未来。」(後編)

この世に、天使が居るならば、
それはお前が大事にしたいと思った、唯一の人のことだよ。
それが証拠に、お前は、その人のためにこれ以上ない努力をしてる。そうだろ?
気づかないものさ。自分じゃぁな。


Synchronize−同時に起こるの意。
 例えば、気になったものを意識すれば、それが今どこで何をしているのかが解る力。例外なく、それが今起こしている行動、言動においてすべて同じ事を体感する。
 例えば、死者との同調。一般に憑依と記されるその行為は、全てシンクロされているだけなのだ。
 そしてこれは、そんな能力を持った少女の物語である。

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5 「過去。現在。未来。」(後編)

 なのかたちは被害者の女性美香が発見された場所に来た。
 ひっそりとした人通りのない、川のそばの高架下。その上を走る車も少なく、そこに居るだけでひんやりとしたものが体を包む。
「ここ?」
 忍の疑うような言葉に達也は手帳を開いて頷いた。
「ここは、」
 忍が言葉を切って雅文と、そしてなのかを見た。
「なのかを見つけた場所だ。」
 達也と史孝はその高架下の薄暗い中を見た。
 なのかは黙ってその入り口に立つと、右手を上げてしばらく停まった。
「……、さい。忍さん、ごめん、なさい。」
「美加さん!」
 忍の声になのかの体が跳ねた。
「ごめん、シンクロ失敗ね。でも、似すぎだわ。だめ、あたし、立ち会えない。」
 忍が顔を背けると、なのかはその場から忍のそばに近づく。
「大丈夫、あそこでシンクロできたのはあれだけ。別の場所で殺されて、運ばれてる。黒い車。でも、夜だから、そう見えるだけかもしれない。男二人がかりで置いた。上に一人、指揮してた人。」
「誰? 立社?」
「違う。でも、あたしは知ってるよ。白衣着てんだ、その人。」
「誰?」
「知らない。」
「何よ、それ。」
 忍がなのかをゆする、なのかはその手を握り、静かに言った。
「懐かしいと感じるだけ、あとは知らない。優秀な刑事が私情に流されるな。」
 なのかの言葉に、忍ははをかみ締める。そして忍は車に戻る。
「嫌な声を真似しやがって。」
 雅文がなのかの頭を軽く叩くと、なのかは首元をさすって、
「だって、痛い。」
 小さな声が漏れ、なのかが空を見上げた。
 美香にシンクロして見えた場所。高架橋上に居る白衣の人。なのかは知っている。なのかが誰であるかを唯一知っているだろうということさえ察しのつく人。
「行くぞ。」
 なのかは頷いて、彼らの後を追った。


「仕損じた?」
 闇の中に潜むような声。その声からして中年であることだけはわかる。ただ低音のいい声ではある。
 その声にチンピラ風の男が三人背中に汗を吹き出しながら萎縮していた。
「なぜだ?」
「あいつ、刑事で。後を追って襲ったんですが、思いのほか腕っ節が強く、おまけに、大声張り上げるし、」
「刑事だろうが、なんだろうが、組織内にもぐりこまれた挙句、末端の仕組みがばれてんだぞ。殺せ。」
「はぁ。ただ、その女変な場所にもぐりこんで。」
「変な場所?」
「はぁ、あの駅前にある御劔探偵事務所とか言う、」
「御劔? なるほど、ではその刑事は鈴川 忍かぁ。素性がわかった以上さらに厄介だ。今は俺のことは知るまいが、いずれ知る、解った、女の始末はこちらでしよう。お前たちでは歯が立たん。」
 三人は顔を見合わせ、それでもその任務の降下を言われ安堵しながらその部屋を出て行った。
「鈴川 忍?」
 男の声だ。白衣のすそだけが見える。その声から歳や格好などさっぱろ見当がつかない。しかし、やけに冷酷そうな冷たい感じを受ける。
「この世で俺が唯一黙ってしまう女だよ。博士。」
「それは、一度お目にかかりたい。よほどの美人なんでしょうね。」
「ああ。それより、プーペ(人形)の件は?」
「順調です。」
「佐也香の件がなければすぐだったのにな。」
「申し訳ありません。監督不行き届きで。ですが、あのまま街に逃げても、所詮それ以外を知らぬものです、もう、生きてさえいないでしょう。」
「冷酷なものを作ったもんだ。まぁ、そう願いたいもんだな、ばらされたら、厄介だからな。」
 白衣は闇に解けるように姿を消していった。
 ブランデーグラスに琥珀色の液体がいい音を立ててすべり満たされていく。
「忍かぁ。久しぶりだ、会いに行ってもいいかな。」


 急な客が来たのは忍が有給消化して三日目のことだった。なのかのラーメンの食べっぷりを見ていた忍と史孝の前にその人はやってきた。
「鮎川先生!」
 忍の裏返った声に、派手な音がして階段を駆け下りてきた雅文。
「親父……。」
 確かに雅文そっくりな老父だった。
「お父様とかいえんのかねぇ、うちの嫁は。」
 史孝は声を聞いて雅文を見た。あの夜、なのかをゆすっていた忍が手を解いた声だ。
「この世で忍に苦手があるとするならば、この親父だ。」
「それは雅文もいっしょでしょ?」
「くだらん。ところで、今どんな事件を請け負ってる?」
「別に、見て解りませんか?」
 着物を着て凛としたその人は、白い口ひげのつけた顔で部屋を一巡して、あきれ返ったようなため息をこぼす。
「まったく、お前といっしょでさえんなとこだ。それじゃぁ、わしの頼みは聞けるな。」
「頼み? といいますと?」
「とあるお嬢さんを探して欲しい。この町に来て、コンパニオンをしているらしい。名前は萱野 つばさ。」
 そう言って一枚の写真を机に置いた。忍はその写真を見たあと雅文を見た。
「つばさねぇ。漫画オタクかな親は。いいですよ、じゃぁ、報酬保証書を、って、親父さん?」
「親子で金を巻き上げる気か?」
「ったく、近いうち母さん連れ出しますからね。」
 父親はぷいと居なくなった。雅文はため息をついて写真をなのかの前の机に置いた。
「……、知らない。」
「美香の記憶も?」
「ないよ。もうそんなもの。」
「あ、そう。じゃぁ、殺害現場の特定が先だな。」

 雅文は忍のほうをまじまじと見て眉間にしわを寄せた。
「何?」
「変装したほうがいいだろうなぁ。あれ以来変なやつが前をうろうろしてる。」
「知ってる。」
「顔を変えるか。」
「……、いやなんだけどなぁ。あれ。」
 忍は嫌そうにため息をつきながら立ち上がった。

 警視庁に忍を訪ねてきたのは、忍が有給を取って―命の危機を感じて一応隠れているところなので―休みを取った一週間の間に五人ほど訪ねてきたが、彼ほど礼儀あり、わきまえありの人物は居なかった。
 彼いわく、忍は連休で彼の管轄内に来ていたらしいが、そのとき事件を手伝ってくれたといっていた。それ以降、休みらしい休みが取れず随分ご無沙汰だったが、はれて休みを頂戴したのでやってきたというのだ。
 だが応答に出た達也は「なんだか、流行ものの風邪だとか、通風が痛むとか、結局有給消化に理由なんてものはないんですがね。でも見てくださいよ。みんな女豹が居ない所為で清々と仕事してるでしょう?」などといった。
 とりあえず話は伝えておくと言われ、署を出た彼に近づいてきたのは忍だった。ただし、だいぶ顔かたちが変わっていた。
 午後を過ぎた喫茶店は人はまばらで、二人の前にすぐにコーヒーが置かれた。
「太りました? というか、なんだか、妙ですよ。」
「整形失敗したのよ。それで、どうしたの?」
「休みをもらって。」
「そう。彼女は?」
「いきなりですね。」
「休暇中の刑事に仕事の話なんかないでしょ? それで、彼女は?」
「鈴川さん以外の女性なんて居ませんよ。」
 そう言った彼の目はどこまでもまっすぐで、その整った顔から言われると平凡な女などはすぐに引っかかるだろう。
「嘘が苦手ね、あなた。あいにくと、あなたのように表裏ある人好きじゃないのよ。」
 忍が立ち上がろうとする手を、彼は掴んだ。
「表裏は、お互い様でしょ?」
「近いうちに、またね。」
 忍は軽くそれを解いて店を出た。その店の前で雅文が立っていた。彼は雅文に目を向け、それがかち合うとお互いに会釈した。
「食えない男だ。」
「そうよ。緑川君にどういって、どう聞き出したか知らないけども、警視が有給使って部下一人に会いに来る? ぞっとする男よ。執念深くて、復讐心の強い。」
「だが、あれはお前に好意も抱いてるぞ。」
「だから気色が悪いのよ。」
 忍は少しだけ首を傾けて雅文を見た。そうしなければガラスに反射された日差しが眩しかったのもあるし、そういう癖でもあるのだ。雅文はその仕草をちらりと見て、あごを突き出し歩き続けた。その後それに関して何も言わずに。


 結局、忍は特殊メイク方で顔の腫れを隠してきたのが、雅文と帰ってきた五時ごろなので、ゆうに七時間は有していた。
「結構今はいいものがあるのよ。」
 そう言って忍は面白いように顔のカワをべりべり取り、別の部品を取り付けると、まったく変わった顔になった。
 そうして史孝と遊んでいる部屋になのかが入ってきてすぐ、忍を睨みつけた。
「何?」
「本居 修吾。」
 忍の顔が険しく変わった。雅文もその名前を聞いて、机から入ってきたなのかのほうへと顔を向けた。
「何で知っているの?」
「嫌い。そいつ。大嫌い。」
「なぜ?」
「知らない。でも、嫌い。」
「誰かのシンクロの記憶か?」
「知らない。」
「なのか自信の記憶?」
 なのかは首を振り、忍から「本居 修吾」の気配が消えるまで会わないと階段を上がっていった。


 それから一週間たった午後、忍に緑川から連絡が入った。美香の殺害されたらしい現場が見つかったというのだ。
 寂しい場所だった。ただただ寂しくて、よくこういう場所で殺人事件が起こる。とテレビの先入観そのままの場所だ。バブルが弾け廃止となった工場あとの、その真ん中に血痕がこびり付いていた。その工場の隅にはシンナー間が転がり、どうやら青少年取締りの最中警官が見つけたようだった。
 捜査している警察が後を去り、夜警の警察のみになった夜、達也の誘導でその中に入る。久しぶりに入る電気。そこは閑散としており、ほぼ中央に血痕がついていたのが、異様さに磨きがかかる。
「ここ?」
 忍はなのかに確かめるように聞くと、なのかはその場でくるりと回り、小さく頷くとすっと目を閉じた。
「ほん、岡村さん。宮島さん。こんな場所に、本当に立社様は来るの? そう、ならいいけど。」
 間は相手の会話だろう。適当な返事を返され、この辺鄙におどおどしている様子が見てわかる。
「あ、立社様……、あなたは立社様の隣の……。博士ですね。じゃぁ、来ます、ね。」
 なのかの様子がおかしい。博士とは、先日なのかがシンクロした際の白衣の人だろう。その顔を見て、その顔に嫌悪を示しているのは、なのか自身のようだ。
 なのかである、当時の美香が再び立社が来ることの確認をしたとき、鈍器が振り下ろされたようだ。激しい苦痛と、激痛に、なのか自身も危うそうに感じられ、雅文がすぐになのかの頬を叩いた。
「……なかった。」
 なのかはそう言って目を閉じ失神してしまった。
「深追いしすぎたんだ。普段ならある程度のことがわかればすぐに自分で帰ってくるのに。」
 雅文の言葉に忍は、ぐったりとそして額に汗玉を浮かせたなのかを見下ろし小さく言った。
「過去がわかるのよ。必死よ。杉村さんのこと。それが同時に自分の過去だなんて。」
 なのかの証言により、後、物的証拠などなどから、一回のチンピラ岡村と宮島は逮捕されたが、当夜博士なるものは居なかったという。それはどんなことをしても彼らは知らなかった。



「催眠術?」
「多分ね。」
 忍は不服そうにその腫れの引いてきたほおを鏡で見ながら、入念に化粧を塗っていた。
 史孝が「中途半端な解決ですね」というと、、忍はコンパクトを閉じて苦笑いを浮かべた。
「でも、今の警察は科学が専門。心理学や、サイコ、オカルトの部類はどうも手付かずで、結局博士は居なかった。ことになったわ。でも、第三者の足跡、それに居たらしい形跡はあるのだけど、それが同日、同刻なのかまでは今の科学をもってしてもね。」
 向かい合って座っている二人以外に、この店に客は四、五組しか居らず、書き入れ時を過ぎたちょうどいい時間だった。
 忍は目の前に座って言いにくそうに聞いてきた史孝を、コーヒーを口に含みながら見た。
「なのかのこと? なぜ?」
「つねづね不思議で、奇妙で、おかしなやつだと思ってるけど、今回、杉村さんのことで、あの単語しか言わないなのかが表情を変え、しかも、文を話したでしょ。ああ、こいつも話せるじゃんって思ってた俺のそばに居た、忍さんや、雅文さんの様子が尋常じゃなかったから。」
 忍はなるほどという風に頷いてカップをソーサーに返し、窓から外を見た。
「なのかが拾われてきたことは言ったわよね。あれがいくつなのか解らない。おまけに、あのときから多分、何も変わらない。歳を重ねて言っているような身体的成長は見られない。以前はね、もう少し単語の数多かったのよ。ほんの少しね。」
「変わらないって、どういう、」
「さぁ。でもあのまま。いいえ、記憶っていうのは風化されるから、写真などで確認してみれば一目瞭然だろうけど。でも変わらないはずよ。それがなぜだか知らない。一日のうち、起きているのはラーメンを食べるときだけだからなのか、そんなこと私の知るところじゃないわ。」
「ラーメン以外寝てるんですか、あいつ。」
「ええ、ずっと寝てるわよ、まるで、電池が切れたロボットのように微動だもしない。寝返りもしないし、途中何らかのことで目も覚めない。だから、よく雅文が大声で呼ぶでしょ? 起こすためだからよ。」
「寝てるのか、あいつ。」
「それも拾ってきてからずっとよ。言葉に関してはね、以前にも杉村さんのように、なのかが一人心動かされた人が居るわ。その人はまだ生きてる。でも、その事件の所為で少しだけ体を悪くしてね、車椅子生活を余儀なくされているわ。とあるご婦人よ。なのかにそれもラーメンを作ってあげて、それが気に入ったらしいわ。なぜラーメンなのか、なのか自身わかってないようだけどね。彼女のかかわった事件は単純よ。ただのひき逃げ。その所為で足がね。それを解くためになのかはシンクロし、ひき逃げ犯を押さえた。普通そこで帰るでしょ、どんな事件でも。でもそのときは違った。彼らとシンクロしちゃったのよ。彼らの持っていた小さな悪のささやきに。」
「悪のささやき?」
「怪我させたから捕まったんだ。ひき殺せばよかった。」
「それでなのかは?」
「手がつけられなかった。想像つかないほどの敏捷さで犯人の一人の飛び掛り、肩車したかと思えばその顔面をありったけの力で殴りつけ、陥没骨折させたのよ。その奇行は、思い出してもぞっとするわ。だから、なのかがいわゆる平常に戻ったときは、それが異常の知らせなのよ。」
 忍がそう話し終えたとき、忍はすいと立ち上がった。喫茶店の扉が開き、車椅子を押してなのかと雅文が入ってきた。
「あら、あなたが新入社員さん? 随分とハンサムね。」
 その人は優しい笑みで史孝を見上げ、雅文はその人を母だと紹介し、忍は彼女が、先ほど話した被害者だと頷いた。
 藤色というらしい着物の色が良く似合う婦人のそばに居るなのかは、少しだけいつもと違って見えた。まるで母親のそばに居る小学生のような、庇護が欲しいくせに大人ぶって見せたい、そんな甘えた表情をしているように見えた。


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